「殿下」という敬称は、明治になってからかと思いましたら、昔からあり、さらに、人臣である摂政関白も(摂政関白を退任した人も)、この敬称がありました。それはどこで決まっていたのでしょうか。皇族(親王、内親王、王、女王)の場合は、儀制令(律令の中にあるらしい=Wikipediaによる。大宝律令、養老律令)で決まっているようです。
すると、人臣はいつどこで決まってるでしょうか。なんとなくでしょうか。
人臣からの摂関は、藤原良房が最初です。
また、准三后には、いろいろな人(有名人:足利義満)がなっています。人臣でもなっている次第です。ここれは、どうなのでしょう。三后に準ずるのですから「殿下」でしょうか。
コメント(0件)