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ダミーです。
私は、自分の家が厳しかったので、体罰はありませんでしたが、
親が離婚して祖母と暮らしていましたが、
こういう環境だからこそ、ハンディ
がある分、
きちんとした生活をしなさい。
と、厳しくしつけをされていましたが、
今となっては、良かったと思っています。
自分の子供に対しても、厳しくしてしまいますが、
はっきりいって、周りの親は甘いです。
だからといって、学校で自分の子供が体罰を受けた場合は、激怒するかもしれませんが
常識のないと思われる
よその子供は、しっかり厳しい態度でしつけしてほしいと思ってしまうので、
この辺は、親として共通の価値観かもしれません。
私の、子供が通う画学校では、
あきらかに第3者が見ても、子供が悪いのに
それを厳しく叱った先生が悪者になってしまうことが最近ありました。
それからは、他の先生方も
PTAの反感をかわないように、顔色をうかがいながら指導しているのもはっきり感じられます。
体罰は、いい・悪いであらわすと
大変難しいですが
しつけが甘くなっているのは明らかだと思います。
先日、たまたま通りがかった黄色い帽子をかぶった小学校1年生の会話を聞いて
ゾ〜〜としました。
「お前、地獄に落ちろ」
「この世から消えろ」と同級生にむかって言っていました。
一定の規定・・・という体罰に対してのルールを決める。・・・というのも
なんだか、??という気がしますが、
厳しさがもう少しあってもいいと思います
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同じように体罰を受けたことがあり、屈折することなく育ってきたものですが、体罰がなくなってきたから、最近の子どもの質が落ちているという意見には賛成しかねます。
体罰を受けずに質の高い大人になった子どももたくさん見てますので、体罰の多い少ないだけを子どもの質に結びつけるのはどうかと思います。
現在欧米にいますが、体罰が厳しく取り締まられていく一方ですが、体罰がなくなっているから、子どもをのさばらせておくというのはまた別です。
体罰以外でも、十分子どもに罰を与えることはできます。
体罰を行わない=悪いことを許す ではないので質が落ちているのは、体罰だけでなく、悪いことを、容認しすぎることかもしれません。体罰は、罰を与える一方法に過ぎず、効果のほどは、千差万別です、あなたや私のような人だけではないことを踏まえると、どうでしょうね。 体罰を大手を振ってお勧めもできません。
私の場合は、打たれ強かったと申しておきましょう。
(今は褒め殺しされたいと願う大人より)
第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
本来はこれが条件です。
ただ、本音ではREBELLIONさんの意見に賛成ですね。
しかし、教室(学校自体?)が密室であり、この中で行われる行為が
恐ろしいと思います。家庭の中も同じですね。
結局は、その人間の持っている資質、モラルの問題だと考えます。
http://www.hatena.ne.jp/1093182945######
今、体罰がなくなってきていますが、体罰がなくなったことによって最近の子供の質が落ちています。私は学生ですし、体罰を少し受けたこともあります。私はそのとき正直に「.. - 人力検索はてな
体罰はなくなってきてることはないです、ただニュースにならないだけで
けっこう行われてますよ。
体罰をやめろというのは、その体罰によって心身的に不安定になることがある
ということから一部の体罰の与え方に対して言われているのではないでしょうか?
例えば、悪いことしたから殴る(ひっぱたく)という体罰を与えれば、
今後成長した時に、悪いことしてるやつがいれば殴って良いとか
曲がった性格になることだってあります。
私が昔、小学校の時に悪いことして与えられた罰は、
体罰とはいっても体育館のワックスがけの手伝いとか
裏の雑木林の落ち葉掃除とかでしたね。
少人数であれをやるのはかなり嫌になります。
さて現在、体罰(殴る方)を行う学校の先生や親は自分が
過去に受けた体罰の経験によるものだと言われてますが、
やっぱりこうは育って欲しくないですよね?
暴力行為な体罰ははっきり言って質を落とす落とさないには関係ないですよ。
むしろ悪い方に進ませてしまうことも。
叩かれるのが怖くて悪いことをしない、ではダメだと思います。歪みます。
不当な暴力や脅しといったものに立ち向かえない人間になるのではないでしょうか。
例えば私の通っていた高校では、体育教師が軽く体罰をするところだったのですが、みなその体育教師の前だけではいいこぶって(心では馬鹿にしつつ)、他の教師の前では悪いことをしていました。
別に体育教師は不当に怒っていたわけではありません、生徒が悪いことをした時だけであり、生徒を想ってやったはずです。
それでも「教師という生徒より権力を持った人間が暴力を使った」ということで、みな軽蔑していました。
でも怖いので表向きはいいなりでした。
何か歪んでいると思いませんか。
とにかく説得力と迫力があれば体罰は必要ないと思います。
普段は優しくおもしろい先生が、子供がやってはならないことをした時に烈火のごとく怒るのは、子供心に非常に強烈でした。
そういう時はなぜ悪いのかが胸に刻まれました。
ちなみに私は、教師に頭をコツンとこづかれるだけでも非常にショックを受けるような子供でした。
banned interdit verboden prohibido vietato proibido
私も体罰は賛成です。
問題は、体罰という名目の暴力・虐待が悪いのであって、体罰と暴力を区別できないひとは申し訳ないんですが頭悪すぎます。体罰は手段であり暴力は目的です。
私は小学生の頃いたずら小僧でしょっちゅうビンタ食らってましたが、その先生が一番好きです。
いたずらをしてばれると、先生は「お前らちょっと来い」と言います。これが凄いドキッとします。(笑)「自分がなにやったか分かってるよな?」当たり前ですが誰も口答えしません。「分かったらそこ並べ」横一列に並びます。左から順にビンタされていきます。
私は早く終わらせたいので一番左に並びます。(爆) 叩く前に「いくぞ」と合図をするのである程度覚悟を決められます。それぞれが目を閉じたり開けたままだったり様々です。悪さの程度のよって往復2発の時もあります。(泣)
でも恨んだことなど一度もありません、だって自分が悪いんだから。
うちの母なんか家庭訪問で「怪我しない程度に殴ってもらって構いません。」と宣言してました。
ちなみに私は20代後半です。
確かに鉄拳というものはそれ相応の覚悟と信念を持った人でなければただの暴力ですが、その原則が貫かれているのであれば効果的です。私も納得いかないビンタを食らった(違う先生)こともありました。もちろんその先生は大嫌いです。
私はそれによって実体験として体罰は紙一重であると言う事を知りました。そして、痛みを知るというのはとても大切なことです。「体罰を受けた→暴力的になる」であれば、20代後半以上はみんな暴力的ですよね?
