難しい問題ですね。当時いろんな説がありました。
こちらの方は「フィジカル・コンタクトの技術」を磨いてほしいと、そこに問題点を見出しています。
『日本代表のようなコンパクトフィールドで押し合いへし合い、ボールと人が行ったり来たりのゲームでは、「フィジカル・コンタクト」は高頻度に起こってくる。そして「フィジカル・コンタクトの技術」における成長を期待した監督と、自分のボール技術でそれを止揚しようとしたテクニシャン。どちらが正しいというわけではない。ただ、考え方が違っただけなのだ。』
怪我と言うよりはトルシエとの確執がやはりあったのではないかというふうに思ってます。
こんな議論もありました。
『中村>三都主とならなかったのは、ペースチェンジのことを考えると「サイドはタイプの違う二人をそろえる」と言う意味だろう。怪我のことも影響はしているだろう。』
『それぞれの選手は「ポリバレント」であり、ここで上げた「各ポジションに2人」と言うのも便宜的なものである。とはいえ「ポリバレント性」は「状況対応の幅をさらに広げる」というべきもので、それに頼って各ポジションのバックアップを減らすわけには行かない。』
『もしも三都主を落としたら…、それは“物語”的に、ある意味中村以上のかっこうのバッシングネタとなったでしょう』
私もこのへんが理由ではないかと思っておりました。
中村のポジション、左サイドまたは司令塔は三都主はもとより小野、中田、小笠原、服部もできるし落選したけど本山もいる、タレントが豊富で、その中での競争を考えたときに、他のポジションでは使えない中村にはFKという飛び道具をもってしてもアドバンテージがないという判断だったのではないでしょうか。
みなさんどうもありがとうございました。
おかげでいろいろな予想がでてきました。
本当にありがとうございました。