事の発端はこちらの記事です。 「ミアキスの進化から考える発達障害の問題」 http://anond.hatelabo.jp/20170522132625 生物学的な観点から発達障害者の人口比率と進化の傾向との関連情報や他説等、お考えをお聞かせ下さい。 宜しくお願い致します。
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コメント(7件)
で、肝心のミアキスはどこに生息していたの?。
少なくとも平原でも樹上でもないらしいけど。
恐れ入ります。ミアキスの基礎知識について学べるサイトを3件ご紹介させて頂きます。
初学者の方でも分かりやすい解説となっておりますのでご安心下さい。参考になりましたら幸いです。
https://happylifestyle.com/7711
http://www.konekono-heya.com/history/evolution.html
http://www.rakuten.ne.jp/gold/56nyan/joho/neko/neko_sosen.htm
ある形質に存在意義があるかどうかというのは人間が勝手に意味付けをしているだけで、
実際には単純にその時のその環境で子孫を残したものが子孫を残し次世代に引き継がれるだけのことです。
残ったものを事後的に役に立つと人間が勝手に言ってるだけです。
理論的には環境に変化がなければ、子孫をほんのわずかでも多く残せる形質だけが占めるようになります。子孫を残す確率が少しでも小さい形質は失われます。
現実では環境は絶えず変化していますし、また常に新しい形質が出てくるので、単一の形質だけで占められるということにはなかなかなりません。
どんな環境でもいつかは変化するということを踏まえれば、
さまざまな形質が存在する、つまり多様性の豊かな状態が種としては有利ということになります。
本来のダーウィニズムでは生き物の形質(姿形から機能まで)と繁殖の関係が示されているだけなのですね。日頃目にする「生存競争」という訳語も原語では" struggle for existence "、つまり生物間の競争ではなく、その時々の環境の中で個体や集団の繁殖に繋がることが多かった、形質や努力(ウグイスが歌の練習をするように)を後付けで示しているだけなのです。
そういった意味で現在、人間による意味づけを理論の中心に置いたスペンサーの社会的進化論やナショナリズム時代の優生学が無意識のうちにビジネスを至上主義と考える傾向が強くなってきた日本社会に再興・蔓延し、本来のダーウィン進化論が誤解・隠蔽されている状態と言えるかもしれませんね。
以下引用になりますが、こちらの話題について大変興味深い説明となっております。合わせて紹介させて頂きます。
適者生存、最適者生存という言葉が一般的になりすぎて、「適応した個体が生き残るイコール自然選択のプロセス」と思いこんだり、「環境に少しでも適した個体は生き残るが、適さない個体はしだいに滅亡に向かう」と理解したりしている人も未だに多いようです。こうした誤解が、また進化論への感情的な反発にもつながっているかもしれません。
適応していることが自然選択を作用させる原因と考えるのは誤りです。適応とは、むしろ結果であり、ある性質の状態を記述する言葉にすぎないのです。
現在、個体の生存や繁殖の効率を高めているという機能が自然選択の働く原因になったわけではなく、その機能の個体の間の差が生存、繁殖率の差につながるとき、自然選択は働き、より生存や繁殖を向上させる機能が現在、獲得されていると考えるべきなのです。(東北大学教授 河田雅圭)
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/elekitel/sp_02_a.htm
「いま、ここで生きているのなら、その人はこの時代の環境に《適応している》状態である」
「簡単には死なず、子作りを行いやすくなる機能をいま生きている人は前の世代より《すでに持っている》」
それだけしか進化論では科学的に証明できないのですね。
それ以外の多くは社会やビジネス等利害関係で動く人間や組織による自己優位を誘導するための持論、予想論という訳です。
子どもに進化や発達について聞かれ間違った考えを植え込み、将来子どもに恥ずかしい思いをさせないよう正しい理解を心掛けたいものですね。
他論を述べます。
今は、発達障害者は定義がすごくひろがっており、自閉症スペクトラムの「非常に薄い」部分も治療対象になるのではないかと検討にくりいれられています。
極言すれば「リア充」すなわち社交性で生き残る性質が100点満点の人でなければ発達障害の要因があるとされます。
私にとっては、発達障害とは、新しい形質ではなく、昔からの、座業職人、百姓や鉱夫のような、自然から直接資産を汲み出す産業に必要だった性質にみえるのです。それが今となっては機械に職場を追われ、ゲームやコンピュータという資産を汲み出すしかなくなっているわけです。
その意味ではミアキスのような「古い」存在だというのは納得いきますが、犬猫すべての可能性を含むとかいうふうにはちょっと納得がいきません。それは遺伝子プールそのものの性質であるはずでしょう。
人間の適応能力が広いから、育て方によっては発達障害者の範疇にも、範囲外にもなり得るし、社会の変化スピードによっても定義がかわるのだというほうがまだ納得がいきます。
でも元益田がいいたいのは、日本マスコミは美談依存症で「不自然」を悪者にするキメツケがひどい。差別行動などをひき起こしやすい局面だから、とにかく何を引き合いにだしてもいいから、穏やかに共存の道を探ろうという最後の部分だけだとおもうのですけどね。ミアキスを犬ネコが攻撃したかどうかなんてダレにもわからんわ。