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キリスト教国であるアメリカは、1945年8月9日、長崎市にあるキリスト教の教会、浦上天主堂上空で、プルトニウム型の原子爆弾を爆発させ、きわめてたくさんの人々の命を奪いました。

このことについて、アメリカの誰か要人が、浦上天主堂の関係者あるいは、ローマカトリック教会の要人に、謝罪したことはありますか。

写真は高瀬毅著「ナガサキ消えたもう一つの原爆ドーム」。昭和30年代になって、アメリカが浦上天主堂の焼け残った跡を、解体させようとした裏話が出ています。

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●質問者: ShinRai
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

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1 ● kitiko
●0ポイント

アメリカは日本に謝罪する気は現在でもまったくないようです。オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことで2年ほど前にも揉めましたが、現在でも公式に謝罪したという記録はありません。もしそうならば賠償金が支払われてしかるべきだとおもいます。


http://freefairy.blog84.fc2.com/blog-entry-615.html


ShinRaiさんのコメント
ありがとうございます。 敵国日本に対して謝罪していないけど、もしかしたらキリスト教同士で、ローマとワシントンDCの間で、何かあったかもしれないと思っての質問です。

ShinRaiさんのコメント
間違って長崎の浦上天主堂に爆弾を落としたのだとしたら、なおさら謝罪すべきではないでしょうか、教会に対して。

imazunomiyaさんのコメント
悲しい事と存じます。今度韓流居酒屋を韓国の若手の人達とオープンしますよ!良い人いっぱいですよん(*´ω`*)

imazunomiyaさんのコメント
謝罪はされていますよ。表立たない国何です。フランス風何です。 勝ち負けの焦点がまさに江戸の敵は長崎で何です。ともあれ心は健やかに(/´△`\)金さんが悲しみまする(*≧∀≦*)

2 ● imazunomiya
●0ポイント

先日、同じような話題をお友達とお話しておりました。鹿児島からカトリックが伝来したと考えて、長崎は出島。やはりプロテスタント伝来なのかもしれません?とイメージすると、カトリックとプロテスタントの争いもあったのかもしれません。私はアメリカに謝罪を度々要求するのは日本人らしい行いだとは思いません。賠償金の請求をするなど、はしたない行為だと考えます。いつからそんなはしたない国民性になったのか、恥を知るべきです。今や日本も経済的な発展を遂げました。これもアメリカの支援によるものです。過ちを繰り返さない為の平和の働きかけに、銭金言うなんて恥知らずです。街に住む個人、集落、地域、市町村と協力しあい助け合う事でしょう。賠償金の変わりにハウステンボスに日米共同開発の太陽光りよう巨大な飛行船を観光インフラに飛ばすくらいがいいですよね?理由は簡単、未来の子供たちに争いの芽を残さず、平和を愛する気持ちを繋ぐためです。賠償金も未来の町の発展に繋げないならただのゆすりたかりと同じ。恥知らずな運動で冷ややかに軽蔑され、逆に町の発展を妨げるのでは?


ShinRaiさんのコメント
ご意見ありがとうございます。 私が言いたいのは、日本人を殺すのはよいけど、間違って浦上天主堂に原爆を落としたのだったら、謝罪していてもおかしくないということです。 これはどう思いますか

質問者から

アメリカは、いまだに進化論を学校で教えないところがあるくらい、教条的・狂信的なクリスチャン国家です。

その国が、間違って、自分たちの信じるキリスト教のアジアにおける本山を原爆で爆破したのに、何もしていないとは思えないのです。



つまり、日本に落としたのは正当だったが、浦上天主堂に落としたのは、間違いだったというべきではなかったかと思うのです。


3 ● MEI-ZA-YU
●100ポイント

George Zabelka(ジョージ・ザベルカ)神父※は、間違いだったと反省し謝罪しているようです。
原爆40周年スピーチなどで。日本へ一団で巡礼にも来ています。

