[哲学的問いとして] 記憶を選択的に容易に消すことの出来る方法が発明されたら麻酔は本質的に不要ですか?
(仮定の質問のためショック死や患者が暴れて困るなど臨床的な問題は無視します。また、施術も全て本人の意思とします。)
をす
例えば、麻酔ることなく手術し、その後、その記憶を消すことと、麻酔をして記憶をさせないことは同じ事でしょうか?
ると、
言い換え記憶は忘れてしまえば無かったことと本質的に同じですか?
他の例ですと、寝ているときに見た夢はただの妄想だから、起きて覚えていれば非道徳な事をしたら問題が、忘れていれば問題ない?覚えている記憶のみ問題になるのでしょうか?
他の事例ですと、嫌なことを経験(脳が思い出として記憶した状態)、その後、とある技術で自身で自身の脳の記憶を改ざんしてその嫌な記憶を削除します。もし
くは、嫌な経験を避けてそもそもそう言った記憶が残らないようにします。質
この両者に本的な違いはあるのでしょうか?
更に推し進めると、個人にとって死ぬとそれまでの経験があろうと無かろうと同じ事ですか?
[脳科学・哲学的な問いとして]
「5億年ボタン」という矛盾について。
「5億年ボタンを押すと、今から5億年の間完全な孤独で暮らす事になる。その後に全ての記憶を消して5億年前(ボタンを押す時点)に戻れる。戻った時に100万円貰える。あなたは押しますか?」
ある見方では5億年を孤独で暮らすという地獄を味わうとも言え、別な見た方では一瞬で100万円が貰えると言えます。
押す、押さないを書き、何故そのような判断を導き出すのか教えて下さい。
※私の例えが下手で、良い例えを教えて下さる方がおられましたので、大幅に改訂させて頂きました。もし、古い質問をお知りになりたい場合は、変更履歴をご参考下さい。変更日2016-01-16