創造論を信じている専門家(専門家でなくとも)は進化論は妄信だと考えていることが多いと思います。
「人間を含む万物が無から偶然に生じることはあり得ない」
というような考え方です。
神話・寓話・伝説・学説 ? おなじ意見の者が群れるわけ ?
〔起〕
人種差別は奴隷制度と植民政策の手段で、工業規格(JIS規格など)
は物理数学の目標である。前者はゆらぎ、後者はゆるがない。
この設問は、賛同する回答者と、賛同しない回答者を分断対立させる。
…… >「廃藩」によって「脱藩」という熟語が生れたことになります。
そういう文献がどこかにありますでしょうか?それを問うている質問です。
http://q.hatena.ne.jp/1273673596#c178539(20100516 21:20:09)
はてな原理主義では、万物に正解があり、出典を提示すべきとする。
文献があっても、実体(origin)があったとは限らないのだが……。
すると、無神論・進化論・資本論にも、原典がなければならない。
〔承〕
進化論の典拠は《種の起源》で、創造論の原典は《創世記》である。
親しい仲間うちで、冗談のあいまに論じるのではなく、見知らぬ読者
に対して発言するには、少なくとも二つの原典に目を通しておくべきだ。
わたしの人生における友人知人で、この二冊を読んだ可能性のある者
は、二人の職業的聖職者(牧師と哲学者)だけである。その他の秀才達
(最高裁判事や衆議院議長など)は、読むべき必然性がなかったはずだ。
カナダとカンヌ(プロテスタントとカトリック文化圏)定住の楽友や
凡百の同級生達は、すでに属してしまった集団が「さきに結論ありき」
とするテーマについて、もはや議論する意欲を失っているようにみえる。
〔転〕
……… この書物の全体が一つのながい議論なのであるから、主要な事実
と推論とを簡単に要約しておくことが、読者のためにつごうよいであろう。
── ダーウィン/八杉 竜一・訳《種の起源(下)19791220 岩波文庫》P185
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…… 人類の起源と歴史に光が投げかけられるであろう。
これがダーウィンが人類について述べた全てだった(Wikipedia)。
(これを、反対派は「サルが人間に進化した」と、要約して宣伝した)
Aの子孫はB?Zまである。AがCを経てZになったり、DからEの
段階で止まった例もある。FがGに進化した証拠がなくても、すべてが
同じ起原(共通の胚)から発したことを否定できないとする。
〔結〕
ガリレイの《天文学対話》は、丁重な献辞と慎重な叙述で出版された。
スパランツァーニは「生物には親がなければならぬ」と主張した。
近年のローマ教皇は、婉曲に譲歩しつつあるが、奇蹟だけは譲らない。
……… 民族・祖国・宗派の異なる人々と、会って話そう。
http://q.hatena.ne.jp/1471346337#a1258510(No.2 20160818 12:19:21)
そもそも論 ? いそがしい人よむべからず ?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850102 理科と数学
中学3年間で学ぶ5教科を、新聞紙大のカレンダーにまとめました。
http://q.hatena.ne.jp/1473307841#a1258974(No.3 20160909 06:23:29)
人間の思考力は無限でもないので、常に考え続けることはできない。
たとえば睡眠という思考中断でさえ人体には必ず必要だ。
致死性家族性不眠症 - Wikipedia
眠れないまま数年たつと、ストレスで死んでしまう。
麻薬をつかったりして無理に思考できる状態をながびかせることもできるが、
「思考」が暴走して妄想となったり、ひいては麻薬性精神病となる場合も多い。
なんでも・いつでも、考えればよいというものではない。
「教育」とは画一だ。宗教も多くの人を教育する目的で創始されたものだ。
それが邪魔だ、盲信を生むといいたいのがこの質問だろう。
たしかに、「大人になったら」自分の思想にはできるだけ責任を持てたほうがよい。
でも、そのための試行の時期としての青春は、オーバーロードしすぎて精神病を発病しやすいから
「負荷」を増やす一方では絶対にいけない。
不要な「考えろプレッシャー」が多すぎる。
25歳ごろまでには生殖に備えて体も急激に変化する。
実際出産をする人もいる。
生殖は考えてコントロールしようとしても
どうにもならない部分も多い
(これを昔の人は「案ずるより生むが易し」といった)
ので、
もうすこし自分自身を信じて成長を待ち(=あくせく考え過ぎないで)、
ゆったり構えたほうがよいのでは、と思える青少年も多い。
また知的思考力は体力のように、遺伝である程度限界は決まる。
今、学校や会社で、せいいっぱい学習し、働いて生きている人にも、
