匿名質問者

学校でも家でも特に問題も起こしていない子供に対して「殺してやりたい」という感情を持ち続け、実際に包丁で刺そうとしたり、階段から突き落とした実の父親の気持ちが理解できません。本人に聞きたくても、もうこの世にいません。一家団欒をしたことも、誕生日を祝ってもらったこともないので、家族同士がただの同居人という感じでした。どなたか父の気持ちがわかったら教えてください。精神科のカウンセリングも民間のカウンセリングも受けましたが答えは出ませんでした。父は精神病ではありませんでした。

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  • 終了:2024/08/10 01:44:17

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匿名回答1号 No.1

大変な災難でしたね。親が子供にそんな言葉を放ったり、凶器を向けることは、あってはならないことです。


「父は精神病ではありませんでした」と書かれていますが、精神科のみを受診して、脳神経外科は受診されなかったのでしょうか。

また、病院を受診されたのは西暦何年ごろの、何県でのことだったでしょうか。(これは『投げかけ』なので、答えて頂く必要はありません)


医療の世界は10年、20年違えば大変な前進がありますから、受診した当時、担当した日本人医師には知見がなく診断不可能だったとしても、アメリカを始めとして英語圏であれば症例研究と論文があり、病名が確立しつつあり、治療のアプローチが模索されているケースが多々あります。

たとえば、今やギャグ漫画の中でも目にする「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」(※wikipedia)は、頑健なはずのベトナム戦争帰還兵のアメリカ人男性たちの多くが一斉に発症したことから1978年以降に症例研究が進み、現在でも抗うつ薬として処方される薬は1988年に登場しました。

上記は、前提と補足です。


以下は、市井の読書家による想像に過ぎませんが、

お父さんは、外傷性もしくはトラウマ性のPTSDを抱えていて、適切な治療に辿り着けなかった(時代によっては、治療法も治療薬も日本に存在しなかった)ために、

良好で円満な人格と情緒を保つのが非常に難しい状態だった可能性が考えられます。

児童期の家庭生活や、軍属生活や、よほど運が悪ければ学校生活や勤務先で虐待を受けて、必要な手当てを受けられず、荒廃した精神状態で生きていかざるを得なかった可能性があります。


もしくは、子供を授かったことが全く意図しない計画外の妊娠であって、

子供を生かすために犠牲にしなければならない夢や生活が本人にとって絶大すぎて、不満や憤懣や呪詛が立場の弱い子供に向いていた可能性もあります。

本当は、育児と家庭生活ではなく、音楽や演劇やスポーツなどの夢に全力で邁進したかったのかも知れません。(そうであるならば厳重に避妊して、計画外の妊娠を阻止するべきですが)


あるいは、勤務先の労働時間・仕事の強度・睡眠時間が過酷で、職場の人間関係が極めて悪いと、人間は良好な人格と情緒をぐんぐん擦り減らします。

慢性的な過労と睡眠不足で、人格と情緒と自制心が底をついた状態で、弱い立場の子供につらく当たっていた可能があります。

現代では転職や労基署への駆け込み、退職代行サービスや弁護士利用が一般的ではありますが、根性論が支配する田舎だと、辞職や転職は物凄く思い切った行動になります。虐待を受けている人にとっては、状況と生活を動かすほうが何十倍も大変です。


以上、考えられる可能性についての想像の列挙、失礼いたしました。

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匿名回答1号

結婚して子供たちが生まれたことは、周囲の強い勧めがあったにしても、社会的に合意の上で至った状況だったんですね。

仕事の影響が考えられるとのことですが、どれほど極限まで心身がすり減っていても、みずから着手した家庭生活の中で授かった子供に包丁を向けたり、階段から突き落とす実の親は、いくらなんでも異常事態です。

仕事以外「にも」原因があるに違いありません。

もし存命であれば80過ぎとのことですが、1942年前後の生まれというと、戦争を経験した親のもとで育った子供が多い世代です。質問者にとってのお爺さんが徴兵されて、むごい戦地を経験したうえで復員(帰還)されたなら、それこそ戦争経験のPTSDによる酒乱、フラッシュバックにともなう発作的な錯乱状態で妻や子供を時には凶器で痛めつける男性が多くなります(この現象に、人種・民族・時代は関係ありません)。

