まず考えられるのは、ソウルの歴史的位置づけでしょう。
ソウルは元々500年近くも続いた朝鮮王朝の首都でしたから、
実に今日まで600年もの歴史の中で、
半島の首都として機能し続けてきたことになります。
この歴史に対して、朝鮮戦争におけるソウル陥落は
ほんの一時的なものに過ぎませんでした。
1950年6月25日、北朝鮮軍は大韓民国に侵攻し、
3日後に一時ソウルは陥落しますが、
同年10月1日には今度は韓国軍が38度線を突破、
同月19日には逆にピョンヤンを陥落させるに至ります。
韓国軍にとって、このソウル陥落は、
単に戦略上の一時的な撤退に過ぎなかった、
ということです。
これが、朝鮮戦争時におけるソウル陥落が
今日の首都の位置に影響を与えていない理由です。
さらにソウルが不動の首都として有り続ける
もうひとつの重大な理由として、
元々ソウルは「南北両政権共通の首都」であった、
という事情があります。
38度線以北を支配した北朝鮮も、実に1972年まで、
首都はソウルと定めていたんですよね。
北朝鮮にとって、ピョンヤンはあくまで
「臨時首都」という位置づけでした。
つまり、誤解を恐れずに言うならば、
ある意味、ソウルは朝鮮民族の「聖地」なんです。
ソウルを制する者が朝鮮民族の政権を掌握する、ということです。
何が何でも首都はソウル。
そのことを韓国憲法裁判所は、
新行政首都建設特別法に関する憲法訴願事件で、
「韓国の首都がソウルだという自明かつ不文の慣習憲法事項」
と明示的に表現して、新行政首都建設特別法を
違憲とする判決を下したわけです。
さらに同法廷は、首都は国のアイデンティティーを表現する
実質的な憲法事項であると重ねた上で、
「ソウルは辞典的意味でも“首都”という意味を持っている」として、
朝鮮王朝以降形成されてきた伝統的慣行が
600年の長期に渡り変わることなく持続されてきたことは、
国民の承認とコンセンサスを得ている国家生活の基本事項である、
と断じています。
この判決が、韓国の首都=ソウル、
それ以外の土地では有り得ないという
不動の認識の形成を端的に表しています。