私も狂言が好きなものですから、もう少し調べてみました。
先ず、「附子」の由来について。
上記サイト「飴は毒」の項に、
>この話は、13世紀の「沙石集」では小児が慳貧な房主の粘(あめ)をたべて水瓶を、近世寛文年間(1661〜73)「一休諸国物語」でも粘をなめて壺を、「一休関東咄」では蜜をなめて茶碗を割る。
狂言の「附子(ぶす)」では大名が黒砂糖を大毒の附子[とりかぶとの根を干した生薬]という。
とありますように、弘安六(一二八三)年 に出された無住法師の『沙石集』という説話集の中にある話を、一方では『一休頓智咄』 に書き換えられ、又一方では狂言『附子』に書き換えられたものです。
「沙石集」巻8 「児の飴食ひたる事」
これで全文かどうかわかりませんが、概略は分かるかと思います。
時代背景、ということで・・・
ページやや下、
「砂糖の日本小史」のなかで、 狂言「附子」について触れられています。
木下順二版「附子」の台本です。
「留守番小坊主(るすばんこぼうず)」
落語版です。
多少とも参考になればよいのですが、私はこれで。失礼致しました。