将来私も人の親になるのだろうし、自分も相手も十二分に納得できる答えとは何なのだろうと改めて思います。
どうして勉強しなければいけないのですか?
・学歴社会を勝ち抜くため
・大人になって社会で働くときに困らないため
・自分の興味・趣味嗜好を存分に追求できるように
系は間に合っていますので、何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論があればご教授願いたいです。
↑全くのダミー
どうして勉強しなければならないのか、という質問に表れている通り、子供はこの時期に好奇心や興味心が旺盛で「なぜ?どうして?」がたくさん出ますね。直近の「なぜ?どうして?」は何だったか、そしてそれは分かったか、分かった時にどうだったかを聞いてみてはいかがでしょうか。分かった時には個人差はあると思いますがプラスの気持ちと次の「なぜ?どうして?」が生まれていると思います。分かったのは勉強をしたおかげなのだということと、もっと勉強すればもっといろいろなことが分かるということ、そして分かれば気持ちがいいし、もっと知りたくなる。いろいろなことを知っていれば大人になるまで、そして大人になってからも楽しく毎日が過ごせる。楽しく生きることが大切なんだと、説いてはいかがでしょうか。
http://www.bk1.co.jp/product/2547202
オンライン書店ビーケーワン 404 ページを表示することができません
自分の小学生の子供に対する回答です。
お勉強は、お洋服と同じだよ。
綺麗なお洋服を着ると嬉しいし、寒い時でも暖かいよね。
みんながお洋服を着ているのに自分だけお洋服を着ていないと恥かしいし、寒い時にはとっても悲しいよね。
なんとなく分かってくれたようです。
Yahoo!�뺧
ダミーです↑
勉強=学び=本能
ととらえることができれば、よいのでないでしょうか。
人間も生まれて初めて、言葉を学び、歩くことを学びます。
どこかの民族ならばそこで終わりですが、日本で生きるにはもう少し学ぶことが必要だと思います。
http://www.hatena.ne.jp/だみー:detail]
「勉強の仕方を覚えるために勉強するんだよ」
ちょっとむずかしいかな…?
これは私が今まで勉強してきて出てきた答えなのですが
人生はずっと勉強の連続だと思います。
学校が終わっても学ぶことは変わっても
人生において「知識を吸収して活用する」という原理に違いはないとおもうのです。
いろんなことを知って知識が増えるのはとても楽しいことだと思いますし、
いろいろなことを学んでその中から自分の興味のわくことを見つけることができれば
それはその子の人生にとってプラスになるとおもいます。
テスト勉強なんかをしていると
「こんな勉強しなくても将来困らないよ」と思っていましたが
がんばって勉強してよい点を取ると自信が出たものです。
このように「自分の力でがんばることを覚える」ということが
人が生きて行く上で必要なことだと思います。
「知らないということはとても損をするんだよ」とか
勉強そのものというよりも
いろいろなことに興味を持つことが大切で
勉強もその一つだよというふうに教えてあげたらどうでしょうか。
なんだかうまくまとまりませんでした;
伝わらなかったらすみません。
http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2155
教育の情報化および校務の効率化を目的とする体系的な教職員向け無償トレーニングを全国で提供開始
(自分の興味・趣味嗜好を存分に追求できるように)に近いのですが。
小学一年生の子に将来の夢は何か聞いてみましたか?本来ならば勉強するのは将来の夢を実現するための手段に過ぎないのです。
少子化で質の向上が求められているなかで、勉強は自分の価値を向上する簡単な方法です。
結果が出れば、あなたの好きな人たちが喜んでくれるので頑張りましょう。
・・・とか。
「どうして勉強しなければいけないのか?」という問いの原因として2つあると思います。家庭環境などによる鬱が原因ならば家庭訪問するのがよいでしょう。
子供はなぁなぁ的なオトナの対応ができないので、誤魔が通用しないのが辛いですね。頑張ってください。
「星やお魚さんとお話するため」では
いかがでしょうか。
ちょっとロマンチックかとは思いますが、
勉強とは楽しいことだと思ってもらいたいですね。
地学を勉強すれば、石や川とお話ができるし、古文を勉強すれば、昔の人とお話ができます。数学(算数)を勉強すれば、アルキメデスやピラミッドを作った人とお話ができる。(考えていたことが理解できる)など
というのは、いかがでしょうか?
鋭い質問をしてくる、純な子なので、
高学年になったら、
福沢諭吉さんの本でもすすめてみたいですね。
http://firefox.geckodev.org/index.php?%CC%DC%C5%AA%CA%CC%B3%C8%C...
Mozilla Firefox まとめサイト
↑ダミーです
どうして勉強しなきゃいけないの?
→勉強しなきゃいけないことはない。したくなけりゃしなけりゃいい。そのかわりそのせいであとで困るのは自分だから
同じようなことを昔母にいったときに返された言葉です
学習塾じゃいえないとは思いますが自分の子供にはそういうのはどうでしょうか?
