明治時代に、「馬車は左側通行すべし」、という決まりが制定されていたのですか。
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江戸時代の長崎の出島や幕末の横浜の関内(外国人居留地)は、
どうだったのだろうか、馬車は右側通行か左側通行かどちらだろう、と思いました。
ところで、出島に馬車はあったんでしょうか。関内には馬車はあったと思います(馬車道という通りがありますから)。
「なんとなく」だそうです
https://bestcarweb.jp/feature/column/44335
https://car-rider.jp/weblog/%E8%B1%86%E7%9F%A5%E8%AD%98/%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E5%B7%A6%E5%81%B4%E9%80%9A%E8%A1%8C%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F/
江戸時代に、侍さんが、刀を左に挿してたので、
右側通行だと、刀同士が当たって、喧嘩の元になってたので、
左側を通るというルールが出来ました。
刀は武士の魂で、
先祖達の魂が刀に入っていると思ってました。
ありがとうございました。日本刀というのは説得力がありますね。
他方、サーベルも同様だけど何故だろうと思いました。ただ、サーベル同志が当たっても、喧嘩したりはしなかったんだなと思いました。日本の侍は気が荒かったかもしれないと感じました。
どうも有難うございました。
2018/10/20 01:09:09別に、イギリス式というわけでもないのですね。