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谷村新司さんがお亡くなりになりましたが、彼の歌手以外の功績にラジオのDJ活動があると思います。

1.一般リスナーからネタ投稿を募集して楽しむスタイル。
2.歌手が本業を離れてパーソナリティを務める。

1については1972年10月に有名な投稿3段落ちである「欽ドン」と全く同時に始まっており、どっちが先なのか?(質問論点1) この投稿文化は今日のクラウドコンテンツ思想の原始にあたるもので文化史的に非常に重要です。

2については英米のシンガーでもレギュラーDJ枠を持っておしゃべりする文化があるのか(質問論点2)?(多分無いし、聞いたことがないのだが)

以上回答コメントにつきましては、質問論点1,2以外のみならず、関連派生することでも結構です。

●質問者: minminjp2001
●カテゴリ:学習・教育 書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● figamere

視聴者から投稿を受け付けるスタイルのラジオ番組は、1960年代からはじまっていて、当初は局アナがDJで音楽リクエストに加えてリスナーからのメッセージも受け付けるようなスタイルだったのが、芸人やミュージシャンがDJを担当する番組が増え、リスナーの面白ネタ披露の場になってきたという流れで、今に至ります。

1970年の時点では、リスナー参加型の人気番組である、オールナイトニッポン、MBSヤングタウン、セイ!ヤング、といった番組はすでに始まっていました。これらの番組の歴代パーソナリティの顔ぶれを見ると、時代の変遷がおぼろげにわかります。

谷村新司は関東のセイ!ヤングと関西のMBSヤングタウン、両方にレギュラー枠を持つ人気DJでしたが、彼がリスナーからネタを募集するスタイルを考案したわけではありません。

一方「欽ドン」は 1960年代にテレビの覇者だったコント55号が落ち目になり、テレビでの芸に限界を感じた萩本欽一が、当時流行り始めたラジオにブレイクスルーを求めたものです。テレビでは司会者として素人をいじり、ラジオでは素人のネタをうまく料理して笑いにつなげる、これが80年代の再ブレイクにつながったのかとも思います。

どちらが先という話ではなく、それまでにすでに下地があって、その上でそれぞれに花開いたののではないでしょうか。

ちなみに「天才秀才バカ」と「良い子悪い子普通の子」は似ているようですが、後者は80年になって始まったテレビの欽ドンのネタなので時系列的にはズレがあります。ついでにいうと「天才秀才バカ」も、リスナーの投稿から自然発生したスタイルらしいです。

2について、海外の事情はよくわからないので割愛します。

ただ、日本においてミュージシャンがラジオ番組をやるのは、本業を離れるというよりは、本業の延長として捉えられているように思います。ライブのMC同様にファンサービスという側面もありますし、本人の曲をかけたり、ライブの告知などプロモーションの場でもありますよね。


minminjp2001さんのコメント
投稿ありがとうございます。 >視聴者から投稿を受け付けるスタイルのラジオ番組は、1960年代からはじまっていて ここを知りたいんですが、60年代までは放送作家(前田武彦等)や演芸作家(秋田實等)のようなプロフェッショナルがネタを作り舞台にかける仕組みだったはずですが、広く無名多数からアイディアを募るという番組があったのですか?教えてください。ちなみに単なる「お便り+リクエスト」「身の上話+リクエスト」の類は別のジャンルになると思います。私が着目しているのはそれ自体が単行本再収録として商品化されるようなジョーク小噺の類を無名不特定多数から組織的に募るような手法です。

figamereさんのコメント
「リスナーから組織的にネタを募る番組」の多くは、本来は「音楽リクエスト番組」で、その中の「名物おたよりコーナー」としてウケたものがシームレスにネタ枠として育っていったものと考えています。 最初からリスナーからネタをつのり面白いことをしようと始められたものではなく、あくまで自然に人気が出た→ウエイトが上がったという流れかと思います。 私がリアルタイムで聞いていた1980年代のMBSヤングタウンにおいても番組の最初は電話リクエストのコーナーでしたし、多くのリスナー参加番組は、基本は「楽曲をリクエストする番組」という枠組みの中で作られています。 そう考えると、最初からネタ中心の番組という意味では「欽ドン」がオリジンということになるかもしれません。そこから伊集院光の「深夜の馬鹿力」などに至る、純粋に「ネタ+話芸」の番組というのがあり、ミュージシャンやDJがリスナーからのリクエストに対して曲をかけつつ、読者のネタを紹介して面白い話もする番組というのもまた別にあるという理解をしています。

minminjp2001さんのコメント
一番気になるのは1972年10月に2つ同時に類似の番組が始まっているということですね。裏でツルンで一大キャンペーンのような動きがあったとしてもそれは当時のスタッフサイドの証言でも無い限り知る由もない。投稿三段落ちとしては萩本の方が先なんですかね。

figamereさんのコメント
1972年10月というタイミングに大きい意味があるかというと、多分ないと思います。 ■セイ!ヤング(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4!%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0 谷村新司ははしだのりひこの後任パーソナリティです。要は関西フォークつながりです。 アリスはその年の春にメジャーデビューしています。前年「花嫁」が大ヒットして多忙なはしだのりひこに変わって、トークもできる売出し中のフォークミュージシャンということで番組改変に合わせて後任に採用されたのでは? 「セイ!ヤング」自体は、リクエスト音楽とパーソナリティのおしゃべりとリスナーからのおたよりで構成される深夜番組で、その年に生まれたわけでもないし、歴代パーソナリティを見てもそこからお笑い路線になったわけでもないです。なので偶然の一致にすぎないと思います。 あと、ラジオ時代の欽ドンは三段落ちに絞ったネタの募集はしてないです。リスナーから募集していたのは、だいたい会話形式のシチュエーションコントです。 三段落ちの「良い子悪い子普通の子」シリーズはテレビのほうのネタで、それは1980年代になってからです。なので、萩本欽一のほうが先ではありません。 深夜放送がお笑い路線を強化していったのには欽ドンの影響があるかもしれませんが、三段落ちについては関係ないと思います。

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