戦争経験のPTSDとフラッシュバックを背負いながら、現象への理解も、病名も、治療法や薬も存在しなかった父の暴力にさらされて育った質問者さんのお父さんは、その子供時代の体験によってPTSDを背負うに至り(この連鎖も、人種・民族・時代は無関係に発生することが最近の研究では判っています)、仕事の多忙さとあいまって自制が困難だったのではないか……と想像します。

お父さんは無趣味だったとのことですが、自発的で創造的な興味に基づいて探究や行動をすることは、心身が健康かつ、少しばかりの余裕があって初めて成り立つ非常に高度なことですから、

「本当は夢を追いたかったが周囲がそれを許さなかったために諦めざるを得なかった意志の固い人(わるく言えばエゴイスト)」であったとしても、

「親に起因するか、もしくは家庭以外で負ってしまったPTSDによって、発作的かつ衝動的になってしまった」どちらであったにしても、

実の子供に包丁を向けたり、階段から突き落とすような荒廃した精神状態では、趣味を持つのは困難だろうと思います。

2024/08/06 00:12:53
匿名回答1号

当初の回答で一緒に貼り付けようかと思いましたが、とっさに作者名も作品名もわからず、

たまたま今夜見つけたので、参照いたします。現在40歳前後の孫娘にあたる方が、戦争体験のPTSDをもつ祖父と父の家庭生活を、とてもわかりやすく描かれた漫画作品です。

●尾添椿:祖父から聞いた満州と戦争の話(全31ページ)

https://x.com/ozoekkk/status/1747170485648216099


●尾添椿:「私たちに「戦後」はなかった」(祖父の戦争由来PTSDの話)

https://x.com/ozoekkk/status/1824014217273565516

2024/08/16 01:45:16

その他の回答2件)

匿名回答1号 No.1

ここでベストアンサー

大変な災難でしたね。親が子供にそんな言葉を放ったり、凶器を向けることは、あってはならないことです。


「父は精神病ではありませんでした」と書かれていますが、精神科のみを受診して、脳神経外科は受診されなかったのでしょうか。

また、病院を受診されたのは西暦何年ごろの、何県でのことだったでしょうか。(これは『投げかけ』なので、答えて頂く必要はありません)


医療の世界は10年、20年違えば大変な前進がありますから、受診した当時、担当した日本人医師には知見がなく診断不可能だったとしても、アメリカを始めとして英語圏であれば症例研究と論文があり、病名が確立しつつあり、治療のアプローチが模索されているケースが多々あります。

たとえば、今やギャグ漫画の中でも目にする「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」(※wikipedia)は、頑健なはずのベトナム戦争帰還兵のアメリカ人男性たちの多くが一斉に発症したことから1978年以降に症例研究が進み、現在でも抗うつ薬として処方される薬は1988年に登場しました。

上記は、前提と補足です。


以下は、市井の読書家による想像に過ぎませんが、

お父さんは、外傷性もしくはトラウマ性のPTSDを抱えていて、適切な治療に辿り着けなかった(時代によっては、治療法も治療薬も日本に存在しなかった)ために、

良好で円満な人格と情緒を保つのが非常に難しい状態だった可能性が考えられます。

児童期の家庭生活や、軍属生活や、よほど運が悪ければ学校生活や勤務先で虐待を受けて、必要な手当てを受けられず、荒廃した精神状態で生きていかざるを得なかった可能性があります。


もしくは、子供を授かったことが全く意図しない計画外の妊娠であって、

子供を生かすために犠牲にしなければならない夢や生活が本人にとって絶大すぎて、不満や憤懣や呪詛が立場の弱い子供に向いていた可能性もあります。

本当は、育児と家庭生活ではなく、音楽や演劇やスポーツなどの夢に全力で邁進したかったのかも知れません。(そうであるならば厳重に避妊して、計画外の妊娠を阻止するべきですが)


あるいは、勤務先の労働時間・仕事の強度・睡眠時間が過酷で、職場の人間関係が極めて悪いと、人間は良好な人格と情緒をぐんぐん擦り減らします。

慢性的な過労と睡眠不足で、人格と情緒と自制心が底をついた状態で、弱い立場の子供につらく当たっていた可能があります。

現代では転職や労基署への駆け込み、退職代行サービスや弁護士利用が一般的ではありますが、根性論が支配する田舎だと、辞職や転職は物凄く思い切った行動になります。虐待を受けている人にとっては、状況と生活を動かすほうが何十倍も大変です。