※第509連隊(原爆を投下するだけの任務を負った千五百人の陸軍航空隊)の
カトリック従軍牧師

http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/new_page_19.htm

http://www.k3.dion.ne.jp/~kyo-page/Zabelka.html

http://www.yugi.mydns.jp/~haga/church/koeda/20060806koeda.htm

http://www.lewrockwell.com/orig6/zabelka1.html

http://urx.nu/1JRN


MEI-ZA-YUさんのコメント
追記です。 http://e-walking.net/es/es034.html >> 原水爆反対の平和の巡礼を続け、アメリカの各地で講演し、原水爆禁止世界大会の平和大行進にも参加した。 <<

ShinRaiさんのコメント
ありがとうございました。 ほっとしました。ザベルカ神父の存在を知らなかったので、教えていただいて本当にありがたく思いました。

ShinRaiさんのコメント
「日本の帝国主義が二百年の間になし切れなかった迫害を、米国のキリスト教徒たちはたった9秒間でやり遂げた;長崎の信仰集団は一掃されたのだ。」 これは衝撃的です。 江戸時代は別に帝国主義ではなかったですが、その禁教の時代を生き抜き、明治維新の後の厳しい時代を生き抜いたキリシタンたちを、もっとも残忍なプルトニウム型の核兵器で殺戮するとは、本当に恐ろしいことだとおもいます。その気持ちをもった方が一人でもおられたことに安心しました。逆にいうと、それ以外のアメリカのクリスチャンは、いったいどのような心をお持ちなのかと疑問に思います。

MEI-ZA-YUさんのコメント
アメリカの政府関係者や要人では謝罪した人はいないようです。 キリスト教とか浦上天主堂だからという事ではないでしょうが、 他にフロイド・シュモーという人もいます。友人の牧師と来日もされています。 http://jmgm.org/sugimura/chapter_6_4.html http://masuda901.web.fc2.com/page2bx125.htm http://nicoviewer.net/sm16807295 http://kisyastyle.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-8479.html >■シュモー氏■ 広島平和記念公園の原爆慰霊碑のそばで燃え続けている「平和の火」が、初めてアメリカに運ばれたのは1984(昭和59)年の8月だった。 ロサンゼルスで開催中の夏季オリンピック大会にあわせて、反核平和を世界の人々に訴えようと、米国の市民団体が五輪主会場に近いマッカーサー公園に「平和の火」をともしたのだ。日本の被爆者を慰霊する目的もあって、広島原爆の日にあわせた平和集会がアメリカで開かれるのは、もちろん最初である。集会は「サバイバルデー(生存の日)」と銘打たれた。 今もなお、原爆投下の正当化論が大手を振るうアメリカながら、被爆39周年の夏は米国人も一律でないことを印象づけた。「良心のアメリカ人」は原爆の日の広島でも見られた。 「平和の鐘」の音が鳴る8月6日、長身で牧師のような優しさをたたえた白髪の老紳士が、原爆死没者の霊に花を供えた。ワシントン大学で森林学の教授を務めたフロイド・シェモー氏(88)だった。 シェモー氏は米軍が広島に原爆を投下したとき、シアトルにいてラジオのニュースで知った。マッカーサー元帥に手紙に書かずにはいられなかった。 「原爆は非戦闘員を巻き込んだ無差別殺戮です。私は被爆地に入り、苦しんでいる人々に救いの手を差しのべたい」 しかし、広島訪問が実現するのは4年後の夏だった。この間、シェモー氏は全米を回って集めた基金4000ドルを携え、友人の牧師らと5人で広島入りした。教授職を投げうって平和運動に身を捧げた森林学者は、緑の消えた街に深い悲しみと恐れを抱いた。 「原爆を投下した国の国民として、ただエクスキューズ・アス(ごめんなさい)ではすまない」 体力を奪われた被爆者に代わり、家屋の設計と建築を手伝ってもらえる日本人を探した。こうして4年間に住宅20戸と公民館1棟を建てる。広島市を通して被爆者や遺族に提供され、「広島の家」と呼ばれた。これが日本最初のワークキャンプである。 広島市は、失意の市民に勇気と希望を与えたとして、シュモー氏に名誉市民の称号を贈った。原爆の日の式典に招かれた氏は、ロス五輪の夏に来日した。 原爆慰霊碑の向こうの原爆ドームに目を向けると、傘寿のシュモー氏は語気を強めた。「原爆投下は人類史上、もっとも愚かな行為だった。それを平気で繰り返そうとするかのように、超大国は核兵器を持ちたがる。どうしてヒロシマの体験から学ばないのか」 シュモー氏は内なる原点に立ち返っているようだった。「平和の鐘」を鳴らす高校生の姿を見つめているうちに目を細めた。確信に満ちて言った。 「子どもたちに人間の貴さ、平和のありがたさを教え続けよう。彼らがきっと、戦争のない世界を実現してくれるにちがいない」

