ベトナムやチベットに亡命した人たちもいた?
当時の常識としては、勝った方は負けた一族を可能な限り探し出して皆殺しです。
分家の末でも残党に担がれて反乱勢力になり得ます。
三国志の劉備元徳は漢王朝の末裔という触れ込みで、怪しいもんだったらしいんですが、それなりの勢力になっています。
各地の諸侯は人質や領地を差し出して命乞いするか反乱を起こすかの二択ですね。
戦争のさなかに日和見して裏切って命永らえるとか色々あります。
清軍の勢威を恐れたビルマ王ピンダレ(英語版)によって永暦帝は清軍に身柄が引き渡され、同年に一族とともに昆明(雲南省)で、縊り殺されたとも、火刑に処されたともいう。享年40。こうして、明の皇統は断絶した。
ビルマに逃げたのですね。ありがとうございました。
「天が代わる」って言うんですけどね。
2019/06/08 00:10:20血統による支配と天が代わった際の古い血統の排除は中国の文明を理解する上で非常に重要な概念です。
習主席は支配体制の強化に乗り出す際に首脳部の人たちを集めて酒宴を開いたと言います。
何かに飛び込むような態度だったと。
天になって運命を受け入れる気概があったと思えば頷けます。
北朝鮮の先の代替わりでは兄弟で殺し合いをしています。
殺された方に連なる一族全てが粛正の対象になっています。
これらもまた善悪は別にして中華文明の伝統と言えるでしょう。
ありがとうございました。
2019/06/11 22:58:22王朝を滅ぼしても、その祭祀を絶やすわけには行かず、完全に絶滅はさせないという流儀もあるように聞いたこともあるんですが、族滅させるというやり方もあるのですね。
周主席の件ですが、
酒宴を開く? 何かに飛び込むような態度、
こういう伝統があるのですね。ありがとうございました。