私が親ならテストの勉強ができるからといって必ずしも会社に就職できるとは限らない現在なので勉強に関しては何も言わないです
それより人との接し方を学ばせていきたいです
しかし、いくら子供に上記のような人生を歩まないようにするために頑張ってもどうしても非正規雇用にだってなる場合というのはあるので子供が一生懸命頑張って仕方なく
非正規雇用になったのなら何も言わずに応援します
今の職場で非正規雇用から正規雇用になれるように「仕事はうまくいってる?」とか聞いたりします
確かに親としてはちゃんと就職をして欲しいと思いますが、必ずしも人生うまくいくとは限らないと思いますので
ちなみに子供には正規雇用だから偉いとか非正規雇用だから劣っているとかそういう偏見を持たせないようにします
某国立T大学で○○学の博士号をとったけれども、ちまい会社でチマチマ働いている人達を知っていますが、学校の勉強でトップをヒタ走っても、親が納得するような人生を歩んでいくとは限りません。
それよりか、子供が充実して生きていけるように、小さい頃から十分にコミュニケーションをとって、自分の考え方を理解させるようにしていくことが大切だと思います。
勉強が嫌いならさせるつもりはないです。
子供の人生は自分で決めるものなんで早めに自立させたいです。
しかし、それは高校生以上の問題です。
中学生までは義務教育なので勉強させます。
成績が良かったら、まず褒める。
前回も良く、今回も良ければ、今回も頑張ったねと褒める。
でも、褒めるばかりでなく、現状をキープするため、さらに上を望むため、継続して努力することを教えるべきでしょうか。
当たり前と感じてしまうと努力を怠ってしまうかもしれません。
成績が落ちてきたとき、褒められた記憶があれば頑張れる気力になるかもしれません。
ま、そんな簡単にいきませんけれど。
本人の資質にもよりますし。
でも、頑張ったら褒められた。自分自身も達成感を感じた。この状態を持続させたい。もっと上を望みたい。と思えると良いですよね。
勉強ができると、社会に出て立派になれるかどうかはともかく。
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あるぴにっくす ●91ポイント ベストアンサー |
その増田文、僕も読みましたが「自分が親だったら」視点というのは斬新ですね、目からうろこりました。
いわゆる結果主義、成果主義の話なのかなあ、と僕なんかは感じました。
ベイリーさんの意図とずれていたらごめんなさい。
元増田の文章からは「結果こそ全て」という成果主義にどっぷりつかった感がにじみでています。
恐らくテストの点数(私の時代だとセンター満点800に対して何割とれたか、が学生の唯一無二の指標、なくらいの純度でしたが、そういうの)それも結果系に対して、人間がランク付けされているんでしょう。そう意識していなくても性根に刷り込まれてるんですね。
この手の話のカウンターとしてすぐに想起されるのが「サラリーマンの年功序列から成果主義評価の導入」とドゥンカーのろうそく問題です。
どちらも結果系に対してのみ、評価を与え続けると、人は経過を軽視して短期結果のみに注力するため、長期的で実行力のある成果があがらなくなる、というジレンマを教訓として与えています(一側面として、なので実はそうではない、という面ももちろんある)。
で、何がいいたいかというとごく当たり前のことですが「人を育てる過程での評価軸は、結果系は軽視し、プロセス系に注力すべきである」ということです。
リンク先にも紹介されていますが、能力を開発する過程においては「100点をとった結果よりも」「100点を取るために努力した時間・労力」を褒める必要がある。高業績を上げた結果よりも他人が思いつかなかった発想を称えるべきである、ということです。
自分自身うまくできているとは言い難いので天唾なのは承知ですが、子供を褒める時にはそういった点を念頭においてはいます。
でも難しいですよね、時間的にも、心情的にも(親ですもん)。
とはいえできる限りは結果だけを見て子供を評価せず、経過にも介入するようにしています。