以上、考えられる可能性についての想像の列挙、失礼いたしました。

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匿名回答1号

結婚して子供たちが生まれたことは、周囲の強い勧めがあったにしても、社会的に合意の上で至った状況だったんですね。

仕事の影響が考えられるとのことですが、どれほど極限まで心身がすり減っていても、みずから着手した家庭生活の中で授かった子供に包丁を向けたり、階段から突き落とす実の親は、いくらなんでも異常事態です。

仕事以外「にも」原因があるに違いありません。

もし存命であれば80過ぎとのことですが、1942年前後の生まれというと、戦争を経験した親のもとで育った子供が多い世代です。質問者にとってのお爺さんが徴兵されて、むごい戦地を経験したうえで復員(帰還)されたなら、それこそ戦争経験のPTSDによる酒乱、フラッシュバックにともなう発作的な錯乱状態で妻や子供を時には凶器で痛めつける男性が多くなります(この現象に、人種・民族・時代は関係ありません)。

戦争経験のPTSDとフラッシュバックを背負いながら、現象への理解も、病名も、治療法や薬も存在しなかった父の暴力にさらされて育った質問者さんのお父さんは、その子供時代の体験によってPTSDを背負うに至り(この連鎖も、人種・民族・時代は無関係に発生することが最近の研究では判っています)、仕事の多忙さとあいまって自制が困難だったのではないか……と想像します。

お父さんは無趣味だったとのことですが、自発的で創造的な興味に基づいて探究や行動をすることは、心身が健康かつ、少しばかりの余裕があって初めて成り立つ非常に高度なことですから、

「本当は夢を追いたかったが周囲がそれを許さなかったために諦めざるを得なかった意志の固い人(わるく言えばエゴイスト)」であったとしても、

「親に起因するか、もしくは家庭以外で負ってしまったPTSDによって、発作的かつ衝動的になってしまった」どちらであったにしても、

実の子供に包丁を向けたり、階段から突き落とすような荒廃した精神状態では、趣味を持つのは困難だろうと思います。

2024/08/06 00:12:53
匿名回答1号

当初の回答で一緒に貼り付けようかと思いましたが、とっさに作者名も作品名もわからず、

たまたま今夜見つけたので、参照いたします。現在40歳前後の孫娘にあたる方が、戦争体験のPTSDをもつ祖父と父の家庭生活を、とてもわかりやすく描かれた漫画作品です。

●尾添椿:祖父から聞いた満州と戦争の話(全31ページ)

https://x.com/ozoekkk/status/1747170485648216099


●尾添椿:「私たちに「戦後」はなかった」(祖父の戦争由来PTSDの話)

https://x.com/ozoekkk/status/1824014217273565516

2024/08/16 01:45:16
匿名回答2号 No.2

包丁を子供に向けるとは、、今の時代なら捕まってしまう事案ですね。サイコパス的な方だったのかもですね。サイコパスは見た目やIQでは判断できないのですが、考え方は常人の理屈とは異なり常人には理解ができません。お父様の気持ちを知りたいというお気持ちはすごくわかるのですが、常人のあなたはお父様が本当の気持ちを言ってたとしても理解ができず、お父様が何かを隠して嘘や冗談をいってると勘違いし永遠に悩むことになります。。人間同士なら気持ちがわかると思わずに諦めたほうが良いです。

匿名質問者

回答ありがとうございます。

参考になります。

2024/08/05 03:38:18
匿名回答4号 No.3

https://www.amazon.co.jp/dp/4098254352

虐待する親は、目の前の子供の行動が引き金となって、怒りの感情が噴出します。

子供が、自分(親)に被害を与えていると言う強い認識があります。

子供が自分の言う事を聞かず(悪い事をしている)

子供が自分を困らせている

子供が親を馬鹿にしている

子供が親を傷つけている

と言う認識が虐待の基礎となっています。

匿名質問者

回答ありがとうございます。

2024/08/07 16:30:42
  • 匿名回答3号
    匿名回答3号 2024/08/05 12:03:04
    「父親」だと「俺の子じゃない」という案件が思い浮かんでしまいます。

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