口で言って分かるなら刑務所要らん。
大人でさえ分からないのにましてや子供には必要です。子供に善悪の区別が付くか?という研究で、このような証言もあります。
「当時の私はそれが悪いことだということは理解できなかった、ただ、それをすれば母親にこっぴどく叱られ殴られるということだけは理解していた。」
この人は、店から商品を持ち出せば犯罪と言うことがまだ理解できなかったが、母親に殴られるからそれをしなくなったと言っているのです。
ところでルイス・フロイトは面白い事を言っています。
「我々は鞭で打って息子をしかるが、日本ではそういうことは滅多に行われない。ただ言葉によってしかるだけである。」
戦国時代の庶民は、体罰をおこなうことがなかったようです。しかし、滅多に行われないだけであって、必要な時にはガツンとお灸を据えていたようです。そして、
「我々の子供はその立ち居振る舞いに落ち着きが無く優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞賛に値する。」
「ヨーロッパの子供は青年になっても口上のひとつ伝える事ができない。日本の子供は十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。」
としています。400年以上も前の日本は、体罰が無くてもちゃんと躾けられる文化があったようです。なんか物凄いことが行われていたような想像をしていたのですが、今よりむしろとても規律正しかったのですね。(性善説に寄る所が大きいのかもしれません。)
体罰がダメだという人は禅寺に行って坊主に説教垂れてみてはどうでしょうか?
繰り返しますが、体罰が悪いのではなく体罰という名の暴力が悪いのであって、躾という名の虐待が悪いのとほぼ一緒の事例だと思うのです。
性善説が完全に崩壊した現代では、ある程度の厳しい対応も必要かと思われます。
ダミーです。
私は今、小学生の進学塾でバイトをしています。
何百人という子供と接しますが、基本的に良い子ばかりです。(いう事を聞いてくれるのとは違いますが・・。時々こちらがおちょくられる時もあります^^;)
ただ、やはり子供のことですから、暴力沙汰になったり、授業中不真面目すぎて先生に教室を追い出されたりすることがあります。
その時は、その校付きの事務担当の先生が話を聞きますが、優しくはありません。
子供の話を聞いた後、それは君のどこどこが悪かったでしょう。分かってる?と、子供が納得するまで話を続けます。子供が嫌そうな顔をしても、分かってくれるまでやめません。こういう毅然とした態度が塾の健全な雰囲気を生むのかなと思っています。
体罰は、こうした徹底した話し合いと似たような効果(自分が悪いことをしたという気持ちにさせる)を短時間で引き出せるもの、と認識しています。ただ、体罰はやっぱり暴力なので、私は認めたくありません。教育に暴力を持ち込むという考えにそもそも抵抗があるのと同時に、時間が必要にしろ、話し合いという選択肢がある以上、そちらを取るべきだと思っているからです。
So-net | ホームページ
虐待と躾の論議になってしまいますね。
虐待は子供の気持ちを無視し、ただ暴力をふるうモノだと考えています。
躾とは時に体罰を含めて身をもって教えるモノだと考えています。
体罰というくくりで考え、すべてが暴力ということなってしまうのが今の世の中の風潮だと思います。
私は小学校や中学校の頃には体罰を受けて育ちました。
ただ、暴力と違うのは教師が生徒を叱るとき、本当に気持ちのこもったしかり方をしたということです。
今の教師のように気に障ったからだの、むかついたからだのといった体罰はありませんでした。
愛情を持った体罰はされる側は当然痛みを受けますが、する側にも多大な痛みがあると思います。
はたからみれば、大人が子供を殴っているだけに見えるそれも、大人だからちゃんと出来る手加減が加味されていたのだろうと思います。
今の子供達は体罰を含めて「子供だから許される」部分をしっかり理解してしまっていて、怖いという概念が薄いように感じます。
そして、痛みというモノを理解しないで育っていると思います。
自分が痛みを理解できないから、他人に与える痛みも理解できない。
過保護なのも痛みを理解できない理由の一つでもありますが、まず家庭で過保護すぎる部分があり、そして、学校という社会に出ても当然のように痛みを知らない中で過ごしていくのが、痛みを分かち合えない人間性を作る原因だと思います。
親の過保護が学校まで入りこみ、学校までが生徒にお世辞を使うようになるのは人間教育の場としての責任を放棄していると思います。
親は学校に知識だけを求め、しかし、問題が有れば躾をしないと責める。まず、今の親が問題かと思います。
しかし、それらの親と同じ世代の人間が教師になっている状態では、教育が知識だけになっても仕方ないのかもと思ってしまいます。
体罰に言及すれば、私はありだと思います。なぜなら、痛みを知ることもまた学ぶべき事だからです。
痛みで自分のしたことの重さを知り、後悔することを知るのは消して間違っては居ないと思います。
ただ、行き過ぎた体罰は危険だと思います。大人同士のケンカでも殴れば致命傷もあり得ます。体のできあがっていない子供に対して行き過ぎた体罰は危険だと思います。
一定の基準といわれると難しいモノがありますが、これは力加減がしっかりとでき、かつ、愛情をもって子供と接することの出来る本当の意味での「大人」であれば、体罰ではなく、躾の一環として実施できるモノだと思います。
長くてすいません。
私は小さい頃、よく父にしかられました。大きくなってからはありませんが、小さいときは平手で殴られたこともあります。
今でも、それは覚えています。体罰はしかられた内容よりも、その行為の方が印象強く残るので、あまり賛成できません。
しかし、最近の子どもは体罰以前に、しかられていない子が多いと思います。ちゃんと悪いことをしたときは流してしまうのではなく、そのときに教えてあげて欲しいです。
体罰に一定規定を設定するのは非常に難しいと思います。
仮に「拳で殴れば体罰で、平手なら体罰でない」といわれても、
力の加減にもやられた側の受け止め方にも違いは大きく出るでしょうから。
とはいえ、一定規定を設けなくとも或る程度の体罰は必須だと思われます。
誰にも力で罰せられたことのない子供を育てる方が恐ろしいです。
もしも体罰を受けた子供が将来大きくなったとき、その子供が繰り返す、なんていうのはあくまで想像に過ぎません。
いけないことをしたら激しく叱られた、そういう記憶こそが、
叱られた人が大人になった時に自分の子供に対して「それはいけないことだ」と教えられる筈です。
怒られたことのない子供が増えたからこそ、身勝手なガキがそのままオトナになってロクなガキを育ててないのは日々の新聞記事を見れば明らかじゃないですか。
結局は周囲が「度合い」を理解する以外にないと思われます。
(現実性のない解決策かもしれませんが)
子供に体罰を課す際には、その行為を客観的に判断できる人間が居ればいい筈です。
夫がやるなら妻が、先生がやるなら別の立場の先生が、同意/制止すべきです。
また与える側は、体罰が何故受けなければならないか、一体何が悪いのかを、
生徒や周囲が理解できるようにきっちり説明できる能力を身につけるべきです。
体罰が要らない、などと言う偽善者のコメントには全く同意できません。
そんな親の子供が一番怖いです。
こういう質問が出てくること自体が「子供の質が落ちていること」なのではないでしょうか。
本当にmayonakanightさんが体罰を受けたことがあるのならば、「相応の罰が必要」という言葉は出てこないはず。
体罰をされた子供は、「どうして僕(わたし)がこんな目に…」と思うはずです。
”しつけ”という名目で暴力を振るうというのも良くないことだと思います。
良くないことは「ダメ!」といって、きちんと教える。これが基本なのではないでしょうか?
