匿名質問者

【皇嗣と皇太子と皇太孫】 ①『皇嗣』という用語は、いつからのものですか? たとえば、明治時代に皇室典範を作る時に、皇位継承の第二順位の身位の人を、「皇嗣」と名付けたのでしょうか。 ②『皇太子』という言葉はいつごろからのものですが。もともとは、儲けの君と呼んでいたのではないかと思いますけど。正確なところが知りたいです。 ③『皇太孫』ということば、いつごろからのものですか。やはり、こちらもかつては儲けの君と呼んでいたと思います。


なお、以上の名称は、現天皇との続柄を示す名称となっています。
ちなみに、④皇太曽孫を設けなかったのは、明治の元勲としても、想定外であったからでしょうか。

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  • 終了:2022/12/06 21:40:06
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2022/12/05 11:03:51

皇室典範を作った明治の元勲たちは、皇太子、皇太孫という制度を設けた。

これは内廷皇族である。

これに入らなければ、皇位継承順位にかかわらず、内廷皇族に入らない。

このような制度にしたのは、どういう意図なのか、

もちろん何か意図があるのだと思います。

皇太弟、皇太甥、皇太大甥(また、皇太叔父、皇太従兄や皇太従弟)を設けていない。

意図があると思われる。

内廷皇族と見誤るから、設けなかったのではないか、そんな気もしております。

回答1件)

匿名質問者

質問者から

匿名質問者2022/11/29 22:52:07

質問文を編集しました。詳細はこちら

匿名回答1号 No.1

皇太子は律令や日本書紀にありました。

立太子をしなくなってからは儲けの君と呼ぶようにもなりました。

皇位継承は律令では規定されていません。

法制化しないことにしていました。

匿名質問者

どうもありがとうございました。


皇太子に冊立するという儀式をしなくなってから、儲け君となったのですね。

その後、江戸時代になり、儲君にするという儀式自体も始めたようであるとのこと、

新たに知りました(儲君治定)。この時から、儲君治定を経てから皇太子冊立するという二段階になったようで、践祚と即位の二段階に似たような形だと感じました。

なお、自分で皇太子などキーワードに調べたところ、嫡出長男子の継承は、明治22年頃の皇室典範で定められたのであって、嫡出長男子優先というのは法制化されていない(おそらく伝統でもない)と感じました。ご指摘のとおり、皇位継承は法制化しないことで、明治時代に至ったということになります。有難うございました。

2022/12/01 10:11:26

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