キリキアのアルメニア王国、歴史地図帳には、王国ともありますが、これは、東ローマ皇帝の認可でしょうか。この国は、カトリック国ではないです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%8E%8B%E5%9B%BD
弟のエデッサ伯ボードゥアン(ボードゥアン1世)が後を継いで「エルサレム王」を名乗った。こうして十字軍国家「エルサレム王国」が誕生する。
伯が王を名乗ったのですからエルサレム王は自称ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
とみなす説と、ローマ教皇らに王冠を授けられて独立国と認められた1198年からとみなす説があり、文献によってまちまちである
1198年に当時のキリキア侯レヴォン2世が王として認められるまでは、代々の君主は侯 (prince) であり、国も王国ではなく侯国であったことに注意を要する。
アルメニア人にとって目の敵である東ローマ帝国
アルメニアはローマ教皇によって王と認められたようです。
ちなみにカトリック関係者によれば法王というのは間違った呼称らしいですよ。
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/popeofrome/
匿名様 ありがとうございました。
2017/06/17 16:48:43こんな感じでしょうか。
もともと、ヨーロッパで伯爵だった人、
この人が、エデッサに来て、
エデッサの統治者から後継者の地位を得て、
その直後に、統治者自身が死亡したので、そのまま後継者となり、
「エデッサの伯爵なり」、と名乗ったのですね。
伯爵位とは、なんだろうか、と現地の人に訝しかったと感じました。
これでエデッサ伯国が成立したということですと、
自称ですね。
そして、エルサレム王国も、自分で、「エルサレムの王なり」
と名乗って、エルサレム王国が成立したんですね。
まさに自称ですね。
十字軍国家同志で、認め合えば、とりあえず、丸く収まり、
そして、ローマ法王の承認を貰って、それで正式なものになった。
という流れですね。
エデッサ伯国は、正式たるエルサレム王が、伯国と認めれば、
正式は伯国ということになりますね。ありがとうございました。
さらに、ローマ法王という呼び名についても、ありがとうございました。外務省に、法王で登録してしまうと、容易には変更できないのですね。ビルマや、グルジアは変更したようですが、ローマ法王は無理なのですね。台湾や、韓国では、どうなっているんだろうと思いました。
2017/06/17 17:05:47