自分が思っていることや、考えていることを誰かに伝えたいと思ったとき、
”どうすれば相手にうまく伝わるのか?”と考えるはずです。
どうすれば相手にうまく伝わるのか、と考えるときに自分の持てる知識の中で、
最適な言葉を探すときに、バックグラウンドとなるべき知識は多い方がいいですよね。
勿論”これが最適な言葉である”という経験や、相手に正確な内容を伝えるために
理路整然とした思考も必要です。
逆もまた然りで、誰かが何かを伝えようとしているのか理解するためには、
少なくとも話の内容を理解する知識がなければなりません。
知識がなければ相手には何も伝わりませんし、誰かが何かを伝えようと
色々な言葉や表現を使ってくれても、それを受け止める知識が無ければ
何を言っているのかわかりません。
よって自分が考える”どうして勉強しなきゃいけないの?”の答えは
”他者とのコミュニケートを図るため”です。
はてなマップ
URLはダミーでごめんなさい
プラスの言葉と子どもにとって身近なたとえ話をつかって、説明されてはいかがでしょうか?
「~しないと××できないからだよ」など、二重否定をつかうと、それはなぜ?と無限ループになったり、勉強にマイナスのイメージがついちゃいますよね
たとえば、具体的に教科別にあげてみると
国語「おしゃべりする言葉をよく知っていると、おともだちとよくおはなしすることができるようになるよ」
算数「計算ができると、おやつをみんなで仲良くわけて食べることができるよ」
理科「動物や植物とだってなかよくなれるよ」
体育「みんなで体をつかってあそぶルールをおぼえようよ」
など。一時的でもいいので、いったん勉強にプラスイメージがつけば、疑問の完全解決にはならなくとも、納得をしてもらえるのでは、ないのでしょうか?
余談ですが、
あたしにとっては、小学校のときに習った勉強とは
「みんながみんなとみんなで仲良く生活するルールを教えてもらったところ」というイメージがあります
今、自分が大人になってに必要だと感じている【知識】は、中学校以降で習ったことが中心のように思え、
小学校のはもう【常識】として捕らえてしまって、それすら意識していないような気がします
だからこそ、小学校のときの勉強って大切ですけど、それ以前に「人と人とのかかわり」を大事にしてあげたいなぁと
質問者さんにきいてきた子どもは、【だれかに質問する】ことによって、人とのつながることを勉強しているのでは?大切にしてあげてくださいね
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091816916/249-2378087-...
Amazon.co.jp: MASTERキートン (1): 本: 勝鹿 北星,浦沢 直樹
”勉強”は、したくなかったらしなくてもいいけど、
”学び続ける事”は、やめてはだめ。
「それが人間の使命だからです」(「Masterキートン」)
というのは?
「間違いを繰り返さないため」でも、「就職の役に立つ」でも、「人生を豊かにする」でも、なんでも、そのときその時で、理由は色々あると思うんですよ。でも煎じ詰めると上の一言につきるかなー、と。(でなきゃ、「知識欲」なんてモノが人に備わる訳ないんだもの?)
���i�Q�b�g�h�b�g�R��
私も塾で教えています。
私の答えは、「自分の可能性を広げるため。」「自分の世界を広げるため。」です。
1.「可能性」については、とても合理的に考えています。小・中学校は義務ですが、修了することで一つの資格になると考えています。高校、大学もしかり。
学歴なんて関係なさそうな、例えば土木作業にも免許を取るときや責任者になるときにその資格の差がでてきます。
質問文の1に近いですが、人に勝つためだけでなく、「自分自身の可能性を広げるために」必要だと思います。
ただ、日々の勉強ではそういった可能性を広げる資格(パスポート)につながっている感じはしませんよね。
そろばんや、水泳には「級」があり、ステップアップして次の級に進む楽しさがありますが、学校の勉強はまるで永遠に続くように感じます。そこがちょっと嫌になるポイントかもしれません。
なので、「小学校」という資格を得るための「1年生」という段の「ひらがなうまく書けた級」合格!などというように、生徒さんに「確実にステップアップして、小学校を修了するための最終級に近づいているんだ!」と実感させてあげると良いかもしれません。
「世界を広げるため」について。
こちらはもうちょっとアバウトですが、勉強をして色々なことを知ると、次の世界が見えてくると感じています。だから勉強するのです。
「ひらがな」を習えば本という世界が広がります。「英語」を習うと本の世界はさらに何倍にもなります。
算数も数の世界を広げます。
「かけ算」を習うと、お友達にプレゼントする飴の数を知ることができます。
「大きな数」を習うと、自分では数えることのできない「1日の電車の利用客」を知ることができます。
見えなかったものが見えるようになるんだよ。
そんな風に、具体例を出すと良いかもしれませんね。
昔、勉強は貴族にのみ許された「娯楽」だったそうですよ。本来楽しいものならば、その楽しさを存分に伝えられるようになりたいと思っています。お互いがんばりましょうね。
これは自分の子供に言おうと思っていることです
実生活で使える必要な知識だから
です
モチロン、無くても生活は出来ます
しかし、知識を有効に使えばよりよい生活ができます
例えば、丸い缶のようなものに紙を貼りたいとする
紙を当てて印をつけても寸法は取れます
しかし、若干ズレます
ここで、円周率を知っていれば計算で出ます
これは、とても簡単な例ですが、全ての知識は生活に気づかないけど密着しているものなのです。
だって、使えない知識ならココまで発展しなかったでしょ?
