スーパーマーケットやホームセンターが「コロナの云々」を理由として営業時間を通常より短縮して夕方閉店にしてしまっていますが(元々21時や、22時まで開いていたものを18時閉店にするとか)、社会全体で3密を減らそうとしている時に時空間の容量を意図的に狭めてしまうは却って逆効果だと思います。
例えば先日、ゆうパックの不在配達票を手に郵便局にとりに行きました。ここでも「コロナのため窓口時間を短縮します」とか書いてあり、結局その時は郵便物をうけとることができませんでした。一つの郵便物を受け取るのに2回外出しなければなりません。すると結局「不要な外出を控える」という行政の指針にも反することになります。当然ですがおなじみの赤い不在配達票には窓口を臨時に短縮する旨も書かれていませんでした。
与野党問わず政治家や官僚は片方には「営業するな」といい(コロナ被害三業・・・飲食業、興行、その他サービス業)、片方は全く無作為放置しており、私には何を考えているのかさっぱりわかりません。
客の視点からはその疑問もあり得ますが、従業員の視点に立てば合理的です。時短によって体力を維持できる、早く帰宅して家族に食事を供給できるなどで、病気一般に対する抵抗力を維持~増進できることが考えられます。コロナに対するワクチンも治療薬も確定していない現在、一般的な抵抗力を増すことがもっともコロナ罹患を防ぐことにつながりますから、長時間労働による営業よりも社会的コスト節約になる可能性大ですし、コロナで死亡するのはコスト以上の問題です。(従業員としては、お客様が減ることは感染の機会が減ることにつながるという側面もあるでしょうね。経営者には言えないセリフですが。)
スーパーなどについては「いつものパートが保育関連の休止で確保できない」のが基本原因です。
時短でというのは筆が滑ったので忘れてください。(書いてから自分も検索した。時短要求は飲食店だった。)
現場で一番人がいなかった時にスーパーに貼られていた但し書きは「倉庫から売り場への商品出しができていない」という事で、人手が足りていないのはレジ係に限られているわけではありません。
そもそも店舗のバックヤード要員の仕事は全く減っていないのですから、元から人員に余裕があったのでなければそれを回すことは不可能なはずです。どちらかと言えば予想外の業務の発生で仕事は増えていたはずではないでしょうか。経理も営業も異常事態で明らかに業務は増えますよね?
レジ係にこだわるのは「レジに長蛇の列」という件が頭にこびりついているからでしょうか。
>「倉庫から売り場への商品出しができていない」
>元から人員に余裕があったのでなければそれを回すことは不可能
大規模小売店の慣習においては納入メーカーや問屋が棚の補充や品出しまでやるのは「応援」として珍しくありません。例えばそれを人件費節約目的で店側が相手に強要すれば優越的地位の濫用で独禁法違反になります。過去30年間常に量販店で問題になってきたマターです。
(メーカー側も売価監視、顔繋ぎ、販促目的で自ら率先して人出しをする場合も少なくありません。)
一番極端な時は秋葉原の某家電量販の店長自体がメーカー派遣だった例があります。
おそらく私よりも量販店の実態をご存じないようですね。
>経理も営業も異常事態で明らかに業務は増えますよね?
