(なお、ジョージアという名前のおかげで、聖ゲオルグが国の守護聖人ではないか、という話もあります。)
本当の理由は知りません.
「サカルトペロ」を知る前に「グルジア」と呼んでしまったのでそれが定着している...というのはありそうなオハナシ.
「日本」だって「じゃぱん」と呼ばれていますしね.
…… 外国語による地名や人名──固有名詞の日本語表記(実際はカナ文字による)は、いったい誰が管理しているのであろうか。これまでの経験で言えば、大新聞社、大出版社であるらしく思われる。この人たちは、ほんとうはこう書くべきですと言っても、これがきまりだからと、なかなかゆずらない。そしてまた、教師としての私自身の経験にもとづいて言えば、こうしたところに勤める人は、たいていは大学で外国語をいいかげんに学び、まず、こうした問題を解決するために必要な音声学や音素論の教養は全くゼロと言った方がいい。新聞社にももちろん外国語のたんのうな特派員がいて、さすがと思われるような表記をしていることもまれにはある。しかしそこは、ごうまんなだけがとりえのマスコミであるから、最終的な紙面の管理をやっている「デスク」なるものの恣意にゆだねられているのであろう。
かれらは限られた数の大言語によって世界を見ているから、英語、ロシア語、シナ語などで表記された地名、人名が、これらの言語に支配された、諸民族のことばであるなどということはほとんど気にかけない。というのは、かれらを学生として育てた英語、ロシア語、シナ語などの教師が、こういうことに関してほとんど知識をもっていないからである。
── 田中 克彦《名前と人間 19961120 岩波新書》P165-166
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4004304725
…… 21世紀研究会(にじゅういっせいきけんきゅうかい)「戦争と革命の世紀」といわれた20世紀は終わり、通信技術の発達による国際化、ボーダーレスの時代がやってきた。しかし、はたして日本人は、地球規模の視野をもって21世紀を生きることができるのか。その答えを模索するために、歴史学、文化人類学、考古学、宗教学、生活文化史学の研究者たち9人が集まって国際文化研究の会を設立した、この研究会の第1回目の成果は『民族の世界地図』、第2回目は『地名の世界地図』(共に文春新書)となった。(奥付)
── 21世紀研究会・編《人名の世界地図 20010220-0425 文春新書》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4166601547
ジョージアまたはグルジアと呼ばれている地域は、サカルトヴェロを自称とするグルジア人(ここでは便宜的な呼称として利用します)を中心としながらも多くの小王国、政権が並立し、またペルシャやモンゴル、オスマン帝国やロシア帝国などの辺境地域として度々、その対立の最前線となってきました。
現在のジョージア国の領域がほぼ確定するのは18世紀初めに東部のカルトリ・カヘティ王国、西部のイメレティ王国がロシアに併合(原因は貴族同士の内乱、ガージャール朝ペルシャの侵入など)された時です。
その後、ロシア革命時に当該地域はグルジア民主共和国としてロシアからの独立を図りますが、国内のボリシェヴィキ勢力は赤軍の力を後ろ盾にグルジア社会主義ソビエト共和国を設立、ソビエト連邦へと組み込まれます。
結論としては現在の領域として成立した背景にロシア(ロシア帝国、ソビエト連邦)の影響が強かった事により該当地域のロシア語呼称が定着した、と言えそうです。
*ちなみに「グルジア」というロシア語呼称は13世紀頃には確立していたと言われ、その語源はペルシャ語にて彼ら(グルジア人)を指す「グルジュ」と呼称されていた事に因むとされています。
元大統領の情報、ありがとうございます。
シュワルナゼ大統領の演説が、方言丸出しとは、
ロシア語が、グルジア訛りであったということなのでしょうか。
この演説が、何語で行われたか、知りませんが。
意図的に、グルジア訛りだったのかもしれないと思いました。
(リンク先を見たのですが、何語で演説したのかわかりませんでした)
グルジアの歴史について、ありがとうございます。「グルジア」がペルシャ語の起源ということ、ありがとうございます。ここは、かつて、ササン朝と東ローマの係争地でした。
「ジョージア」というのは、どこから来た名称だろう、と気になってきました。
ロシア併合後、王家は、ロシア貴族に編入されたと聞いています。公爵(クニャージ)であろうか、と推測します。子孫はいまでもおられるのか、と思います。
シュワルナゼ大統領の話を出していただきました。
グルジア人にとって、シュワルナゼ大統領は、偉人なのでしょうか。ペレストロイカの父ともいえる人物です。
他方、スターリンはどうなのでしょうか。
そうですね。新聞はいい加減ですね。
2016/06/18 20:27:47以前、A新聞ですが、ベトナム人の政府要人の名前がめちゃくちゃでした。姓と名の区別が分かっていなかった。日本語でいえば、最初、佐藤一郎大臣と書き、それはそれでよいのだが、次に、一郎大臣、一郎大臣と書いていた。ファーストネームで呼ぶという習慣は、ベトナムにも、日本にもないから、これはあきらかに新聞社の勉強不足。呆れました。一刻を争うような特ダネ記事でもないので、お粗末の限りでした。