太田龍が、大分の民間歴史家の著作「天皇のロザリオ」の紹介として本日のコラムでこんなことを書いていました。
(1)昭和天皇は、自己保身のために、米占領軍当局に対し、キリスト教に改宗する気がある意志をほのめかした。
(2)しかし、昭和二十七年四月、日本の「独立」後情勢が変って、皇室の地位は安泰だ、と判断し得るように成ると、昭和天皇はキリスト教を捨てた。
(3)ところが、高松宮、三笠宮、そして常陸宮などは、そのままキリスト教を信奉しつづけた。
(4)皇太子夫妻も同じ。つまり、キリスト教を捨てて居ない。
(5)かくして、昭和天皇が、宮中で、美智子皇太子妃に対して、キリスト教を捨てるよう、猛烈に激怒した事件が起きた。
(6)しかし、美智子皇太子妃は、敢えて昭和天皇の意向と意志、ないし命令を、真正面から拒否し、事実上、昭和天皇に敵対した。
(7)つまり、美智子皇太子妃は、キリスト教(カトリック)を捨てて居ない。
(8)ローマ法王庁は、日本問題については、神道は、宗教ではない、神道はキリスト教に至るひとつの道である、従って、美智子皇太子妃が、キリスト教徒(カトリック)であると同時に神道儀式を行うことは「可」である、との見解である。
(9)ローマ法王庁は、日本のキリスト教国化、の目標を持ち続けて居る。