URLはダミーで失礼します。
お子さんの名前ですか。
これはおめでとうございます。
少しでもいい名前を贈りたいですよね。
お気持ち、わかります。
さて、姓名判断についてなのですが、
私は結論から行けば、神社の判断の方をお勧めします。
名前というものは言霊、音霊ですから、
そのいわゆる波動の響きというものは、
単純に精神的な影響を考えても、様々な影響が予想されます。
かっこいい名前、かわいい名前で呼ばれていれば、
それだけで子供は心地よいですものね。
ここに霊的なものが加味されてくれば、
これはいい言霊の名前でいい運勢を、
ということになってきます。
ただ、文字の画数というのは、日常生活では
音として発せられる名前より接する頻度が少ないですから、
どう考えてもそれが主体ではないということがわかります。
元来、陰陽道で文字の字画というものを鑑定する場合は、
あくまでこれを「図形」として見ていくんです。
護符を調製したりする時と同じです。
しかし、現在多く行われている「画数」による姓名判断は
文字の持つ図形としての霊的な意味を
極めて簡単な「画数」というものに簡略化して
要はマニュアル化したものですから、
そこに霊的な示唆を求めようとするには、
かなりの無理があるわけです。
それに、文字というものは時代と共に変遷していくものですし、
画数も当然時代と共に変遷していくものですから、
いくら旧字体といえども地球の歴史からみたら昨日のような時代に成立したもの。
そこから、万古不滅の天地の理法というものを読み取ることもできません。
で、ここからはそういう宗教的なことを離れての話なのですが、
これからの未来を生きる子供にとって大切なのは、
むしろ名前に込められた縁起よりも、
名前というものに込められた親の願い。
これだと思うんですよね。
「この名前はとても縁起のいい画数なのよ、
何人もの占い師にみてもらって決めたのよ」
と言われるのと、
「この名前には、こういう人に育ってもらいたいという
願いがこもってるの、精一杯の愛情でつけた名前なのよ」
と言われるのでは、いったいどちらが幸せでしょうか。
親の愛は、少なくともその子にとっては真実であり、
一生の間、不滅の宝となるものです。
自分に付けられた名前によって親の心を知り、
それに支えられて未来を生きられる。
子供にとって、これほどの幸せはないでしょう。
そしてさらに大切なことは、
命名という「儀式」の持つ意味です。
親として、子の名前を呼ぶたびに命名の日の記憶が甦る。
そして、再び初心に還り、わが子を見つめ、
親としての責務の原点に立ち返る。
命名にこめた愛と願いを片時も忘れずに育んでいくんだという、
命名とは、まさにそのための「決意表明」でもあるんだと思うんです。
陰陽の理で言っても、親の愛にまさる吉祥はありません。
愛こそは全ての穢れと邪気を寄せ付けぬ万能の結界なんです。
わが子は、わが子でありながら、天より賜った尊き命。
これを精一杯愛し抜き育て上げたいという願い。
その願いが祈りともなって込められた名前は、
どのような鑑定を経て編み出された名前よりも、
絶対に祝福に満ちているわけです。
鑑定も大切かもしれませんが、
それより前に、どういう願いを込めて名前を贈るか。
そこを重視していきましょう。
そして、最終的にいくつかの候補に絞られてきた時点で、
どれにしようかと迷った時に占い。
それでいいんだと思います。
少なくとも陰陽道では、まず親の願いを最優先します。
だからご両親のお名前なども鑑定に加味していくんです。
そして親の愛と願いが最も効果的に名前に宿るように、
生年月日やその時の天体の状態などをみながら、
最終的な鑑定結果を出していきます。
一般論の本に書いてあることとは重みが違いますから、
清明神社ならそちらを信頼して間違いないですよ。
あとは愛情。これで決まりです。