たぶんそれは、「方法序説」の内容を、相当にかみくだき、だいぶ都合のいいように「意訳」された表現だろうと思われます。
出来るだけそれ近い表現で解説しているサイト捜しにてこずりましたが(笑)、
上記サイトのページ中ほど、
■ 支会長コラム 第13回「ヨイ加減とイイ加減」 木村 博光
>ところでコンサルタントは実践の世界に生きる人ですから、ここでなんとか
好い加減に結論へ落とし込んで、行動を起こすことが大切です。「イイ」加減な考え方ではありません。「程の好い」加減です。
古代中国では、こうした「程の好さ」を「中庸」と呼んでいたそうですが、
これがなかなか分かりにくい。下手をすると「右と左を足して二で割る」とい
った折衷主義にはまる恐れがあります。ホントの中庸とはそんなものではない
らしい? のですが。
>近世の夜明け、フランスにデカルトという人がいました。彼は「方法序説第3部」の中で次のような意味のことを言っています。
「オレは生涯かけてやりたいことがウンとある。それに勢力を集中したいん
だ。その他の事柄について煩わされるのはカナワン。・・・で、オレはこう決
めた。世の中のもろもろについては、世間から信用されている人の言うこと、
や世の中の慣習、法律などにいちいち細かい異を立てないで、それに従うこと
にしよう。これによって日常的なことはテキパキと判断しよう、これが賢い生
き方なんだ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000071807/hatena-qsp-22
Amazon.co.jp: 方法序説 (ワイド版岩波文庫): デカルト, Ren´e Descartes, 谷川 多佳子: 本
Amazonの「方法序説」カスタマーレビューから
>わたしのすきな部分の一つは、根元的に 疑うためには 常識的な 中庸を 日常生活では とることにして 、どうでもいいことについては、 いったんきめたことは うじうじ 悩んで 右往左往せず 決めたとおりに やる、というところ。
最後に、「意訳」されていないものを、
第3部 の項
>デカルトは、第一に「わたしの国の法律と慣習に従う」こと。第二に「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従う」こと。第三に「運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努める」こと。これらは真理の探求を継続するための一時的な方針であり、行為についての懐疑論を回避するための方策である。
外していましたご容赦ください。
失礼しました。