何がどう「意味がない」のですか?
体罰をしてあざを作って教育をすればそれでいいのですか?
私はmayokananightさんの考えは間違っていると思います。
はっきりとした意見ありがとうございます!
普通は言ってくれませんよ
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URLはダミーです。
ある程度の、年になれば体罰は、必要ないと思います。しかし、効果的な体罰?(普段、まったく手を上げない人が、手を上げるなど)によって、自分の行動に対して、考えれるようなものは、必要だと思います。
慢性的な、体罰は憎しみしか生まれないように思うので、必要ないと思います
そうですかね…
私には憎しみが生まれなかったのですが
あざが残るほどの体罰はいけないと思いますが、どうしても行けないことは体で身をもって知らせる必要があると思います。一定期間残るあざが出来たかどうかで判断するのはどうでしょうか。親以外が怒るときは体罰は無理だと思います。
そうですか…
昔はよかったですね〜
私は賛成派です。確かにやり過ぎは良くないでしょうが、私の小学生の頃は先生も本気で怒ってくれていたと思います。友人に教師が何人がいますが、今は親やPTA、教育委員会がうるさく手をあげられないと言っていました。
最近思うのですが、精神的に未熟なうちに子供を授かってしまう人達が多いのではないでしょうか?家庭での躾がきちんと出来ていないため、諸問題が起きているような気がしてなりません。逆に、躾と言って子供を殺してしまう親もいるのですから、世も末だなって思ってしまいます。
おっしゃるように世も末です…
日本は終わりますね。
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今、体罰がなくなってきていますが、体罰がなくなったことによって最近の子供の質が落ちています。私は学生ですし、体罰を少し受けたこともあります。私はそのとき正直に「.. - 人力検索はてな
2度目ですが、思うことを追記しておきます。
もしも体罰を受けた子供が将来大きくなったとき、
自分が子供の時に受けた体罰について、どう考えるのでしょうか。
そんな大人がこの世に増えてしまったら…
どんな世界になってしまうのでしょうか。
その子供に、「自分の子供」ができたとき…。
どのように接する事ができるでしょうか。
ついつい、体罰と捉えることのできる行為をしてしまうのではないか?と思います。
これが常習化して、虐待、そして折檻へ…
どんどんエスカレートしてしまうのではないでしょうか?
体罰は絶対にしてはいけないこと。
最近だって、岸和田でも事件ありましたよね
そうですね…
自分の子供…
未来のことは分かりませぬ。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/kohyojoho/reiki_int/reiki_honbu...
体罰の禁止並びに暴力の否定について
ご紹介したページの中ほど、
「また、暴力否定の考え方が不徹底であるため、
たとえばクラブ活動等においても、
生徒間に暴力行為が行なわれる事実があつたことは、
教育上きわめて憂慮すべきことである。」
に注目してください。
体罰の皇帝は暴力の肯定につながり、
そこがまずい、ということなんです。
体罰の効果云々ではなく、
暴力否定の見地から、
その方法は使えないということであって、
家庭内においても体罰に代わる方法がある限り、
そのことが尊重されなければなりません。
確かに暴力につながりますね…
私も、体罰は悪いと一言で片付けてしまうのは、体罰と暴力の区別をしない、ただの怠慢ではないかと思います
それよりも 親が、子供に暴力をふるって、しつけだから、体罰が許されると一方的な弁をするのはそれこそ矛盾しています
家出の体罰と言うか、子供の虐待はあまり減ってないので、子どもをちゃんとしつけられる親が減った・・・と考えた方がいいのかもしれませんね
悪いことをして、お知りを叩かれたり、拳骨を貰うくらいのことであれば、「体罰」と言うよりは、『躾』の範疇かと思います
わたしの高校でも、文化祭の前日に、飲酒していた生徒が見つかって、全員並ばされてビンタ貰って親を呼び出されてましたが、それが体罰だと問題になったなんて話はありません^_^;
子供の人権を叫ぶあまり、躾を無視しているのが原因ですね
体罰だと問題視されるのを避けて、子供にちゃんと注意する先生も減っているんでしょう
それだけでがなくて、スキンシップの減少によって、手加減の出来ない子供も増えたような気がします、佐世保の事件もそうですが、浮浪者を撲殺したりする事件も、一昔前ではおこりえなかったのではないでしょうか
先生が1人だから、体罰かどうか判断することができないということもあるかもしれませんね
今は、担任の先生以外に、学年主任の先生などが責任を持つことになっているのでしょうが
副担任の制度を導入して、1クラスを2人以上の先生がしっかり見るようにすれば、行き過ぎた体罰も起こり得ないのではないかと思います
後、地域社会の問題で、近所の子供に回りの人が気を配らなくなった・・・というのも原因の一つだと思うので、地方自治体が地域社会の強化にも力を入れてくれるといいのですがね・・・
地域活動がね…
http://members.at.infoseek.co.jp/ete/
体罰を改めて考えるホームページ
逆に私は、教育というものに対して無神経な人が多いと思います。例えば医療ミスをすればその医師のクビが飛ぶだけでなく病院丸ごとの問題になり叩かれますよね? 子供を育てる、ということはその子供の将来、人生に関わってきます。病院であれば「人一人の命」であるのに、学校で「子供の人生」と言う人がいないようです。PTAが「先生も悪気があってやったわけじゃ」と庇ったという話もあったりします。過失でも医療ミスはミスです。教育にも気を遣って遣い過ぎということはありません(だからといって過保護になれと言っているわけでもないです。
まず大根でも育ててみましょう。太くまっすぐに育てるのはけっこう難しいですよ? 殴っても言うこと聞いてくれませんし。子供が大根より簡単なワケないですよね?
