どのレベルで回答をして良いのかが判断できません。セルフサービスさんの年齢はお幾つでしょうか?どのような課題なのでしょうか?
太平洋戦争というからには第二次世界大戦の中で、真珠湾攻撃から原爆投下、ソ連参戦に至るまでの日本と米中の戦いについて語るだけでも良いのでしょうが、現実問題として、太平洋戦争は日独伊の枢軸軍と米英を中心とした連合国が戦った第二次世界大戦の中での局地的な戦闘と見るべきです。
そう考えると太平洋戦争の原因というのはそれこそアヘン戦争に代表される中国の植民地化といった歴史の流れについて本来語られるべきであって、太平洋戦争開戦前に発生している幾つもの考え方の違いだと説明しきれないのが本当です。
もっとも学校の先生の考え方が私とは違っているだけかもしれませんが。
お急ぎのようなので4つだけ考え方の違いを紹介しておきます。
一番目は東条英機を総理大臣にしたことでしょうね。天皇は陸軍の暴走を抑えるために東条を指名し、東条もそれは理解していたのですが、帝国陸軍も外国も逆に開戦を意図しての指名だと捉え、帝国陸軍は中国への侵攻を進め、外国は日本に対する包囲網を狭めてしまった。
二番目はハル・ノートに対する扱いです。アメリカは交渉案の一つとしていますが、日本は最後通牒と考えました。
三番目は中国への侵攻、満州国の設立ですが日本はソ連に対する防壁つまり安全保障のために行いましたが、他国は植民地化の一環と考えました。
四番目は表現が難しいのですが、日韓併合を例にするとそれまで欧州の諸外国が行ってきた植民地化政策と日本のそれとは根本的に違うんですね。欧州のそれは奪略の対象です。ですから、欧米の植民地化はインフラの整備なんて行いません。農場を作ってそこで現地人を奴隷としてこき使って、できた作物は本国に送ってというやり方です。
日本は、韓国を日本の国として取り込もうとしました。そのため、教育もちゃんと施しましたし、朝鮮半島の電力需要を賄えるだけのインフラも整備しています。
ところが、連合国はそれが理解できません。自分たちが行ってきた占領政策と同じだと考えました。
基本的にはキリスト教圏の拡張政策と日本の権益が衝突したと言えます。
植民地の取り合いで戦争が起きた。
ちなみにドイツはプロテスタントが強い。
戦後のきれい事を並べた言い訳には事後処理の意味合いがあります。
アメリカは多くの植民地を獲得し、フィリピンなどその典型ですが、その後の自由化の進展によって、ほとんど全てを失いました。
ナチスドイツにも出資していた国際金融資本などの黒子の存在もあって、現在でも真相を隠そうとする努力が続けられています。
情報を希薄化しようとする努力ですね。
そのテーマなら、日本人の素直さ、真面目さと外交関係の無知さが原因です。明治維新以後の、結局欧米諸国には追いつけなかった日本の発展を交えて纏め上げると良いでしょう。
かのチャーチルはこんな事を言っています。
「日本人は、何をしてもニコニコしている。我々が酷い事をしてもニコニコしている。それならともっと酷い事をすると、彼等は急に別人の顔になって襲い掛かってくるのだ」
考え方の違い云々というよりは、外交に関して無知だっただけです。
ABCD包囲網。1941年に東アジアに権益を持つ国々が日本に対して行った貿易の制限に当時の日本が付けた名称。「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字を並べたものである。これが原因の一つです。