https://ameblo.jp/syuukitano/entry-12751453183.html
https://note.com/sae_easy/n/n88de6ede0ac8
日本の公務員の仕事の遅さというのも大きいと思います。
少数派云々はあまり関係ないと思います。
もともと日本の戦前までの国策は「富国強兵」です。
そこにはマイナス要素の排除も含まれます。
戦後すぐには混乱期であり、多少の余裕が出てきた頃にアメリカからの影響で始まったのが少数者や弱者への配慮です。
公共施設のバリアフリーなど当然ながら予算の限界があります。
障害者が少数派なのは、どの国や地域でも同じですから、日本においての対応の遅れの理由にはならないです。
20世紀後半になるまでどの国や地域においてもバリアフリーなどという概念は一般的ではなく、1970年代ごろから欧米主導で急速に対応が進みました。
この背景については割愛しますが、日本がそれに追随できなかった理由は、敗戦からの復興タイミングと重なったことと、都市計画の問題が大きいです。
日本では、敗戦で焼け野原になった国土を早く復興させる必要から、戦後、地方から大量の人口が都市に流入しました。その結果、過密な都市設計になりました。
その状態でバリアフリー化をすすめようとしても、地価は高く、改築で使えない間の代替施設も確保できません。また、日本では、交通機関も過密ダイヤかつ定時運行が重視されるため、車いす乗降などによる遅れが許容しにくいという事情もあります。乗車率200%レベルのラッシュの電車に場所を取る車いすが乗れるかというと単純に無理ですし。
実は、日本でもバリアフリーのガイドライン自体は1980年代からできていて、特に地方では新しくできる公共施設はバリアフリーになっていました。しかし、すでに建物や設備が飽和している都市でバリアフリーを実現することは物理的に難しく、高度成長期に作られた建築物が老朽化して建て変えるタイミングの1990年代後半以降になってようやく対応できるようになったということかと思います。
また、障害者福祉という観点においては、戦勝国と敗戦国で社会的感情が違うというのもあるかもしれません。
日本では戦争は「消したい過去」「歴史の暗部」として扱われ、戦争で障害を負った傷痍軍人は家庭でひっそり介護され、なかったことにされました。福祉の受け皿も乏しく、街頭で物乞いをする傷痍軍人も1970年代までは普通に見られました。
一方、戦勝国では戦争で障害を負った軍人は「国を守った英雄」です。特にアメリカにおいてバリアフリーが進んだのは、第二次世界大戦→朝鮮戦争→ベトナム戦争と戦争が続き、負傷兵の社会復帰ニーズが大きかったというのがあると思います。若く体力があり社会的にも尊敬される立場の障害者がたくさんいたからバリアフリーに割く予算がとれたというのもあるのではないでしょうか。まあ、フランクリン・ルーズベルト大統領は車いすでしたし、それ以前から障害者が尊重される風潮はあったのかもしれませんが。
コメント(1件)
餓死する国民が珍しくない状況では福祉に使う銭があるなら生産に回せ・・・ってのが常識だったし、それで正しいと思う。
もっとも、自分が弱い高齢者になるであろう超高齢化社会ではバリアフリーはありがたいし若者の犠牲も我慢できる。