なるほど。やはり私の考えは甘かったようです。
ちなみにこの自称教育者「池上公介」が書いてる事はイカれています。一見まともな事を書いてるようですが、彼の言っている事は矛盾だらけです。
まず、”正直に「悪いことをしてしまった」と言う気持ちでした。”こう反省できる方は別に体罰でなくてもちゃんと反省できます。
必ずしも全ての教育者の人間性が優れているとは限りません。多くの体罰には自称教育者の自己満足が含まれます。
又、少しでも「体罰」を正当化してしまうと体罰と言う名の虐待がはじまります。
”一定の規定を設けたら、、”いい御意見だと思います。しかし、余りにも判断材料が曖昧過ぎます。人間の腕力を正確に測定するのは不可能です、全ての子供が犯した「悪さ」を平等に測るの不可能だと思います。
規定は無理ですね…
URLはダミーです。
質が落ちたのは、子供ではなく大人なのではないでしょうか。
子供、特に幼少の子供は、理由が理解できるように面と向かって教えれば、物事を一つ一つ理解していくものです。要は、子供が理解できるような教え方が出来る大人が少なくなったため、子供が暴走するのではないでしょうか。特に頭の悪い親は、子供のしつけは学校が行うものと勘違いをしている。子供のしつけは家で教えるものであり、学校は集団社会における調整の方法を含めた教育の現場です。これが理解できない親が多いから、子供のしつけが行き届かないのではないでしょうか。
しっかりとした家庭教育が出来ていれば、体罰の問題が発生しないでしょう。要はそれ以前の問題が解決していないのです。
なるほど。ありがとうございます
一応、ある程度の規定はある様ですね。
私は、親でもなく学生でもありませんが、『学校での体罰反対派、家庭での体罰容認派』です。
教師だって、きちんと相手の話を聞く姿勢が取れる子供に対して体罰を振るうことは無いと思います。
また、その年齢に応じての常識を持ち合わせていれば、体罰を受けるような行動を取ることも無いでしょう。
むしろ、きちんと話を聞ける子供に対しては体罰は絶対すべきで無いと思います。
そして、周りの人間を思いやれる子供、人の話をきちんと聞ける子供を育てるために家庭での体罰は必要だと思います。
…と、言うよりも家庭での正しい(?)体罰を与える親は、学校で子供が多少の体罰を受けても学校側を訴えたりはしないのでしょうね( ;^^)ヘ..
うちの家庭の体罰はすごいですよ。
もう懲りましたけど。小学校のとき7時に帰ってきたら飯抜きにされました。。。
昔の学校の先生は悪い事をしたらビンタしましたよ。男女関係なくね。今学校で長い間立たせたり、体罰したりしたら、親が騒ぎますね。馬鹿親が・・親が子どもを甘やかすから、子どもが我慢できない子に育ったりすぐ切れる子になったりするんですよ。子も子ならその親も親です。
私は子どもは皆どんな子でも悪い子はいないと思いますし、悪い事しても子どもは罪はないと思います。すべて悪いのはその親ですよ。反省するのは馬鹿親のほうです。なので個人的な意見ですが、時には体罰も必要なときもあるかと思いますが、その前にいくら体罰してもこの子の親が反省しない限り無意味な事だと思います。
悪い事をした場合、2度と繰り返さないように罰を与えるのは親がしなければいけないけれど今それが時代の流れと共になくなっているような気がします。そんな世の中、他人の子どもに体罰しても無意味なんじゃないでしょうか?
やっぱり親がカ・ン・ジ・ンですね
URLはダミーです。私もmayonakanightさんと同感で、高校の時担任に何度か殴られたことがありますが、
その先生とは20代後半となった今でも親交がありますし恩師として尊敬しています。
「罪の意識」と「痛みの記憶」は今でも不可分のものとして自分の中にあります。兄弟がいる人なら誰でも喧嘩をしたことがあると
思いますが、
あれは「相手にとって痛いことをすれば必ず自分に返ってくる」ということを学習するよい機会だと私は思っています。
同じ意味で体罰そのものは必要な(場合もある)ものであり、責められるべきはそれを「子どもに対する憎しみ」に転化してしまう一部の教師の存在だと思います。
その怒られたから憎しみを持つと言うのがおかしいんですよ!!!なぜ悪いのに憎しみを持つのかが分かりませんが。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~taibatsu/
子どもの人権と体罰研究会(体罰研)ホームページ
根本に「愛情」があるかでしょうね。
手をあげることに苦しみや痛みを伴っているか、でしょうが、
人は「調子に乗る」ものですよね。いじめなんかもそうですが、攻撃に加速がついて、止まらなくなって、自分は何でこんなことまでしてるんだろうって。
つまり愛情を持って殴ってるつもりが、ただ殴るだけになったりしないんでしょうか。
よほどの人格者でないと「正しい体罰」なんてできないですよ。
昔の人は人格者だったか?そうは思いませんが、少なくとも「じぶんのやってることに責任は持」っていたんじゃないでしょうか。
体罰ができなくなったのは、規則よりも大人としての無責任さでしょう。無責任さを隠すために規則を作ったんでしょう。
「一定の規定」と言っているのも同じですよね。自分で考え、子供に愛情を、大人に敬意を持てていない無責任さの現われだと思います。
ということは過保護のバカ親に愛情はないと言うことです。はい。
ポケットはてな
私は体罰を受けたことがありますが
先生は体罰をしたあとになぜお前が悪いのか
をこんこんと説教をしてくれました。
子供ながらに先生のゆうとおりだなと納得させられました。
うちの親の場合殴るだけでなにも言わないもんですから なぜ殴られたかわからなかったし
逆に親を恨んだりもしましたし、
体罰だけではなく子供に悪いことをしたんだとゆうことをしっかり伝える言葉をもつことが
特に重要だと思います。
先生のことは小さいながらも尊敬していましたよ。
それはすごいですね。。。
体を罰するって事になりますが…別の方法で分からす事ができないバカな人が多いんじゃあなかったのか?いまは、人それぞれの時代だと思います。子供の質が落ちているとは僕は思いませんので、それぞれがうまくやってるんじゃあないでしょうか。規定等、必要な人が必要なときに作ってると思うよ。
>別の方法で分からす事ができないバカな人が多いんじゃあなかったのか?
