匿名質問者

日本敗戦でポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの間に、朝鮮半島はどうなっていき、また、GHQの占領になっていったんでしょうか。実は考えたことなかったのですが、第一生命ビルのGHQ司令部は38度線以南も所轄範囲だったと思えるのですが(朝鮮戦争の指揮もGHQの所管だったか、わかりませんけれど、その指揮をとった司令官は、日本占領の最高司令官と同一人物でしたし)。

その場合、そうだとすると、GHQは日本占領・日本統治の指揮命令系統 と 朝鮮半島占領・統治の指揮命令系統に分かれていたのでしょうか。

  ・・・・・日本占領を解くのは、サンフランシスコ条約発効の時
  ・・・・・朝鮮半島の占領を解くのは、大韓民国成立 ?
    
 
 

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  • 終了:2016/05/29 04:21:37

ベストアンサー

匿名回答3号 No.1

回答になりませんが、満州、北支、朝鮮半島は、日本の領土ということでソ連に攻め込まれていたようです。政治的な空白が出来る、軍事力を持たない民の不幸は計り知れません。また、ソ連のあまりに横暴であからさまな暴力は筆舌に筑紫がいたです。

http://hpo.hatenablog.com/entry/20131106/1383748905

http://hpo.hatenablog.com/entry/20120416/1334522234

http://hpo.hatenablog.com/entry/20120512/1336830115

匿名質問者

大変、珍しい書籍のご紹介をありがとうございます。
このような話を扱った書籍は、あまり注目を浴びないように操作されているのではないか、と思います。
日本の軍事的には米国に従属する立場にあるかもしれませんが、
精神的には、中韓に従属する状況だと思いました。

ソ連の暴虐はあまりにも有名だと思います。白人であるドイツや東欧に対する暴力に、欧米が眉を顰めたため、国際的にその話が拡がるのに支障がなかったのだのだと思います。中国と韓国は、白人へ対いては国家的集団的暴行を加えなかったのは
結果として彼らに有利に働いていますね。

2016/05/28 01:20:25
  • 匿名質問者
    匿名質問者 2016/05/22 23:11:47
    補足情報です。

     ※ 軍事的な占領の管轄は、竹島を管轄していたのは、
       韓国を占領していた米軍らしいです
       対馬や壱岐がそうならなかったのは偶然でしょうか。
       
       または、例えば、アメリカ軍が日本のように、陸軍と海軍がめちゃめちゃ仲が悪く、
       韓国本土は米陸軍、
       米海軍は、済州島・対馬・壱岐と佐渡島と竹島を占領だったりしたら。
  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2016/05/23 23:27:37
    朝鮮半島は帝国の敗戦の時点で日本の領土だったわけだから、当然ながら連合国軍が占領したことになっている。
    具体的には当時優勢だった合衆国軍の管轄下に置かれたわけだが、甘く見て軍の配備を薄くしていたところをソ連に突かれて、浸透していた親派を中心に編成された北朝鮮軍、と言うよりも実質的にはソ連軍に侵攻された。
    「朝鮮民主主義人民共和国」という大雑把なネーミングが意味する事実はあまりにもあからさまだ。
    看板として現地の馬賊のような勢力が利用され、韓国が蔑称だとして嫌がった「朝鮮」の国名が付けられたことでも分かる通り、ソ連の属国としてご無理ごもっともな軍事勢力として北朝鮮が成立した。
  • 匿名質問者
    匿名質問者 2016/05/24 00:06:02
    ありがとうございました。分断の経緯については殆ど知りませんでした。

    38度線以北もいったんは米軍(連合軍ですが、中身は米軍)が占拠したのでしょうか。いったん占拠したものの、朝鮮人(当時は日本人扱いですが、もともと朝鮮の人)が独立と称して武装蜂起したので、ソ連の傀儡と気が付きながらも、撤退せざるをえなかったという風に理解するべきでしょうか。
    (あるいは、いったん、米軍が占拠したものの、人員不足のため、ソ連軍の要求で占領地を分断することに追い込まれたということもあるかもしれませんが。)

    私は、満州軍(日本陸軍)が満州と北部朝鮮を守備している状況で、そのままソ連軍へ降伏し、他方朝鮮軍(日本陸軍)が南部朝鮮を守備している状況で、そのまま米軍に降伏した、それが朝鮮半島分断の発端だと思っておりました。
  • 匿名回答2号
    匿名回答2号 2016/05/24 01:45:08
     ◆連合軍軍政期 (朝鮮史) - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E6%94%BF%E6%9C%9F_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8F%B2)

    ---引用開始---
    1945年8月25日、アメリカ軍が仁川府から南朝鮮への上陸を開始し、9月7日にアメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮に軍政を布くこと宣言する[6]。同日、夜間通行禁止令が出され[6]、1982年に解除されるまで続くことになる[7]。

    アメリカ軍は、1945年9月9日に京城府で朝鮮総督府から降伏を受けると総督府の統治機構を接収し、9月11日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)を新設して南朝鮮の直接統治を担うようになった。しかしアメリカの軍政庁は現地の事情に疎く、朝鮮を効果的に統治する経験も能力も有さなかったことから、朝鮮総督府に従事していた日本人や親日派の朝鮮人人士の一部をそのまま登用し、実質的には朝鮮総督府の統治機構を継承した。1945年12月6日、アメリカ軍政庁は南朝鮮にある日本政府財産及び日本人の私有財産の没収に着手[8]するとともに、朝鮮在住の日本人の引き揚げを推進した。

    ----引用終わり----

     ここら辺が参考になるかと思います。

    id:Kaoru_A
  • 匿名質問者
    匿名質問者 2016/05/26 21:41:55
    とても参考になりました。

    在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)は、日本統治を目的としたGHQとは別組織であり、
    その下にあったわけでもないと認識しました。

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