天皇陛下様ばんじゃ~い!(爆)
まず、天皇陛下であろうがなかろうが、一般的に他人には「様」を付けます。馬鹿でも判る例を出せば言えば「お客様」とか。
知り合いには「さん」、友達は呼び捨てかあだ名かたまに「君」とか、でも女子には「さん」かな。
で、天皇じゃなくても、イギリス、北欧、中東など、王室(皇室)がある国はたくさんありまして、日本でなくたって王室はその国の象徴的な立場にあり、当然ながら尊敬されております。外交的にも一定の役割があり、その立場の人を国内でさえ「おい、天皇、逝ってよし!」という扱いをしたとすれば、海外で尊敬さるわけも無く同様の扱いになるわけで、あらゆる面で意義が低下します。
王室とイデオロギーに当てはめている時点で時代遅れもいいところだと思いますが、(共産主義・社会主義的な観点からすると、王室はあってはいけないもの)、ただ、厨房のうちはそういう気概も必要だと思います。
ある人の言葉を借りると、学生のうちに共産党だ、天皇がなんぼのもんじゃと言わない奴は反骨精神が足りないが、社会に出ても共産党だ天皇がなんぼのもんじゃ言って居る奴は知能が足りないですね。
問題はそこじゃないということに気づくまで頑張ってください。
むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
>むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
象徴天皇制存続、9条廃止の改憲で、
再び武家政治の復古となるかもですね(笑)
>むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
確かに戦前も天皇は神などではないとはっきり言っていたのですが、戦前の天皇は神だったって言い出しだのは誰?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
昭和天皇とマッカーサーが会見した折り、
全ての戦争責任は自分にあると主張した天皇に感銘を受けたマッカーサーが天皇制を残すように強く推したことが記録に残っているようです。
http://kobachan.exblog.jp/1846219/
マッカーサーは「昭和天皇の退位や天皇制廃止、または戦争犯罪人のかどで、裁判にかけられるようなことになれば、統治機構は崩壊し、全国的な反乱が避けられないだろう」と見て、米国政府に対して、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答したという。
という経緯もあるようで。
また、象徴としての天皇制というのも長い歴史があります。
考えてみればずーっと天皇は象徴としての権威しか持たされてなかったんですよね。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/symbolism.html
>>むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
>
>確かに戦前も天皇は神などではないとはっきり言っていたのですが、戦前の天皇は神だったって言い出しだのは誰?
>
戦前の天皇は神であると同時に主権者でしたよ。
貴様〜〜
って なんで 様がつくんだ?
>>>むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
>>
>>確かに戦前も天皇は神などではないとはっきり言っていたのですが、戦前の天皇は神だったって言い出しだのは誰?
>>
>戦前の天皇は神であると同時に主権者でしたよ。
ほほう、それは興味深いですね。
具体的にお願いします。
>>>>むしろ天皇が実権を握っていた時代の方が例外です。
>>>
>>>確かに戦前も天皇は神などではないとはっきり言っていたのですが、戦前の天皇は神だったって言い出しだのは誰?
>>>
>>戦前の天皇は神であると同時に主権者でしたよ。
>
>ほほう、それは興味深いですね。
>具体的にお願いします。
あ、よかった。スルーされなかった(笑
ソースは有斐閣の「憲法Ⅰ」P95とP47です。
抜粋します。
「明治憲法においては、天皇はその地位を神のお告げに負うていた。その点では、西欧の王権神授説に似る。しかし、西欧の君主は自身が神とされたわけではなかったのに対し、日本では天皇の祖先は神であるとされ、その結果その子孫の天皇も神(現御神・あらみかみ)であるとされた。
このため、それを正当化する教義としての神道は憲法上不可欠の要素となり、政教一致の建前がとられた。
日本国憲法では天皇はその地位を国民の総意に負い天皇の神格は否定され(人間宣言)政治と宗教は厳格に分離された。」
「明治憲法では現にある天皇が必ずしも統治の主体(主権者)として観念されたのではない。
「日本書紀」の建国神話に由来する万世一系の天皇が日本を統治するものとされたのである(大日本帝国憲法1)」
>貴様〜〜
>って なんで 様がつくんだ?
「貴様」というのは、もとは相手を敬ったことばです。
現在の使い方は、いわゆる皮肉というやつです。
http://gogen-allguide.com/ki/kisama.html
>ソースは有斐閣の「憲法Ⅰ」P95とP47です。
新しいタイプなのでちょっと返答に困る。
もう少し理解したいのでちょっと聞きますけど、それが「神」であった証拠だと主張するわけなのですか?
>>ソースは有斐閣の「憲法Ⅰ」P95とP47です。
>
>新しいタイプなのでちょっと返答に困る。
>もう少し理解したいのでちょっと聞きますけど、それが「神」であった証拠だと主張するわけなのですか?
>
そのように理解しています>それが「神」であった証拠だと主張するわけなのですか?
>新しいタイプなのでちょっと返答に困る。
この本は初版が平成4年のようです。
>>それが「神」であった証拠だと主張するわけなのですか?
>そのように理解しています
では、そこからその何をどのように理解しているか具体的にお聞きしたいのですが。
>>新しいタイプなのでちょっと返答に困る。
>この本は初版が平成4年のようです。
本じゃなくて、貴方のようなタイプ(そんな引用を根拠とする)が新しいという意味で。
>本じゃなくて、貴方のようなタイプ(そんな引用を根拠とする)が新しいという意味で。
あ、了解です。
>>>それが「神」であった証拠だと主張するわけなのですか?