それは僕です。。。
私はいい体罰はあってもよいと思います。
いい体罰
相手を思って叱り、真剣になりすぎたうえでの体罰。相手も反省することができる。
悪い体罰
機嫌が悪くなった為に暴力を振るう。理不尽で相手に不快感だけが残る。
でも、やっぱり暴力はない方がいいですね。
よっぽど悪いことをした場合でない限り。
理不尽な体罰が増えているからこそ、体罰が問題になっているのかもしれません。
その「いい体罰」をも「訴えてやる!!!」とかいう親がいるんですよね。
行列のできる(ry
のトークは好きですが番組自体は大嫌いです。
何でも訴えればいいというものではないと思うのですが。
http://www.infoseek.co.jp/Home?pg=Home.html&svx=101100
楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek
私も体罰はある一定の限度と条件を満たしているのであれば、必要だと思います。
例えば,いじめをしている子に対して体罰をすることはOKだと思っています。たとえあざが残ろうと。相手の痛みが分からないから、弱い子を殴ったり金を巻き上げたりする。
いじめをしていることを、気付けない教師がたくさんいるから難しいと思うけど・・・。
うち教師もいじめを無視してますよ。私がそのことをホームルーム授業で提案しても「それはお前が気にすることではない」と怒られます。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/
Yahoo!天気情報
urlはダミーです。
まず「体罰がなくなった『ことによって』子どもの質が落ちた」のかどうかは定かではありません。取りあえず、青少年の犯罪率は下がっていますし、体罰が普通に激しく行われていた’60年代に較べ、学生運動などに身を投じない現代の学生達が、当時より反抗的だとも思えません。「学級崩壊」などの事例について言われているのではないかと思いますが、それについては、下のように
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140805838/250-1659367-...
Amazon.co.jp: 「教育の崩壊」という嘘: 本: 村上 龍
権威によるコントロールという支配の手段が崩壊したに過ぎない、という説もあります。子どもの質が悪化や低下したのではなく、「教育の方法」が時代遅れになったに過ぎない、という。これについてはどう思われますか?
…と言っても、いささか質問の主旨から離れるかと思いますので、戻ります。
私は個人的に、「違反行為などがあった際に拷問のような形で、肉体的な苦痛(単なる疲労をもたらすだけのものや、羞恥を煽る程度のレベルを越え、苦痛が主目的であるもの)を与えることを目的とした罰を与えること」のみを「体罰」とし、それ以外のものは、現行でも違法ではない「単なる注意指示を与えることを目的とした些細な接触」に過ぎないと考えるのが良いと思います。
「貴様!挨拶しなかったな!そこに立て!歯を食いしばれ!→平手!」 = 体罰
『おい、挨拶忘れてるぞ(頭を拳固で小突く)』『別にいいっしょ』『おいその口の利き方はなんだ?あ?(胸をどんと押す、ちょっとよろける)』 = まだ体罰ではない。ここで殴ったら体罰。
こうすると、それなりにあなたのおっしゃるような「一定の規定」を設けることも可能な感じがしないでもありません。
しかし、本当にその「一定の規定」は有効に機能するのでしょうか?たとえば、上の二番目のケースで、生徒が胸ぐらをつかんできた場合どうしますか?胸ぐらをつかんで、手を振り上げてきた場合は?その場合は殴ってもいいのでしょうか?この状態ではとても(一般社会でも)正当防衛は成立しないと思いますよ。それでも、生徒が先に手を出してきたりした場合、当たり所が悪ければ、教師は失明したりする可能性もあるわけですよね。
じゃあ、教師はそこで手を出して良いのか?それを良いとすると今度は、教師が「身の危険を感じたから」という理由で「一定の程度」を越えた体罰を行使することを防げません。残念ながら、教師の主張だからといって、100%信用するわけにも行かないのが昨今の状況です。そうすると、教育の場は、果てしなくバイオレンスの場になるでしょうし、今以上にナイフの持ち込みやそこから来る傷害事件や事故などが増加するでしょう。
つまり、「一定の規定」というのは、なんだか良い感じに響きますが、残念ながら現実味の無い話だと思うのです。
体罰に関しては、私は現行の「原則絶対禁止、運用は保護者から文句が来ない程度まで」という状況が、一番妥当な気がします。そして、あなたがおっしゃる「子どもの質の低下」については、もっと他の本質的な原因とその対策を考えるべきではないかと思われます。
詳しく回答ありがとうございます。
私の考え方が根本的に間違っていることがよく分かりました。
URLは友達のサイトです。
今体罰をやめろと言う大人たちは、昔体罰を受けてその辛さを知っているからではないでしょうか?