4 ● Baku7770
●0ポイント

別に教会に限ったことではありません。

ジュネーブ条約は全ての文民への爆撃を禁じているのであって、キリスト教徒への爆撃を禁じているのではありません。
仮に浦上天主堂への爆撃は誤りであったと認めることは、同時に多くの文民に被害を加えたことを認めることと同義であってアメリカは絶対に認めません。

逆にお尋ねしますが、湾岸戦争・イラク戦争で多くのイスラム教徒の真上から爆弾を投下していますが、それを理由に今度はイスラム教徒がキリスト教徒であることを理由に日本のキリスト教徒を殺害しても認めますか?


ShinRaiさんのコメント
お尋ねの意味がわかりません。 また、質問の趣旨に合っていない回答だと思います。

Baku7770さんのコメント
キリスト教徒だから謝罪を受ける権利があるとお考えのようですが、そのような主張をネット上に書き込める神経が逆に理解できません。 当時からハーグ陸戦条約で一般市民への爆撃は禁じられていましたので、広島や長崎への原爆投下や東京大空襲のような都市への絨毯爆撃は違法なんですよ。逆に日本は、軍需工場を含めた軍事施設への爆撃を目的としていた頃、撃墜したB?29に乗っていた乗員は捕虜として丁重に扱われました。しかし、目標を都市全体に変更してからは戦争犯罪者として処刑しています。 アメリカが特定の宗教信者に被害が及んだからその宗教団体だけにでも謝罪するということは条約に違反していることを認めたと言うことを意味します。だから、そんなことはしないし、出来ないと申し上げています。さらに加えれば原爆の投下は大統領命令、国家として行った行為でしたからね。絶対に謝罪しません。 質問の意図はキリスト教徒だから殺されたら謝罪しろというのはその宗教の信者のエゴであることを理解していただきたいと言うことです。 極論だと思われるかもしれませんが、特定の宗教の信者に対する殺戮が罪なら、特定の宗教の信者による異教徒への殺戮は正義となってしまいます。キリスト教はオウム真理教と同じですか? 湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争で多くのイスラム教徒が亡くなっています。 アメリカは謝罪していないわけではないですよ。攻撃ヘリの乗員が一般市民に向けて発砲し、その画像を面白がって公開した馬鹿がいましたからね。遺体に小便した兵士も同じです。全てジュネーブ条約に違反していた兵士がいたといった内容に限定されています。

ShinRaiさんのコメント
発言のご趣旨はわかりました。 私が言いたかったのは、ナガサキは小倉を狙っていたのに、小倉が曇っていたから、たまたま爆撃したという通説を前提に、そんな偶然のいたずらで、カトリックの本山を攻撃するなんてあるのだろうかという質問です。 もし、謝罪がないのなら、最初からナガサキを破滅させる意図が働いていたことになります。それは、何故? と思うのです。

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