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2014/08/03 19:26:48

江戸時代の転封や改易につ、金森重勝を初代とする金森左京家を例に質問します。①金森藩(飛騨高山藩の時代に、高原郷3,000石として藩内で成立したそうですが(藩領内分与)にて、この時は、幕府の直臣(旗本)ではない、つまり、飛騨高山藩家臣の身分と理解してます。高原郷は飛騨高山藩の領地の中であったということですね。この理解で正しいでか。②次に、高山藩が出羽上山へ転封になった際、この、高原郷は、そのまま金森藩の領地だったんでしょうか(出羽上山藩の飛び地として)。つまり、まだ、藩領内分与であって、出羽上山藩主の家臣の扱いでしょうか。③その後、出羽上山藩は、転封で、美濃郡上藩となりますが、金森左京家は、幕府直臣にはならず、美濃郡上藩家臣のままの筈。やはり、高原郷は郡上八幡藩の飛び地の扱いだと思います。④美濃郡上藩改易のとき、金森左京家は、主家が領地召し上げなのに、どうして、3000石を維持できたのでしょうか。しかも、幕府旗本になっていますから、身分上昇みたいです。幕府から特別な配慮があったのでしょうか。

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