あと、僕は怒られても、自分のやったことがなぜいけないのかを納得するまでは自分の考えは変えません。怒られるのが口で騒ぎ立てられるならまだしも、体罰なんて受けたら話し合う気さえなくなります。自分の言い分を聞かずに自分の行いを否定した人と話す気にはなりません。
子供の質が落ちたと言いますが、それは全部が全部そうではないです。確かに「甘えん坊」「泣き虫」「わがまま」な子も増えてはいると思います。しかし、逆にまるで大人のような子もいます。大きな夢に向かって頑張っている子も居れば、現実をしっかりと見ている子も居るのです。昔は少年のような心を持った…と言いましたが、今は大人のような心を持った子供が居ます。
僕の意見としては、子供は比較的早い時期に大人になるようになったということです。
悪い体罰が問題ですよね
Yahoo!ジオシティーズ - 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。
(URLはダミーです)
私は、小学生の子供が2人います。
体罰という言葉が適切かどうかわかりませんが、ある程度は必要だと思います。
今、いじめ、虐待と耳をふさぎたくなるようなニュースが毎日のように流れています。
なぜ、このようなことが起こるか原因はわかりませんが、よく考えます。
私は、躾としてある程度の体罰は必要だと思います。
学校で、先生が子供に体罰を与えたと親たちがすぐ騒ぐので、先生も子供をしかるときは口のみなので、先生がなめられて言うことを聞かなくなり、もちろん家庭でも一切しからないとなると子供は好きなことし放題(全員ではありませんが一部にはそのような中高生がいますね)、何がよいことで、何が悪いことかもわからないで大人になっていきます。
今度は、その親が子供を育てます。この繰り返しが、ご質問のとおり「質が悪くなっている」野ではないでしょうか。
私は、必要なときにはしっかり子供をしかる(必要なときは手を上げます)ようにしています。ただ、感情に走ると行き過ぎることもありますので、そのような時は女房が助け舟を出します。
家でも、学校でもある程度(20〜30年くらい前)の体罰は必要だと思います。
実際にお子さんがいる方からの貴重な意見ありがとうございます
虐待は、連鎖します。
前の世代から受けた教育は、方法とともに
記憶に刻み込まれています。
意識して、その方法を変えようとするのは、
とてもエネルギーのいることです。
http://www.pref.nagasaki.jp/kokoro/problem/
ココロねっこ運動|全国の少年非行概況
ココロねっこ運動 全国の少年非行概況
問題の前提としての、
「体罰がなくなったことによって
最近の子供の質が落ちています。」についての
根拠・因果関係の説明が欲しいです。
ハル通信 第39号 誉めて伸ばす・叱って伸ばす
水泳指導の体験から言って、
誉められて伸びる時と、
叱られてスイッチが入る時が
あると思います。
やっぱり叱られて育りましたから、
誉めるのは苦手です。
ばあさんこ:祖母が主に育てた子供[甘ったれで出来が悪いと言われる]
「ぱあさんこは三文安い」(婆さん子は少し出来が落ちる)
つい「甘やかすから」ということがありますが、
近代においては、
祖母/祖父の世代とは、価値観が
大きく異なってくるということが
「三文安い」につながるのではないかと。
また、時流の加速にともない、
親のこごとでさえも、時代遅れに
なっている部分が生じています。それが
体罰ウンヌンに関わらず、上の世代の
説得力不足になっているような
気がしています。
学校事故・災害の裁判
近所の公営プール(とても水深が浅い)にて、
小学生対象に、飛び込みスタートの指導を
行っていると聞いて、
見学に行ったことがあります。
観覧席から見る限りでも、子供たちの
アタマを張ったり、
大声を出したりと「強力に指導力を発揮」
している様子でしたが、
万が一、事故が起こってしまった場合のリスクを考えると、やむをえないのかな
とも思ってしまいました。
(もし頚椎損傷の後遺症が残り、裁判で負けると、
億単位の賠償です。<リスク)
>体罰がなくなったことによって
最近の子供の質が落ちています
すみません
「じいさんこ」は100文ぐらい特ですね
IT総合情報ポータル「ITmedia」Home
上のURLは関係ないです。
体罰というのは言葉で言っても意味のない奴に必要だと思います。無意味な体罰はよくないと思います。
#子供の質が落ちていると言うよりも、親の質が落ちていると思います。
>子供の質が落ちていると言うよりも、親の質が落ちていると思います
私もそう思います(と私が言うのは変ですね…
Yahoo!�_鹿
もし体罰がやむをえないことだったとして、それを学校に導入するとき、問題になるとすれば、それが単なる「罰」を超えて、虐待や暴力になることですよね。先生や親が人格者ならば、もちろんそんなことありえないですが、カッとなって殴ったら、ついつい骨折させてしまったとか、最悪死なせてしまったなんていうことにもなりかねません。思うに、体罰をする日本人の親や先生は、感情任せで叩くことが多いので、そこがいけないのだと思います。(アメリカの学校で体罰ありのところなら、明確に規定しているところが多いと思います。)体罰を導入するのなら、おっしゃるように、一定の基準や条件を設けた上で、その範囲内では可として、その基準から外れたものを暴力や虐待として裁けばいいのだと思います。たとえば、何回までなら叩いてもいいのか、体のどこの部分なら叩いていいのか、どういう道具で叩くのか、叩くのは誰なのか、等々。罰は、感情的なものではなく、もうちょっとクールでなければいけません。
基準を設けると言うのも変な話ですよね…
「それをコントロールできない教師」がいるから体罰禁止とかいわれるようになったんですよね。
ヾ(*`Д´*)ノ”彡☆
urlはダミーです。
私は20才ですが質問に答えさせていただきます。
先生の質にもよると思います。不良にでも弱そうな人にでも公平に悪いことをしたときにそれ相応の体罰は必要だとおもいます。
ですが現実には不良に体罰を与えると復習というかたちで自分が被害にあうため弱い人にしか体罰をあたえなくなっているようです。
私の言っていた学校での話ですが多分日本全国的にその傾向が強いと思います。
ですから私も一定の規定を設けることには賛成です。具体的にはどの程度ならゆるされるという先生側の規定ですね。
そうすれば多少はこの差はなくなって公平になると思います。
よりよい教育がされてよりよい国になればいいですね。
>不良にでも弱そうな人にでも公平に悪いことをしたときにそれ相応の体罰は必要だとおもいます
それは無理ですよね
悪いことをしたとき、周りの人に迷惑をかけることもあります。
”人の痛み”を理解できない人には、それなりのペナルティもあっていいとは思います。
しかし、体罰はいけないことだ。って風潮が強すぎる気もしますが、体罰の基準を作ってOKとするのは少し違う気も・・・
子供の質、という言い方もどうかとは思いますがまっすぐな人を育てたければ本気で怒って、一緒に泣いてくれる人(教育の場であれば先生かな?)が必要なんじゃないのかな?
と思います。
手を出せないから本気になれない。
本気になったら制裁が待っているから何もしない。
じゃ何か違いますよね?
