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「徳川幕府が、禁中並びに公家諸法度を出した」、これはどういう根拠で出されたと考えるといいですか。征夷大将軍としても、内大臣としても、これは越権だと思いますから、別の理由(権限)が必要です。
これは、いつ廃止になったんですか。「正式に廃止という通知はでていないが、なし崩しに廃止となり、大政奉還で完全に消滅した」という風に感じます。日本史の中では、廃止は何年ごろという風に扱っているか、これも知りたいところ。

どうぞよろしくお願いします。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

公家や皇家は本来ならがん首並べて餓え死にする所を武家の捨て扶持で養ってもらっていたのですから、否応無しですね。
それも数百年以上に亘って。

朝鮮系の大和朝廷が変質して、平安の頃から治安や軍を放棄した、その無政府状態の後始末をしたのが軍事政権である武家の諸勢力です。
貴族&皇族は本来なら数百年前に滅びるはずでしたが、生き残ったからと言って数百年以上前に軍事的に達成した権力が戻ってくるわけではありません。
法律というのは、それを支える実力がなければ変人の戯言のようなものです。

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