戦国時代の織田信長は、超有名ですが、最近の歴史の本を読んでいると、信長の政策のうち、その多くが、独創的なものではなく、信長が最初に行ったものではなかった、とされているようです。
また、昔は、独創的な戦術と言われていたもののうち、桶狭間の戦いは奇襲作戦ではなく、長篠の戦いでは三段撃ちはなく、美濃攻略でも一夜城はなく、というところで、戦術的に独創性がそんなにあったわけでもない、と言われているようだす。
政治的にも、信長包囲網を作られてしまったり、石山合戦では、必ずしも必要がなかったのに、本願寺と泥沼の戦争をしたり、失敗もおおかったようです。
ただ、それでも、天下統一まで、あと少し、というところまで成功してきたという事実はあるわけです。
信長が成功した要因として、他の戦国大名と、決定的に異なったのは、どういう点だったのでしょうか?
長期戦を実行する経済力、ではないでしょうか。
あとまあ父祖伝来の土地とかに執着が薄く、便利な土地を目聡く見つけて開発する、とか。
主だった大名が屯田兵を用いていたのに対して、
織田軍は金で雇われた傭兵集団だったとうい解説を見たことがあります。
傭兵だから忠誠心もないし逆境になるとめっぽう弱いけれども、
屯田兵は農繁期には故郷に帰らないといけないから継戦能力で遥かに劣る。
そうするとやっぱり金の力なのか^^;
確か織田軍の戦績は勝率4割とも言われていたような…
例えば、当時の鉄砲は、現在の兵器と比較すれば戦闘機とかミサイルとかになるような高価な兵器だった。
毛利も本願寺も数を揃える努力はしているが、お足が足りなかったようです。
シーズン制の戦争が基本の時代に傭兵部隊の数を揃えるにはお金がたくさん必要。
毛利は銀山を持っていてそれなりに経済力はありましたが、織田の経済力には及ばなかった。
・理性を強く持ち
何が正しく何が間違っているか
自分で判断する基準を確立し
実際に自分の目で確かめようとした
・神仏の存在を信じていなかった
それにすがったり依存しようとはしなかった
・長年続いていた既存支配勢力の権威を一部利用はしたが
既存支配勢力の既得権益を認めようとせず嫌って撤廃した
・家来をできるだけ自分の直属とし
道具としてその能力を十分に活用した
・既得の特権を持つ商工業者を排除して
楽市楽座の制度を作り経済活動の活性化を図った
天地人=直感+知見+識見 ~ 暦に関する英明の証 ~
信長は、フロイスが献上した“地球儀”で地動説や天文学を理解した。
のちに、東と西で閏月の配置が異なり、二種類のカレンダーができる
ことに注目し、学者を招集した。その四ヵ月後、本能寺の変で討たれる。
織田 信長が、閏月の有無について、専門家に議論させた記録あり。
…… 争論は天正十年一月二十九日に行われた。吉田 兼和《兼見卿記》
http://q.hatena.ne.jp/1387099663#a1220336(No.2 20131217 03:07:40)
織田 信長 15340623 美濃 京都 15820621 48 /天文 3.0512-0528 天正10.0602
1569‥‥ フォペルの地球儀を献上 /15970205 慶長 1.1219 殉教二十六聖人
Fróis, Luís 1532‥‥ Portugal 長崎 15970708 65 /慶長 2.0524 宣教師
────────────────────────────────
Fabian, Fucan 1565‥‥ 加賀 長崎 162102‥ 53 /永禄 8.‥‥-元和 7.01‥
1606‥‥ 林 羅山がハビアンの地球儀を論難
林 羅山 儒学 1583‥‥ 16570307 74 /天正11.‥‥-明暦 3.0123/棄教
現代の評価では、信長は理系、秀吉は武系、家康は法系に秀でていた。
封建時代には、三者が協力するよりも、個々に独裁者として君臨する。
民主国家では、専門知識のない政治家が、権力を分散しているだけだ。
…… 政治家は学者ではないから、知らないことがあってもかまわない。
しかし、誰が何を知るべきかは、知っておかなければならない。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041025 吉凶改元 ~ 空言・失言・改言 ~
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-3053.html(20041025)
…… 政治家は学者ではないから、知らないことがあってもかまわない。
しかし、誰が何を知るべきかは、知っておかなければならない。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20041025
吉凶改元 ~ 空言・失言・改言 ~
信長は途中まで南蛮人と手を組んでいたので、南蛮人たちによる日本支配のコマとして成功できたのです。途中で自分がコマでしかないことに気づいたために暗殺されてしまいました。
主だった大名が屯田兵を用いていたのに対して、
2018/08/20 20:27:27織田軍は金で雇われた傭兵集団だったとうい解説を見たことがあります。
傭兵だから忠誠心もないし逆境になるとめっぽう弱いけれども、
屯田兵は農繁期には故郷に帰らないといけないから継戦能力で遥かに劣る。
そうするとやっぱり金の力なのか^^;
確か織田軍の戦績は勝率4割とも言われていたような…
例えば、当時の鉄砲は、現在の兵器と比較すれば戦闘機とかミサイルとかになるような高価な兵器だった。
2018/08/20 22:21:36毛利も本願寺も数を揃える努力はしているが、お足が足りなかったようです。
シーズン制の戦争が基本の時代に傭兵部隊の数を揃えるにはお金がたくさん必要。
毛利は銀山を持っていてそれなりに経済力はありましたが、織田の経済力には及ばなかった。