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警視庁の歴史ですが、Wikipediaで、「1874年(明治7年)1月15日、鍛冶橋内旧津山藩江戸藩邸に設置され、旧薩摩藩士の川路利良が初代大警視(後の警視総監)に任じられた。」「警視長 - 三等、以下、大警視 - 五等、権大警視 - 七等、少警視 - 八等、権少警視 - 九等、権大警部 - 十等、中警部 - 十一等、権中警部 - 十二等、少警部 - 十三等、権少警部 - 十四等、などの官等と職制、事務年程が制定された。」と書いてます。
?警視庁のトップは、このときは、大警視(五等)なんでしょうか。それとも、警視長(三等)なんでしょうか。警視長だとすると、警視庁の初代のトップは、川路利良ではないことになりますが、だとすると、初代のトップは誰になるんでしょう?
?ここでの「三等」とか「五等」とか、これは三等官の意味でしょうか? それとも、三等出仕という意味でしょうか?
?「三等」と「五等」の間の「四等」は存在しなかったのでしょうか?
?このとき、警視庁トップは、誰の下なのでしょう。内務卿のすぐ下なのでしょうか。
?現在の警視総監は、役職であると同時に階級です。当時の警視庁トップの名前(大警視or警視長?)は、役職と同時に階級なんでしょうか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E8%A6%96%E7%B7%8F%E7%9B%A3

警視総監(けいしそうかん、英称:Superintendent General)は、警視庁の長の職名且つ日本の警察官の階級の最高位の名称。定員は1名。

近代警察制度の黎明期である1874年1月15日、東京に内務省の機関として東京警視庁が設置され、その長には、後年「日本警察の父」と呼ばれた川路利良が任命された。長官の呼称は「警視長」「大警視」と名を変えたが、1881年1月14日、警視庁が再び設置された際に「警視総監」と定められた。


分かるのはこれだけ。

他の質問の答えは参考文献に『警視庁史 明治編』というがあるので
これになら書いてあるかもしれない。
もしその本が書かれた60年前ですら判明してないのであれば、
今調べたところで正解は見つからないと思う。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございました。参考文献の件もありがとうございます。
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