奪われたのではなく、ポジションを譲ってあげたと考えてはいかがでしょう。
バレーボールはチームプレーです。個人のタイトルはなく、チームの勝ち負けが優先課題です。
チームにとって少しでも勝つ可能性が高まるのであれば、後輩にポジションを譲り、自らはベンチに下がって応援する側に回ってもいいじゃないですか。
社会に出ても同じことが言えます。
自分が黒子に徹することで会社や組織のメリットになるなら、檜舞台はそれに適した後輩に回すのが社会人としての正しい在り方です。
疲労骨折を起こすまで、自主練を頑張ることが出来たというのは、物凄く努力家だということです。
若さゆえに、限界を超えてしまったということですよね。
そこまで努力できる人と言うのは、ほとんどいないので、誇ってよいと思います。
思い出しただけでいてもたってもいられなくなる過去がある。
それを思い出したとしても、心が揺さぶられないようになりたい
過去にとらわれて消極的になったり、今に集中できる状態を変えたいということでしょうか。
自分も、20才前後の時には、忌々しい記憶に囚われていたように思います。
それから10年くらい経ち、過去に揺さぶられることは減りました。
それは、過去に向き合うというよりも、新しいことに出会ったり
自分の行動範囲が広がったことによる部分が大きいように思います。
自分の経験が増えていけば、自分の中に占める部活の割合は段々薄まります。
気持ちが揺さぶられることは、これからもあるでしょうが
今の日常でちょっとずつ頑張ることが、未来の気にしない自分につながると思います。
スポーツという面だけの一部分に過ぎません。
自分の力を発揮させる場所は仕事などでもできますし、ほかに発揮する場所がなくても影の存在として支える役として力を発揮すればいいのではないでしょうか?
目立つ役が必ず主役ではありません。