>>そのように理解しています
>では、そこからその何をどのように理解しているか具体的にお聞きしたいのですが。
うーん、「神」以上は考えたことがないです。
ただ感覚的に「人間」から「神」として切り離された瞬間にもうたいていのことはいえそうだなと。その程度です。もちろん「象徴」性についての論点ですが。
いわゆる「人間宣言」において、「神が人間である事を認めた」という後世の論調を見かけますが、当時は天皇が神(唯一絶対神であるGod)なんてものではないことは誰でも知っていて、というかそんなことは当たり前田のど真ん中でした。
もし、神だと信じていたのなら「なんだってー!」となるでしょうが、そのような混乱は起こっていません。正統性ためのエゴだったというのは小学生でも知っていたと、もし神だなんていったら大笑いされただろうとあの司馬遼太郎も語っています。
国家神道にもからんでくるのでややこしくなってくるのですが、冷静に当時の政策やその他の記録を判断すれば、国民は至って冷静です。また、天皇は帝国議会の同意を得て政治を行うとされており、実運用上においてもこの原則は守られていましたし、実際に天皇も口を出すようなことは全く無く、今の制度とほとんど変りないほどでした。唯一意思を明確にしたのが226事件の時で、自ら鎮圧に乗り出す勢いだったのですが諌められています。もし神であるなら実際にそうしていたでしょうし、神でなかったからこそ諌められ、そしてそれをしなかったのです。
天皇自体も立憲君主であることを認識しており、過度に干渉する事にならないか、何気ないひと言がどのように解釈されるかもわからない、ということもあり、発言には非常に神経質であったようです。
また、第二次世界大戦にしても、戦争しないに越したことは無いという事を言いつつも、最後の最後にはもう止められる雰囲気ではなく、それどころか反対したらクーデターが起こりかねない状況であったと暗に無力であった事を告白しています。
そういう意味においては、国難においてリーダーシップを発揮できなかったので君主としては暗君だったとも言えるでしょうが、立憲君主を貫いた極めて民主的な国家元首であったと評価することもできます。
>いわゆる「人間宣言」において、「神が人間である事を認めた」という後世の論調を見かけますが、当時は天皇が神(唯一絶対神であるGod)なんてものではないことは誰でも知っていて、というかそんなことは当たり前田のど真ん中でした。
>もし、神だと信じていたのなら「なんだってー!」となるでしょうが、そのような混乱は起こっていません。正統性ためのエゴだったというのは小学生でも知っていたと、もし神だなんていったら大笑いされただろうとあの司馬遼太郎も語っています。
>国家神道にもからんでくるのでややこしくなってくるのですが、冷静に当時の政策やその他の記録を判断すれば、国民は至って冷静です。また、天皇は帝国議会の同意を得て政治を行うとされており、実運用上においてもこの原則は守られていましたし、実際に天皇も口を出すようなことは全く無く、今の制度とほとんど変りないほどでした。唯一意思を明確にしたのが226事件の時で、自ら鎮圧に乗り出す勢いだったのですが諌められています。もし神であるなら実際にそうしていたでしょうし、神でなかったからこそ諌められ、そしてそれをしなかったのです。
>
>天皇自体も立憲君主であることを認識しており、過度に干渉する事にならないか、何気ないひと言がどのように解釈されるかもわからない、ということもあり、発言には非常に神経質であったようです。
>
>また、第二次世界大戦にしても、戦争しないに越したことは無いという事を言いつつも、最後の最後にはもう止められる雰囲気ではなく、それどころか反対したらクーデターが起こりかねない状況であったと暗に無力であった事を告白しています。
>
>そういう意味においては、国難においてリーダーシップを発揮できなかったので君主としては暗君だったとも言えるでしょうが、立憲君主を貫いた極めて民主的な国家元首であったと評価することもできます。
>正統性ためのエゴ
正にこの言葉に尽きると思いました。
誰がこの論理を主張する必要があったのか、この論理を主張することによって誰の利益、正当性を支えたか。対する天皇の虚しさは計り知れないものを感じます。
>天皇は帝国議会の同意を得て政治を行うとされており、実運用上においてもこの原則は守られていましたし、実際に天皇も口を出すようなことは全く無く、今の制度とほとんど変りないほどでした
一旦当時の憲法条文を引用しようと書き込みましたが無益です。現実には仰る通りだったと思います。少なくとも青年将校らが暴走しやがて大政翼賛会が結成されるに至ってもそうだといえます。ただ抜け穴が多すぎる!ここをついて議会が無力していった・・
>もし神であるなら実際にそうしていたでしょうし
ここについては私は少なくとも建前上神であり且つ主権者だったからこそ少なくとも仮に起こりえた天皇に対するクーデターにも最低限対抗できたのではないかと思っています。ただ
>立憲君主を貫いた極めて民主的な国家元首であった
結果的にこういうことになったか。皮肉です。
とても考えさせられました。ありがとうございます。はてなやってて良かったです。
ゆっくり考えてみようと思っています
(憲法改正、9条なんて話題が際立ちますが本当は自民党内部からこぼれ出てくる「国体は不変である」という言葉のほうが議論の中心じゃないかと思っていたりするので・・)
(いわし汚しすみませんでした)