コロナでなんらかの不利益や不都合が増えているのは国民みんな同じなのです。
「コロナ特需」で書き入れ時なんだから人の内部融通ぐらい自主的やったらどうですか、と言っているのです。自主的にできれなければ行政や業界団体がじ音頭をとってやらせるべきです。
おそらく経理だの営業だの決め込んでいる連中は程度の低い大卒社員に決まっています。そのような無能大卒枠が肥大化していった結果没落したのが大手スーパーDです。
ゴメンテーターズ ~ 右顧左眄・右往左往・出処進退 ~
女性知事は「空気感染」、男性知事は「接触感染」の迷信に分れる。
感染学者も「人人伝染」「人獣伝染」「人物伝染」の信者に紛れる。
政治家も学者もマスコミも、合理的な説明能力なしに出没している。
…… いまやテレビは、ウィルスの感染者数を公表するが、専門委員会
の副座長は「その何十倍か推定できない」と国会答弁、これに激高した
野党幹事長は、翌日陳謝した。みんなが利口ぶって、われがちに早合点。
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https://q.hatena.ne.jp/1591535663#a1274914(No.1 20200608 14:50:11)
感染者数は不明。発症者=患者数を、医師が診断・認定・報告する。
https://twitter.com/awalibrary/status/915113117813686272
人類において、物を焚いて雨乞いをしていた時代に比べたら天気予報の確率と精度は随分向上しましたし、虫歯程度で命を落とすことも無くなりました。水の入った容器を倒せば絨毯が濡れ、そのまま放置しておくと細菌や害虫の発生原因になりうることや円周率が将来消費税率のように時代によって変化するものではないということは子供でも理解しています。すべて科学の名の元に予測を立てるという営みから発展しています。
すなわち「科学は未来を予測しうる」という立場は依然厳然としてあり、一方では「未来を予測できない」という相矛盾する立場が並立しているのです。例えば今回のコロナ騒ぎのように既存系に対し外部から未知の要素として加えられた時の予測不能性だったりします。
その相矛盾する2つの立場を確認してこそ科学哲学の延々議論が始まるのであって、最初のお断りとして「科学は未来を予想できない」という側を強調するのは「片手落ち」のバッティング理論に過ぎない・・・・
と私は思います。特に大衆向け辻説法の場でそのようなミスリードをしてはいけない。
ミネルバのフクロウについて、どうしてそのような一方的な珍解釈になるのかも不思議です。私は法哲学原文を読んでいないのですがそれが寓話的表現である以上、多義的な解釈は可能でしょう。それは私には単にこうも読めます。
一つの時代が終わる時(夕暮れ)、古老(先に生きた者)が人と社会についての経験を語ろうとするので若者は囲炉裏端で耳を傾けるも良い。明日来月生き延びるに役立つかもしれないので。
ヘーゲルは、囲炉裏端が消えた後、なおも世界中で読みつがれている。
Schelling, Friedrich Wilhelm Joseph von 哲学 17750127 Germany 18540820 79 /
Beethoven, Ludwig van 作曲 17701216 Germany 18270326 56 /“楽聖”
Hegel, Georg Wilhelm Friedrich 哲学 17700827 Germany 18311114 61 /
Hölderlin, Johann Christian Friedrich 詩人 17700320 Germany 18430606 73 /
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Kant, Immanuel 哲学 17240422 Germany 18040212 79 /
…… 短い生命を与えられた後、自らを構成する物質を星に返さねば。
── カント《実践理性批判 Kritik der praktischen Vernunft 1788‥‥ Germany》
…… 1788年、18歳のヘーゲルはシュトゥットガルトのギムナジウムの
浪漫を了えて、南ドイツのテュービンゲン大学の付属神学校に入る。30
人の新入生の中にのちに詩人となったヘルダーリン(1200夜)がいて、
2年後にシェリングが入学してきた。ヘーゲルとヘルダーリンが同い歳
で(ベートーベンも同い歳×)、シェリングはすこしおませで、5歳年
下だった(4学年下)。
この1788年というのはカントの『実践理性批判』第1版が発表された
年だから、哲学史にとっては象徴的な年である。3人のフリードリッヒ
は大いに仲良しで、寄宿舎の同じ部屋で何度も話しこんだり、一緒に
郊外の森に「自由の樹」を植えたりした。── 松岡 正剛《千夜千冊》
https://1000ya.isis.ne.jp/1708.html 3人のフリードリッヒ
回答いただいてありがたいですが、mouitchouさんのストーリーは全く合理的でないと思います。従業員を感染から守るというのであればこそ通常通りの営業時間を確保すべきなのです。
2020/06/12 08:59:54客Aは感染者で客Bは非感染者だとしとします。ところが、いつもより営業時間が短くすると確率的に密接状態になり、AからBに感染する確率は高まります。一方、所与の条件としてレジ番ZはいずれAともBとも接客しなければならないので、レジ番Zの感染リスクはどんどん高まっていきます。
以上は小難しい疫学とか統計学以前で言える簡単な論理構成で説明できることです。
>従業員としては、お客様が減ることは感染の機会が減ることにつながるという側面もある
ここも理解できません。特に単身労働者の外食機会が減ったことでおなじみのエンゲル係数理論の相反レバレッジによってにスーパーの食品売上高は確実に上がっています。嫌味な言い方かもしれませんが、「コロナ特需」といってもいいくらいです(そのような言い回しの舌禍が実際に政治家によって起こりましたね)。
外観的には「コロナ特需で前年同月比150%を夕方までに達成しちゃったからラッキーラッキー、これを奇貨としてたまには早上がりしよう」と考えてるようにしか思えないのですが。