宗教は、カンベンです。
人間が神の所有物であるならばってやつ?
もいっかい、読んでみます。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/jisatu/2003/soudan1.html
自殺したいと言われたとき。自殺相談、自殺予防のために。(心理学総合案内こころの散歩道)
定番のサイトですが…
どうしてってこと、全然書いてないよ。もしかしてケンカ売ってる?
「生きがいの創造」の著者 福島大学経済学部 助教授 飯田史彦さんの講演を無料で聞くことができます。講演のなかで”どうして自殺してはならないか”というお話があります。
http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/
飯田史彦研究室へようこそ!
ども。見てみます。
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/198907.html
「自殺」アラカルト(1989.07)
日本の刑法では「自殺は罰すべき価値のある違法行為であるが、自殺者を非難することは残酷であり、責任阻却事由が存在する」となっています。イギリスは1961年まで自殺未遂者を逮捕し、刑務所に入れていました。
これは「自殺は自己に対する殺人行為」であるという解釈が基本にあるからです(イギリスの場合はカトリックの考え方がベースにあるのですが、宗教はカンベンということで省きます。同様にヨーロッパ諸国はある時期まで同様の理由で自殺は刑法に触れるものでした)。
自己に対する殺人行為であるからダメ。ね。
ケンカ売ってるものとみなします。
宗教的、道徳的な方法論を使わずに、論理的に説明するならば、「なぜ、自殺をしてはいけないのか」という問いに対する究極的な解はありません。強いて言うなら、死んだら生き返ることはできないからです(少なくともその証拠はない)。しかし、二度と生きることができないというリスクを考えた上で、どうしても死にたいという人がいた場合には、もう論理では説得できないので、感情に訴えるべきでしょう。
ありがとうございます。
http://abcdane.net/archives/000998.html
痛い!な画像 グレコ・ローマン編: ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会
「なぜ私か誰でもは自殺をしてはならないのか?」とアルベール・カミュは言ったそうです。しかし「なぜ私か誰でもは生きているのか?」と問うてみてください。それが答えです。
と、えらそうに書きましたが、これはうちが考えるところの言葉というか理論上の答えです。
実際のところは「指先を、刃物でちょこっと切っただけでもズキズキ痛くてバンドエイド貼っちゃうくらいヤワやのに、死ぬ(しかも自殺!)なんてもっともっと痛くて無理だから。」です。死にたくないもんね。画像は・・・かなり痛いです。自殺なんて絶対無理だ無理><
なぜ生きているのか。んとね、なんとなく。
いろいろあります。
じっくり読んでみてくださいませ。
”自殺をしてはいけない”
の検索結果の中から抜粋してみました。
じっくり読みます。感謝。
どうしてするのか、どんなものなのか?といったページです。
<概要>
個人的な動機と気持ちからスタートして、デュルケームの自殺論からフロイトなどの社会学的あるいは生物学的な見方を紹介。さいごに哲学的に。
<個人的見解>
わたし個人的には、究極的な目的あるいは意味を何と据えるかによってやる・やらない、成か否か決まる・決めるのが論理的な考え方だと思います。
しかし、そういう枠組みを設定すること自体が皆無な領域もある思うのです。少し前のDNAの研究で、「人間」が生き残るためではなく「遺伝子」が生き残るために遺伝子はデザインされて存在していると考える方が合理的だという見方をした学説が波紋を起こしました。それもまた、何かは何かのために存在するという枠組みのなかでの争いではないでしょうか?そういうのとは違う枠組みのようなものがあると思うのです。それをなんと呼んでいいかわかりませんが、最近そっちのほうの世界のことが気になります。
いかがでしょうか?ところでここはコミュニケーション可能なんでしょうかね。
urlを辿っていって、なんとか理屈にたどり着きました。感謝。
下から1/7あたりに書かれています。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1041056
自殺の否定について | OKWave
御参考です。但し、参考になったとは認識していないようですが。
感謝。ステキです。
適当なurlが分からなかったのですが もしよろしければ 次のように考えましたので回答とさせていただきます。
人間は社会的な存在であって 個人としての自由意志とその発現(意思表示と行動)とは あくまで人間関係の中で・特に信頼関係の中で 現実となり 意味を持ってくるようになります。その意味や存在の重さは 人それぞれの一生を通じて・従って結局その全体を捉えて 評価されるのだと考えます。
このとき問題は 他殺・自殺あるいは事故死など寿命を全うしなかった場合に どう評価するかになると思います。もし一生が中断されたと見るなら 評価は中途半端になると思われます。
言い換えると その人と周囲の人々との間の 互いの関係が 半端なものに終わってしまう。この事態を 自殺によって意図的にもたらしたとするなら それは 親しい人に対しても・ひいては社会一般の人々に対しても 失礼なのではないでしょうか。付き合うにあたいしない・信頼するに値しないと 勝手に(人生の途中で) 一方的に見なしてしまうことになりますから。
茶化した言い方をしますが もし自殺を選ぶ場合は よほど人を納得させる理由を発表することが 最低限のエチケットになるのではないでしょうか。
ん。感謝。
http://japan-lifeissues.net/writers/harri/nrl_01euthwhatwrong-ja...
japan.lifeissues | 自殺援助の合法化のどこが悪いか
自殺の多くは精神の病気によるものだからです。
仮にその主張が全面的に正しいものだとしても、一部が残っちゃうから、ちょっと、マズイね。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102114025/qid%3D10997...