これ以上「考えろ負荷」を増やさなくても良いと思う。
ここを見落として画一や休息を敵視する専門家の言うことなどは
信用しなくてよいだろう。
「先人の肩に乗る」という言葉がある。
先人の知恵や判断を参考にすることで、労力が少なく先に進むことができる。
それがよほど万能な知恵なら、画一的であっても
みんなで一度はトライしてみるのが得策だ。
世の中には絵の上手い人がいる。どうして絵が上手いのかというと、上手に奥行き情報とか時間の推移を遮断できるからだ。
(奥行き情報や時間の推移を敢えて全く遮断せずに書いた絵のことをキュビズムという。
キュビズムは一般人が見ると「わけがわからない絵」になる)
同じように「うまく思考する人」とは、この情報過多の時代にあって、
自分に不要な情報やそれが引き起こす思考を遮断でき、
いつまでも健康にくらせる
「分別」をもった人のことかもしれない。
分別は画一であるかどうかとは別次元のことだ。
むしろ画一を恐れていては、
健全な思考をすることはできないというべきだ。
(この本には、生まれつき思考力が低い人が存在するという事実について記載されている)
自分のキャパシティを超えない限りで、毎日少しずつ新聞を読む、
テレビニュースを見るなどで
世界の情報を得、思考の幅をひろげるのはもちろん良いことだ。
今後新聞が紙束として自宅にとどけてもらえなくなったとしても、できる人は続けて欲しいと思う。
みなさん、ご回答ありがとうございます。
uniformity という英単語を見ていて、いろいろと気になってしまったのですが、日本語の「画一」は個々の事情を考えないという悪いニュアンスでしか使われないんですね。英語のuniformityは「均一なもの」の意味で良い意味にもなると読んでいて、ついごっちゃにしてしまいました。
ただ、だいぶ前に某学習サイトでこの単語に抽象的ながらぞっとする不吉な感じの画像が添えられていて、意に反して印象に残っているのですが、カルト集団か洗脳か妄信か?そんなものを漠然と暗示していました。英語のuniformityもそんな嫌な印象が強いのかなと思います。
原発のことは私も、推進してきたエリートたちは洗脳でもされていたのだろうかと思いたくなります。いくらなんでも火山列島に原子力発電って、正気の沙汰じゃなかったですよね…。火山のあるなしに限らず、やめて欲しいですけど。
ほかにも、ちょっと考えれば当たり前のことが、なぜか人の意識から抜け落ちているようなことがいろいろ、例えば、対処療法しか知らない医者は原因に目も向けようとせず、気づかない患者も患者なんですが、その患者が気づけないのは親が見ていて知っていながら、治すべきということに気づかなかったから、その子供である患者も成長後も治すべき原因になかなか気づけないままでいるのです。
なので、教育の必要性は多大にあると思っています。
論理的思考を個人に任せるという意味ではなくて、特に基本的なことは、ものの道理、筋道をそっくり教えるのです。たとえば、人の嫌がることはしない、人の気持ちを荒げてしまったら謝る、というのは誰もが言えることですが、謝る理由となると、あまり言える人はいないと思います。私もたぶん子供の頃、「ごめんなさい」と言いなさいと言われて育ったのですが、自分の体験と漠然と感じていたことと、たまたま読んだ「相手の気持ちが癒されなければ謝ったことにならない」という言葉のおかげで、その通りだとすっきり納得できました。
画一が良くないというより、私が気になるのは、画一ために陥りやすい、教える内容の密度の問題なのかもしれません。
果たして「考えなくなる」ことが問題かどうかは疑問です。
例えば、こちら
http://q.hatena.ne.jp/1454150161
の私の書き込みを保健所あたりの人に見られて「室温13℃ではいけない」と言われて「保護」(左翼がよく使う「」の用法、もっとも左翼でなくても「イスラム国」と書くときに使うが)されて20℃に暖房した施設に強制収容させられる世の中になったら、もちろん私自身は困りますし、それだと適材適所もできなくなります。そちらこそが問題です。ついでに言うと保健所に見つかると困るからその質問に答えられなくなります。私は室温13℃で何の問題もないのですから、それを治すのではなく逆に食品流通過程に転職を志せばいいのですし、実際そうしています。色々と難しいですが。念のため、知恵袋あたりで寒いのを気にする人が出没する職業は論外。
こちら
http://q.hatena.ne.jp/1470299480
はネタにマジレスしましたが、果たして公務員が考えなくなり私人は考えるかどうかは疑問です。
それから、「車を運転する際にどちら側を通るか」は考えても仕方がありません。それは決められたとおりにしないと危険ですから、そのとおりにしなければなりません。「たとえ」それが独裁者が決めたものであろうと侵略国が決めたものであろうと、革命や独立の後においても維持しないと混乱を招きます。