LGBTよりもHDBT差別はなぜ問題にならないのですか?

HDBT=H(ハゲ)D(デブ)B(ブス)T(チビ)のことですが、蔑みや笑いものにしていいという差別的な認識が広く蔓延しています。当事者たちの精神的苦痛やLGBTと違い見た目で把握されてしまうなどの点から考えても、こちらのほうがよほど根が深く深刻です。「差別」どころか「全く問題はない」と認識される程に差別が一般化しているように思えます。

先日男性同士のカップルがホテルの利用を断られたという記事がありましたが、あれと同様にハゲやブスが美容院や服屋でないがしろにされたりするような例も多いように思えます。就職でもルックスの良い、つまりフサフサで背が高くスタイルがよく美人の方が積極的に採用されるという面もあるように思えます。これは現実に存在する差別です。

印象などという面も含めて包括的に評価されるもので非難に当たらないのだとすれば、LGBTに「気持ち悪い」という印象を抱いてそれに基づいた対応をすることも同様に非難に当たらないはずです。

一体なぜあちらの差別には意識的に取り組んでいるのにHDBTの問題には一切取り組もうという姿勢が無いのでしょうか?

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  • 終了:2017/05/26 22:50:03

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id:work_memo No.2

回答回数4ベストアンサー獲得回数1

今でこそ性差別や人種差別、LGBT差別は社会的な問題だと広く受け止められていますが、最初からそうだったわけではありません。
女性差別については欧米では19世紀から(その前にも遡れますがとりあえず)、日本では大正時代から婦人解放運動が行われ、長い時間をかけて参政権(かつて女性は選挙の投票が認められていませんでした)など市民としての基本的な権利を勝ち取りました。といっても、サウジアラビアのように、女性の権利や活動が大幅に制限されている国家もまだあります。
人種差別については、アメリカの公民権運動が一番有名ですね。
LGBT差別についても、さまざまな組織が根気よく活動した結果、現在に至ります。
つまり、「ある属性への差別が問題であると訴える人々が(時に自分の人生をぶっ壊しながら)活動し」「社会をある程度説得する」ことができれば、xx差別として多くの人が問題視するようになると考えられます。

女性差別とLGBT差別の経緯を踏まえると、HDBT差別が社会的な問題として扱われるようになるには、
1)ルッキズム批判を継続的に行う人々が一定数現われること
2)それを背景にアイコンとして活動する人(公民権運動で言えばキング牧師的な)がマスメディアである程度プレゼンスを持つこと
が必要ではないかと思います。
外見差別があること自体は皆知っていることですが、少なくとも日本ではそれが社会的な問題であると十分に認識されていないので、個々の対応(化粧がんばれとか痩せろとか、別の魅力を醸し出せとか)に丸投げされているというのが現在の状況かと思います。HDBT問題については、見る側の評価が趣味嗜好に依存する面があるので、そのあたりでも曖昧になりがちなのかもしれません。

まとめると
1)LGBT差別や性差別に関しては、長年の運動の結果、社会的な問題として認められるようになった経緯がある
2)HDBT問題については、そこまで積み上げがないので社会的な問題として認知されていない
という感じですかね…

参考:未来を花束にして※1910年代のイギリスの婦人参政権運動を描いた映画。

その他の回答2件)

id:yo-net No.1

回答回数266ベストアンサー獲得回数21

差別は明確な違いにより誰もか違うと感じる事が必要です、
つまり同じ感覚的な価値観が共有されているのが必要になります。

差別の典型的な例だと
黄色人種 vs 白人
黒人 vs 白人
男 vs 女性
健康 vs 障害者
などです、

LGBTはこの例で見ると健康 vs 障害者に該当すると思われます、
なので普通では無いと感じて差別するのでしよう。

HDBTは先天性差別では無く、
後天性とみることが出来て、
改善が出来るからだと思います、
差別内容も本人の努力不足だからと見られると思います、
精神的な障害や虐待等の外部的な現象が原因の場合は
障害者の枠にはいると思いますが、

多くの人は先天性に対して強く違和感を感じて差別をするのだと思います。

id:work_memo No.2

回答回数4ベストアンサー獲得回数1ここでベストアンサー

今でこそ性差別や人種差別、LGBT差別は社会的な問題だと広く受け止められていますが、最初からそうだったわけではありません。
女性差別については欧米では19世紀から(その前にも遡れますがとりあえず)、日本では大正時代から婦人解放運動が行われ、長い時間をかけて参政権(かつて女性は選挙の投票が認められていませんでした)など市民としての基本的な権利を勝ち取りました。といっても、サウジアラビアのように、女性の権利や活動が大幅に制限されている国家もまだあります。
人種差別については、アメリカの公民権運動が一番有名ですね。
LGBT差別についても、さまざまな組織が根気よく活動した結果、現在に至ります。
つまり、「ある属性への差別が問題であると訴える人々が(時に自分の人生をぶっ壊しながら)活動し」「社会をある程度説得する」ことができれば、xx差別として多くの人が問題視するようになると考えられます。

女性差別とLGBT差別の経緯を踏まえると、HDBT差別が社会的な問題として扱われるようになるには、
1)ルッキズム批判を継続的に行う人々が一定数現われること
2)それを背景にアイコンとして活動する人(公民権運動で言えばキング牧師的な)がマスメディアである程度プレゼンスを持つこと
が必要ではないかと思います。
外見差別があること自体は皆知っていることですが、少なくとも日本ではそれが社会的な問題であると十分に認識されていないので、個々の対応(化粧がんばれとか痩せろとか、別の魅力を醸し出せとか)に丸投げされているというのが現在の状況かと思います。HDBT問題については、見る側の評価が趣味嗜好に依存する面があるので、そのあたりでも曖昧になりがちなのかもしれません。

まとめると
1)LGBT差別や性差別に関しては、長年の運動の結果、社会的な問題として認められるようになった経緯がある
2)HDBT問題については、そこまで積み上げがないので社会的な問題として認知されていない
という感じですかね…

参考:未来を花束にして※1910年代のイギリスの婦人参政権運動を描いた映画。

id:Africannewbeer No.3

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差別と言うより個性に近いからかも知れないと感じます。他の方が言われているように自分次第で見た目は大きく変化するものだからとも感じます。自分の個性が苦痛になるのなら、それこそ服を着てカバーする。何かを被せてカバーする等の努力がし易く、目に見えて感じやすいのもあるのかも知れません。
変えようのないものを否定されると辛いのですが少しの取り組みで大きく変われる筈だとも思います。
自分自身の個性を自分が否定しているからこそ、見た目への拘りは減少して「結局○○だから無理」と決めつけているのも自分以外の何者でもないと感じます。

  • id:NAPORIN
    家を買う(新築する)のに、口を不機嫌そうなへの字にして、汚れたスニーカーを履いた営業マンから買おうと思う人はいないので、職場におけるルッキズムは消費者の観点からなくなることはない。

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