日本の参議院が戦後、「良識の府」としての役割をみごとに果たした、と世間的もしくは政治学者的に見なされているケースを教えてください。
理想的には、衆議院も世論も大賛成していたある法案があったが、参議院議員の一部がその洞察力によって、このままでは悲劇になると直感し、そのためその議員が中心となって粘り強く抵抗して廃案に持ち込んだ。その後、(誰も予測できない事態ではなく、その参議院議員が予測していた)大きな情勢の変化があり、ほとんどの人が「あの法案を通さなくって良かった」と安堵した、というケースです。
ことに政治学の学者や参議院議員自身が、よく例に挙げるケースがあれば最高です。よろしくお願いいたします。
lionfan2さん、大変興味深い質問です。
小さな市立図書館にも所蔵している「Voters」という情報誌があります。
以下はググって出てきた記事ですが、2017年8月のVol.39「特集 参議院70年」です。
http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2017/12/vo39.pdf
4ページのあたりを要約すると、こんな感じ。
「1955年の保守合同で自由民主党が結成されたのをきっかけに、その後自民党が参議院でも過半数を獲得。衆議院のカーボンコピーと言われ『参議院不要論』も取りざたされるようになる。」
ここから先は本文より引用にて
”だが、1971年に自民党の一部議員と野党議員の支持によって、河野謙三が議長に就任することで、まさに「良識」の模索が始まったのである。 河野は副議長の森八三一とともに、慣例を破って党籍を離れた。正副議長の党籍離脱という新しい慣例を作ったのである。その上で有識者 8 名による「参議院問題懇談会」を設置し、その意見書を元に改革を進めようとした。たとえば、審議期間の確保を衆議院に申し入れ、先議案件増加を要求して会期末に拙速で法案を処理する傾向を改めようとしたのである。”
この様に、衆議院のチェック機能としての参議院を強く性格づけようとの動きは確かに議会運営制度に反映されたようです。その後は記憶に新しい「ねじれ国会」。これはあからさまなレッテル貼りで、ある意味で健全な状態を示していると思われます。
具体的に、衆議院で可決→参議院で否決→その後衆議院で否決、という例があったかどうかは探せませんでした。正面からの回答になっていなくてごめんなさい。
(人力検索では13年ぶりの回答です)
lionfan2さん、変わらず良質な質問を続けられていますね。いつのまにか2が付いているんですね。
2020/06/15 05:34:58bonne様、ありがとうございます。一度、はてなをやめていた時期があったのです。
2020/06/15 12:16:05