Amazon.co.jp: シーシュポスの神話 (新潮文庫): カミュ, Albert Camus, 清水 徹: 本
カミュが哲学的論理的に、自殺の構造や心理を徹底検証したエッセイがあります。
自殺が、どう理論的に間違っているかをこと細かに見せてくれます。
内容を端的に言うと、「人生が生きるに値しないということは、死ぬ理由にはならない」とうことです。
知的好奇心を満足させてくれる本としてもいちおしのおすすめです。
この本、どっちかっていうと行間を読め!と主張してる印象です。でも、ステキな本です。
「自らの死に価値を見出すがゆえに死を選択する」って場合も却下されちゃうのが難点です。
urlはダミーです。
自分なりに無い知恵しぼってがんばって考えてみました。
・人が死ぬと、誰かが悲しむ。
(自分自身じゃそうでもないと思うかもしれませんが、自分をどこかで知っている人は死んだことを知ってさびしく思うかもしれない。例えば今こうやって受答えをしているあなたが死んだと知ったら、私はちょっとは寂しいなと思うかもしれませんよ?)
・社会全体として見た場合、人が一人死ぬと,
労働力は減るし、後始末のコストもかかるなど。また、自殺を推し進めるというのは延長線上、種の絶滅につながるから皆さんあまり良い顔をしないんではないかなと。
・死ぬのが怖いから生きている。死に対する恐怖(私はこれですね。種としての本能かなあ)
この話は「人はなぜ殺人をしてはいけないか」「人はなぜ生きているのか」とかなりかぶる所があります。こればっかりはしっくりくる答を自分自身で見つけるしかないかな…と思うんですが。…だめですかこれじゃ?
いえ、ダメじゃないです。urlをお願いしますってところでちょっとアレがアレしたのがアレですが。
ありがとうございます。
タイトルがズバリです。
この本は、自殺の損得勘定について。論理的な人は、生きることのコストと自殺のコストを比較して、自殺が高いと思えば、思いとどまるのかもしれません。
本当に自殺する人は、切羽詰まっていて計算なんてしていられないでしょうね。何もかも、お金に還元できるわけでもないので。
ありがとうございます。ステキ
0ポイントどうもありがとう。私が示したURLにはこう書いてあるんだけど、読んでもらえなくて残念。
======================
伝えたいメッセージ
あなたにも価値がある。あなたにも生きる意味がある。あなたも愛されている。あなたも一人ではない。そのことに、気づいてほしいのです。
あなたはどうですか。大切な人に自殺なんかして欲しくない。でも、ただ生きているだけでいいですか。できることなら、自分の価値を信じ、愛を信じ、生き生きと暮らしいて欲しいと、願わないでしょうか。
こいう思想が、真実なのかどうかは、宗教や哲学の分野で、心理学のような科学が、答えることではないかもしれません。しかし、こういう考えをもつことが、生きる意欲と心の健康につながることは、心理学的にも言うことができます。
だから、私は、こいうメッセージを伝えたいと思っています。
「あなたも愛されているし、あなたも一人ではないのですから」
このメッセージを伝えるとても有効な一つの方法が、お説教ではなく、カウンセリングであり、傾聴し、共感するという技法です。
相談に乗っているときに、死にたいと思っている人の話を一生懸命聴くことに加えて、何かを語りたいとしたら、こう言いたいと思います。
「あなたの話を、もっと、もっと、聴きたい。」
「あなたが死んだりしたら、私はとても悲しい」
>「あなたの話を、もっと、もっと、聴きたい。」
>「あなたが死んだりしたら、私はとても悲しい」
利害関係無いですが、kmyken1さんのコトバに1票。
>「あなたの話を、もっと、もっと、聴きたい。」
>「あなたが死んだりしたら、私はとても悲しい」
そんな言葉も
「ああ、これもプロのカウンセラーの技法であって本心じゃないだろうな」
と思われてしまうのではないかと個人的に思っています。
urlは全部読みました。ダメだと思いました。
「どうして自殺をしてはならないか」の説明には、とれないのですよ。
「自殺をしないでください」って主張はひしひしと伝わってくるのだけれども。
生きる意味があろうと、一人でなかろうと、「それでもする!」と言われたらアウトじゃない?この文章。
今回の質問は、「およそ人間は、自殺をしてはならない」って主張があったと仮定して、その理屈の話。
回答いただいたurlには心温まるメッセージが書かれていましたが、そういう意味では、今回の場合はあんまり関係ないの。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%BE%C6%A3%BD%DF
江藤淳さんとか、この方、「自殺ダメよー」ってずいぶんと主張なさっていたでしょう、でも、ご自身、自殺なさったでしょう。
http://www.toho.co.jp/stage/lesmis/welcome-j.html
レミゼラブルでも自殺しちゃうしー。
ケンカ売ってるように見えた理由、おわかりいただけますでしょうか。
2つ例示しましたが
質問は「およそ人間・・・」とあります。ホントはね、
奴隷になることを恥じて石に頭ぶつけて自殺 とか
社会に正義を問うために自分に火をつけて自殺 とか
拷問を受けて何かマズイこと吐いちゃわないように自殺 とか
そういったことまで排除できる理屈があるなら、知りたかったのさ。
無理っぽかったのさ。なのでこれは断念。
kmyken1さまには
http://www.hatena.ne.jp/1095445688
にて回答いただいた記憶があります。この際にポイントを配分しているのは、”何がしかの理由”という私が欲していた回答をくださったからです。コメント通りの感想を抱いたのは確かですけれども。
「理屈や説明を問うなかれ」って言われると思って、あらかじめ「○○って主張があったとして」と前置きしたところが、ちょっと、勝手が違うところです。
>Pygmalionさま
利害関係者ですが、引用部分に1票
>Kiichigoさま
ゴッゴル、キライでしたでしょうか。ごめんなさい。(http://www.hatena.ne.jp/1098372742参照)
>キライでしたでしょうか。
はい
>ごめんなさい。
いいえ。