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a-kuma3 ベストアンサー |
興福寺の阿修羅像のことを言われているのですよね。
教科書にも載っていたような気がするし、一般に阿修羅というとそちらのイメージの方が強いのでしょうか。
ぼくは三十三間堂の怖い顔の阿修羅像が、阿修羅のイメージだったりします。
いや、本題。
ネットで検索してみると、元々、阿修羅像が安置されていた西金堂を創建した光明皇后にからめて、母の冥福を祈って(母・橘三千代の一周忌で建てられた)、とか、娘の阿部内親王をモデルにしたとか、書かれているのをちらほら見かけますが、個人のブログや某QAサイトの回答だったりと、ネタ元を示しているのが見つからないんですよね。
まあ、諸説あるということなのでしょうが、引用元が無いと、どうにも信用できません(パンフレットにでも書かれているのかしらん)。
「諸説」の中で、有力な説なのかどうかは分からないのですが、探した中で、それなりに信用できると思えるところをふたつほど。
ひとつめは、阿修羅像が現在安置されている興福寺国宝館の元館長である小西正文さんの弁です。
その阿修羅の像の顔について、小西氏は「荒々しい心が迷いから目覚め、愁眉(しゅうび)を開きつつある顔つきです」と話しています。
http://nara-well.net/course/specially/item_1099.html
もうひとつは、ちょっと古い本なのですが、美術史家の金原省吾さんという方が書かれた「美の構造」という本からです。
うまく要約できないのですが、「純潔の性質を表現したもので、日本の表現の基底形だ」というようなことが書かれています。
国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で読むことができます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260297/94
旧字体だったりで、ちょっと読みにくいかもしれませんが、お暇があれば読んでみてください。
p173の前後に書かれています。
# 美術や歴史に詳しい人がいそうな気もするので、出現することを期待します... (>ω・