URLダミーです。
あのう、デカルトはダ・ヴィンチのように多芸多才だった人なんですね。で、そういう人が方法序説などで、一貫して言うのは、物事を緻密に細分化してみろ、ということです。
いわば、もっともポピュラーな科学的手法を編み出した点が、デカルトが偉大とされる所以です。未だ超えられない障壁とも言われてますが・・・。
結構常識の部類に入ると思うのですが、いわゆる物心二元論の始祖として広く知られているのではないでしょうか。
失礼ですが、伝聞でものを言うのは止めたほうがいいと思います。
まず、ザッとで済ませますが、中庸と言うのは、中国の故事や古典で語られる概念でしょう。公平無私、バランスが取れていることを是とする。全ての中央に属するので、文字通りに現れている。(先に断っておきますが考慮された結論を出すと言うことを意味しますので、中途半端というのは批判にあたりません。)
デカルトは確かにマルチな才能をもっていたから、「共通部分はある」と言うまとめが出来ると思います。彼もバランスを取ろうとしたと想像できます。しかし、彼の著書に中庸と言うキータームが出てきたりするわけがないと思いますが。
おそらくバランスを取るという意味の別の言葉か、中庸と言う言葉を、デカルトの発想と対比して何か意見を言った人物がいたのではないですか。そういう比較検討はよく用いられる手法です。
彼らのように慣れるかは別としても、努力の一環として広く知識に手を広げている人一般に対する偏見を持つ誰かが、自分の偏見を正当化するために「いいかげんな人ほど成功する」などという、わざわざ手の込んだ悪い冗談のような主張に組替えたんではないですか。
実際、成功とは何か、人によって定義が異なるような多義語をデカルトが不用意に著書に残して、いわゆる「成功の秘訣」みたいなことを言っているとも信じがたいです。
ですから、誰がどういう読解をしたにせよ、それを誤読、誤解、誤聞(故意に!?)した人間からさらに情報を得ても、それをもとに質問しても、「真の意味で」時間の無駄だと思いますし、あなたも馬鹿を見るだけだと思います。
はっきり言って、その伝え手の人間の解釈能力を超えない範囲での陳腐なデータに成り代わっているのが常ですよ。その「直接の」情報提供者に文句を言った方がいいと思います。あまりにも洋の東西を分けていな過ぎると思います。
ちなみに僕は自分なりにきちんと分けておりますので、僕がそのわけのわからない解釈者と知り合いではないと言うことだけは確かですね。あらかじめお断りしておきます。