昔の日本のように熱い感情を持った人が感情を表に出せないってのが問題なのかもしれません。
”人の痛み”を理解できない人には、それなりのペナルティもあっていいとは思います。罰の基準を作ってOKとするのは少し違う気も・・・
などすべての意見に同意いたします
誤解で教師よりげんこつを食らった事があります。
(というかその場にいた全員なぐられましたが)
人の話を聞かないで勝手に判断するような教師が
世の中にはいるので規定なんて設けたら都合のいいように
解釈して行動するような気がします。
親のしつけは判るのですが・・・
私は教師より親にしっかりして欲しいと思います
同感です。
しつけって何だろう
以下は、上のURLの内容ではなく私見です:
「体罰」が「暴力」なのか「しつけ」なのかは信頼関係の有無に拠ります。尊敬している先生や両親に殴られた経験は子供を成長させるものですが、そうでなければそれは理不尽な暴力に過ぎません。特に子供のうちは(言葉で叱られるにしろ拳骨で叱られるにしろ)叱られたことに納得できるか否かは「叱った人間の言い分が理に適っているか」よりも「叱った人間を信頼しているかどうか」で決まるからです。
したがって、昨今体罰が問題となっている原因は、端的に「信頼に値する先生や両親が少なくなったから」と言えます。とはいえ、それは先生や両親が悪いわけではなく、様々な媒体の発達によってヒトとヒトとの関係が「広く浅く」変化したことで深い信頼関係そのものが現れ難くなっているだけでしょう。これは時代の変化であり、不可避の現象です。その意味で、(「一定の規定を」というお考えそのものは実現が難しいかもしれませんが)「体罰」の問題に関して新しい基準を模索することは素晴らしいことですし、必要なことだと思います。
私自身の受けた体罰の経験から言えば、(殴られたり張り倒されたり水中に突き落とされたりと散々でしたが)それらは今の私にとっては害にも益にもなっていません。マセガキだったので「先生もコドモだなー」と思っただけでした……
>殴られたり張り倒されたり水中に突き落とされたりと散々でしたが
す…⌒ヽ(゜O゜)ノ スゴイッ!!!
クライン孝子のホームページ
体罰は必要です。体罰がないと子供の方がなめてかかって、逆に傍若無人になります。
ただし、体罰をくわえるには、加える側が冷静であって感情的になっていないこと、なぜ体罰を受けるのか本人も第三者も納得できること、絶対怪我させないこと、といったことが絶対条件でしょう。
同感です
http://www.hatena.ne.jp/1093182945
今、体罰がなくなってきていますが、体罰がなくなったことによって最近の子供の質が落ちています。私は学生ですし、体罰を少し受けたこともあります。私はそのとき正直に「.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
まず、物心付かない子供というのは「動物」と同じです。子供というのは最初は倫理・理性がありません。言葉も明確には理解出来ません。なので、悪い事をした時には体罰を与えるのも理に適っていると思います。
また、教師と生徒、親と子の上下関係をも体罰で表す事が出来るかと思います(かなり極論に聞こえるかも知れませんが)。愛の鞭、とよく言いますが、自分を叱ってくれる人というのは、上手く言えませんが深く心に刻まれるのではないでしょうか。勿論、体罰で支配しようとする事はタブーです(それは恐怖政治にも似た物で、+の作用は無いですから)。
学校で体罰は駄目と言われるようになったのは、親の責任であると私は考えます。親がきちんとしつけ出来ていなかった所為で、学校で教師にちょっと体罰されたら「ムカツク」「殴られた」だけしか思えないのではないでしょうか。親がしつけを出来ていないから、教師も親も子供になめられるのです。また逆に、親がそのような考えだから体罰を行う教師にも反発が出るのです。
だからと言って、親をしつけ直すのは無理なので、どうしようも無いのかも知れませんが。
但し、無闇に体罰を与えるのは逆効果です。体罰だけ与えて怒る理由を説明しなかったり、理不尽に筋の通らない事で体罰を与えたりするのも駄目です。体罰を与えすぎそれが日常になると、子供は「悪い事をしたら怒られるから直そう」ではなく、「怒られるのが恐い」という感情だけが残ります。すると「怒られないように」悪い事をしても嘘をついて隠したりするようになる可能性があります。体罰だけを与えて理由を説明しないのも同様です。
体罰は、たまに行うから印象に強く残り、「ああ自分は悪い事をしたのだ」という気持ちが生まれます。自分の子供時代を考えるとそうでした。体罰の痛みと自責の念、体と心の両方の痛みが今でも思い出されます。
最後に、規定を設けるのは難しいと思います。具体的な力の行使というのは、明確な数値化が出来ないので。例えば「デコピン5回」と言っても、ムキムキの男性体育教諭とか細い女性教諭とでは全然痛さが違います。
というか、体罰なんて物は規定で整備される物では無く、教師の教師意識による裁量に頼るのが一番良い形なんですよね。
但し、教師の精神が現代のようなサラリーマン教師な状況(そうでない人も多いですが、昔の教師が聖職と呼ばれた時代と違って、現代はサラリーマン教師が多いのも事実です)では、それは到底無理な話なのですけどね……。
何にせよ、哀しい状況です。
……あんまりまとまりが無くて申し訳ありません。
いえいえありがとうございます!
Yahoo! JAPAN
子供たちに効果的にしつけを行い、かつ社会人としての基本的な約束事を教えこむことは極めて重要なことであるが、最近はそれがあまりうまく行なわれていない徴候が多く現れている。子どもの大脳の神経生理学的な発育程度に応じた、最適の教育手段を通じてこれを行う必要があるが、愛情に裏付けられた「良い体罰」は、極めて有効な教育手段たり得るのである。ただし、体罰を与えるタイミング、程度、事後ケア等について十分に配慮しなければならない。
しかし、日本においては学校教育法によって体罰が一律に禁止されている。そのため教師が体罰についてノウハウを研究したり、それを身につけたりする機会は全くない。そのため「悪い体罰」が後を絶たないという現実がある。早急に一律な体罰禁止を廃止すべきである。
愛のムチと暴力を混合されている方が多いようです。
健全な精神は健全な肉体に宿ると言う様に、言葉だけでは足りない時があります。
ありがとうございます!
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%B0%C1%B4%BC%AB%BB%A6%A5%DE%A5%...
