匿名質問者

何の取り柄もない人でも社会の役に立てますか?

顔も悪い、頭も悪い、スタイルも悪い、美術ができるわけでも音楽ができるわけでも8理科や数学や英語などができるわけでもない、社会や国語ができるわけでもない。なにか突出した能力があるわけでもない。仕事につながるような特技があるわけでもない。
そういうひとでも、社会の役に立てますか?もう生きる意味とは何でしょうか。何のために勉強して高校行って大学行って。高校に行くのは将来のため大学のため。じゃあ大学に行くのは?何のために?きらいな勉強も高校のため?大学のため?社会のため?何もできない人のその先は?
顔がいい人やスタイルがいい人はモデルで活躍できるかもしれない。頭がいい人は研究などで役に立てるかもしれない。美術はいろんな方面で活躍できる。音楽も活躍できる。なにか突出した能力がある人はそれを伸ばして活躍できる。

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  • 終了:2023/01/07 11:15:22

ベストアンサー

匿名回答1号 No.1

現実問題として、世の中の大多数の人間はそんなたいした才能なんてないです。

学生時代にちょっとスポーツや勉強や芸術が出来ても、多少褒められるぐらいのもので、専門職につかない限りは実際に社会生活を過ごす上でその能力を使うことはありません。


本当に一握りのすごい人はメディアを通じてたくさんの人に影響を与えたり、社会を動かすことができるかも知れませんが、普通の人にとって「社会の役に立つ」ということは、目の前にいる誰かの役に立つことや仲間と協力することです。

どんなにすごい人も、その人一人では活躍できません。すごい人がすごい活躍をするには、普通の人が大量に必要です。

映画でいうと、監督や俳優はわかりやすくすごい人ですが、スタッフロールを見るとそれ以外にもたくさんの人が関わって制作されていることがわかります。さらに、その映画を配信したり映画館で上映するために計画を立てたり手配するたくさんの人がいます。そして映画館で働く人たちもいますよね。すごい人だけではなく膨大な「普通の人」がいて、初めて映画が多くの人に届くのです。

普通の人にとって「社会の役に立つ」ということは、目の前にいる誰かの役に立つことや仲間と協力することです。社会には表舞台に立つような仕事だけではなく、本当にいろんな仕事があるので、いろんな人を見てイメージしてみるのがいいかもですね。


なぜ学校で勉強するのかということの一つの答えなのですが、勉強自体も社会でやっていくための基礎知識として大事です。それ以上に、学校の勉強やテストは、目標を立てて勉強し努力するという訓練にもなります。(社会に出ても、やっぱり学ばないといけないことは多いのです)

また、学校生活で、誰かに協力したり仲間として一緒にいろいろな行事をやったりすることも大事です。

むしろ、社会人としてはそれのほうが大事かも。

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