ハプスブルク家は、ずいぶん、その点で、やかましく、平民と結婚した皇族男性は、継承権を失いかねません(子供には 当初から継承権は与えられません)。
★ フランス皇帝兼のボナパルト家は、コルシカの貴族(豪族)であるから、
貴種という条件は偶然かもしれませんが、満たしていると思いました。
別に問題ないから存続しているのでは。
1809年、スウェーデンでクーデーターが起き、対フランス強硬派だった国王グスタフ4世が廃位させられ、ハト派の老国王カール13世が即位します。
しかし1810年に跡継ぎ候補だった皇子カール・アウグストが亡くなり、急ぎ世継ぎを求めなければならなくなりました。
スウェーデンはフランスとの関係を考慮し、ナポレオンにカール13世の跡継ぎの人間を送ってくれるように打診しました。
この難解な人事に、ローマの統治のために赴く予定だったベルナドットに白羽の矢が立つことになります。
フランスとの関係を重視した結果だそうです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
1810年1月にはフランスともパリ条約を結び、屈服した。
1809年3月、スウェーデンでは軍事クーデターが起こされ、対ナポレオンの急先鋒であった国王グスタフ4世アドルフが廃位され、ナポレオンの帝国の従属国となった。
ありがとうございました。
スエーデンの国難を救った英雄の家、という位置付けだと深く理解できました。
欧州の王族貴族でも、国王クラスの貴族(ドイツの貴族の場合ですと、帝国代表者会議までは君主であったクラス)と、そうでない貴族があるように(君主家との婚姻をすると、卑賤結婚と言われてしまうような貴族)です。そういう点で、スエーデン王家の位置付けはどんなふうなのか、と思ったりしました。ベルギー王家も、ブルガリア王家も、ルーマニア王家も、ドイツの小諸侯の出身ですが、神聖ローマ帝国の諸侯の地位を占める高位貴族の系統だったと思います。
そう考えると、ベルナドッテ家は、ボナパルト家や、フニャディ(マチアス)家のようなものかな、と思いました。
たしかに、スエーデンでは問題はないですね。特に、国難を救った英雄の系統ということになりますし。
スエーデンにおいては、問題はないと思いますが、他国の由緒正しき?君主家から見て、どういう感じなのだろ、と思いました。例えば、他国との婚姻などのケースで、19世記において、また、20世紀前半など、どうだったのだろうと思いました(21世紀の現在は、一般庶民と王族の結婚もそれほど珍しくはないようですけれど)。
日本の皇室だってご先祖の一人は秀吉の姉だったりしますよね。
2018/01/28 22:18:12結局「貴種」なんて言った所で、その家系に対する価値を周囲が認めるかどうかの問題なのであって、実際に平民の子孫だったかどうかで直接良し悪しが決まるようなものでもないでしょう。
ありがとうございました。
2018/02/03 03:20:17日本の華族といっても、公卿家族などと、新華族との間には、なんとなく違いがあったみたいに。。。と思ったので質問した次第です。たしかに、秀吉の姉ということがあるのですから、あまり関係ないかもしれないですね。実際、系図は、父系を中心にたどりますから、みな、皇族ということになりますが、母系をたどれば、公家が何度も出てきたりするのは当たり前、側室腹の人などが何度もでてきますから、ご先祖に庶民出身の方も多く入ってくるかもしれないと思います。
ベルナドッテ家の場合は、ベルナドッテ将軍の代から前は、将軍の奥方をたどれば、由緒正しく?古くたどっていける訳だろうと思います。将軍自身の先祖という風に、たどると、庶民が多いという事かもしれませんが、それはそういうものだと思えばよいと感じました。
ベルナドッテ将軍は、国の危機を救った英雄であり、スエーデンから望まれて、国王になった人という点も大きいと思いました。