完全自殺マニュアルとは - はてなダイアリー
mayonakanightさんは体罰を受けてもそれほど傷つかない性格なのかもしれません。
そして傷つく人にとっての体罰がどれほどの深い傷になるかを想像できないのかもしれません。その奈落を知らないのならば、せめて文章だけでも受け取ってください。
私は体罰を食らったことがあります。理由は授業中の態度が理由。
迫ってきた教師に数発殴られました。
人生あれほど怖かったことはありません。
授業が終わったあと山のようにボロボロと涙をこぼしました。
あれほど泣いたことはあれ以来ありません。
何でここまで酷い仕打ちを受けなければならないのか。
このような体罰が毎週数回もずっと続くのか。
ただでさえストレスだらけの学校と家庭の中で、体力的にも精神的にもボロボロの状態が続いていました。
死のうと考えたこともありましたね。
何でこんな苦しみの中で生きていかなければならないのかとは思っていましたね。
その教師の前ではひたすらいい生徒を演じていましたね。殴られたくなかったから。
心の中では全く納得はしていませんでしたけどね。
あの体罰に感謝したことなど一度もありません。
思い出したくもありません。当時にいい思い出などほとんどありませんので。
これが体罰を受けて傷つく人の本当の奈落というものです。
私は死にませんでしたが、人によっては死ぬことを選んだ人もいたかもしれません。
なるほど。それはひどすぎますね。
うちの先生は悪いと思ったことしか怒りませんから。
Football
URLはあまり適切なものが見当たらなかったので関連すると思われるものを載せました。
今私も子育て中ですけどね、正しい子育て法、なんてないと思うんですよ
体罰も、それがいけないというか、子供によっては良くなかったり、加減がわからなくて障害がでたり死に至る程やってしまう人がいるからいけないって事になっていると思うんですけどね。
ところでmayonakanightさんは、この事についてご両親と話をされた事はありますか?
あるのであればどのような内容だったのでしょうか?
もしないのであれば、その事自体に私は危機感を感じますが・・・
うちは体罰賛成派です。
「昔はなぁ、遅刻したらバケツもって廊下に一日中立たされたんやで」とかいつも言ってます。
私は遅刻したことないですが。
マンガ「クニミツの政」:11〜13・16巻に教育問題について描かれています。マンガですが大変参考になると思います。20〜30分あれば読めると思いますのでいかがでしょうか?
URL「痛いから」:「みなさん、今の小学1年生のケンカというものはどういうものなのかご存知でしょうか。両手を振り回すケンカだと思いますか?
いいえ、ちがいます。ぜひ聞いていただきたいことなのですが、お互いに相手の首を両手で力いっぱい押さえつけるのです。」
子供の質が落ちているのではなくて、大人の質が落ちてきているのだと思います。
学校でのいじめ・家庭内暴力といった問題の原因には「人の痛みがわからない・やっていいこととやって悪いことの区別がつかない」といったことがあるのではないかと私は思っています。
「痛み」というのは言葉だけでは伝えられないものだと思います。昔は外で遊んで怪我をして友達とケンカをしたり、親や教師にゲンコツをくらったりして、「痛み」や「これはやってはいけないこと」というのを勉強していったのだと思いますが、現在はそういう場所や機会が少なくなったことが、学級崩壊や家庭内暴力につながっているのではないかと思っています。
しかし、だからといって現在の社会の中で学校の中で体罰をすればそれでいいのかといえば、それも違うのではないかと思います。
「体罰に一定の規定を設けたらいいと思う」mayonakanightさんの考えも少しおかしいのではないかと思います。「一定の規定」を定めるということは、「一定の規定内であれば教師は生徒に暴力・苦痛を与えてもよい」ということになるのだろうと思います。
生徒には体罰を与えなくてはわからない生徒もいるだろうし、激しく怒ることで泣いて反省する子もいますし、ゲンコツ1発で反省する生徒もいるでしょうし、怒鳴っても反抗するが、柔らかく何度も諭すことで反省する生徒等、それは千差万別のはずです。
教師は生徒の点まで把握した上で、教育していくべきだろうと思います。
「ちなみにこの自称教育者「池上公介」が書いてる事はイカれています」:と途中ありますが、私はどこがおかしいのかよくわかりませんでした。基本的にはこの方の言っていることは正論ではないかと思いますし、大変参考になるのではないかと思います。
ただし、この方の言っていることをそのまま現在の社会に置き換えることはできないだろうと思います。この方の言っていることは「真面目に学校に行き、会社に入って家庭を作って」といったことを前提としていると思いますが、現在の社会ではそれ以外の方向性・価値観の多様化がありますから、昔のようにというようにはいかないだろと思います。
例えば、「化粧・茶髪・ピアスをするべきではない」との記述がありますが、ピアス・化粧をすることで得をすることも現在の社会ではありうるということです。
あと、大きいのは父権の問題だろうと思います。「子供が大人の言うことを聞く必要性を昔のように持たなくなったこと」に現在の問題があるように思います。
あとは豊かになってしまったことにも問題があるでしょう。韓国の方とかは本当に仕事を一生懸命するそうです。日本人は少し嫌なことがあったらすぐ辞めるでしょう。フリーター等でも食えるからですね。日本が貧しくなればまた変わってくると思います。
以上関係ないことも多いですが、私の私見です。
>子供の質が落ちているのではなくて、大人の質が落ちてきているのだと思います
皆さんそのようです
子供が物心つかないうちはある程度体罰は必要なのかも。
善悪の判断がまったくつかないうちは、「親が怒った・たたいた」イコール「こわい・いたい」イコール「自分は悪いことをしたらしい」というふうに刷り込んでいく必要があるのかも(ただし、必ずしも体罰である必要はありません)。
子供が自分の頭で考えるようになってからは体罰は意味がないと思います。自分で考え判断して「やるべき」と思ってやってるわけですから。
僕自身体罰を受けた経験はありますが、たいていは親(先生)の誤解によるものか、僕の意図しない不注意に対するものでした。それゆえに理不尽さだけが胸に残りました。
自分で「正しい」と判断してやったことに対しても、体罰を与えられたからといって、即「悪かった」と反省したことはありません。
そのときの自分にとってその行為はおこなうべきもだと自分自身で判断しておこなったからです。
だから、たたかれて反省するというのは自分の信念を曲げることを意味しました。
皆さんありがとうございました
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