また、歴史や地理など、学校では暗記モノで全くやくに立たない気がしますが、地理や歴史認識がなければ、現在ニュースになっている国際問題は理解することすらできないでしょう
どんな知識も使い方 なのです
ただ、知識を詰め込むだけでなく いかに使うか これも合わせて学ぶことにより生活が豊かになると教えるつもりです
あと、子供がもう少し大きくなったら
全ての学問は哲学に通じる
どんな学問でも行き着くトコまでいくと神に必ずブチ当たる
どんな学問でも人生を生きる為に重要なこと(ちょとまとまりが悪いですが)と教えるつもりです
補足ですが、島田伸介の娘さんが「何故勉強するかについて」こう言ったそうです
「将来の可能性が広がるから」
これは現在の社会に適切な表現かもしれないと思いました
世の中にはおもしろいことがいっぱいある。
それをどこまで体験出来るかは、知っていることが多いほど多くなるんだよね。
知らないとおもしろくない。
知っていればおもしろい。
世の中にはそういうことがいっぱいある。
例えばドラえもんの絵を見ておもしろいと思えるのはドラえもんを知っている人だけ。
ここまでが子供向けの説明。
以下は大人向けに説明。
逆を言うとおもしろくないのは知らないから。
国会中継がつまらないのは政治を知らないから。
野球を知らない人は野球を見てもおもしろくない。
世の中をおもしろく感じるためには「知る」事が必須なのです。
My Yahoo!
簡潔に書くと、
自分のために勉強する
ということだと思います。
今、もしくは将来、自分の好きなこと(例えば野球選手になりたいだとかもっと野球がうまくなりたい、とか)がでてきたとして、それをより成長させ、より深く理解し、よりレベルを高めるために勉強は不可欠だからです。
勉強とは大部分が「過去に人間が歩み、考えてきたことを自分のなかに取り入れる」という作業だとおもっています。
# 過去の失敗を学び次の段階へ歩むため
また、
将来人生に迷った時に、
歴史の知識から、昔の偉い人(エジソンなど)はこうやって乗り越えたので真似してみよう、とか
数学の知識から、論理的に現状に対処しようとしてみたりとか、
国語の知識から、今の気持ちを文章にして他人に伝えてみようとか、
普段気がつかないところで勉強とは役に立っているはずです。
上の書き込みに、
「学校の勉強はつまらない」
と子供がいう、とありますが、
普段、こういうことに勉強が役に立っていると気がつかせてあげると、意欲も湧くのではないでしょうか。
「しなければいけない」という問いのかけかたには義務教育の「義務」が意識されている気がします。義務教育という言葉は私たちの場合日本という国が個人に課しているお題です。そのまま説明すると法で定められているからという答えになってしまいますが、こんな答え方はしたくありませんね。背景にある理由を考えてみると間違っているかもしれませんが、ここに義務という言葉が使われているのは個人の観点ではなく国の観点から見た場合に義務教育を施した方が国自体が強くなる下地になるからという考え方があるのではないでしょうか。人は一人では生きられません。近くにいて同じような生活様式・思考回路・言葉を持った同胞の皆が考えてお互いに助け合って問題解決する力をつけるために、歴史を知ったり、話したり作文したり、計算したりする能力を各個人一人一人が持つことは大切です。小学生にもうまく噛み砕いて説明可能かと思います。助け合うための基礎作りということですね。
個々人の観点からみると「しなければいけない」ではなく、「した方が個人的に良い」理由としては皆さんがあげられているので良いと思います。1.自分の人生の選択肢を広げるため、2.他者よりも強くなるため、3.お金を稼ぐため。同じことを違う言葉で言っている気がしますが、最近浮かんだ違う言い方として「偏見を取り除くため」、というのが私の中ではあります。偏見の反意語は教養に近いそうです。つまり偏った知識、狭い思考回路に陥らないようにするためには沢山のことを知り、沢山の考え方(数学的、歴史的、、、)に触れる必要があると思います。小学校で教わる義務教育も多くの人の共通項目としてその幅を広げるために用意されたものの一つと考えても良いのではないでしょうか。そのうちもっと幅は広がります、スポーツだったり音楽だったり、パン作りだったり。これは噛み砕いて説明するの難しいですね。
URLはダミーです。
勉強する理由・勉強しない理由は人によりそれぞれです。
まずは、彼女はなぜそういう疑問を感じたのかについて対話することが一番重要ではないでしょうか?
勉強が面白くないから?わからないと悔しいから?いつもお母さんに勉強しろといわれるから?ただ単に皆が勉強するのが不思議?
普遍的な(もしくは大多数に支持される)答えを用意して答えても★彼女の★答えになるかどうかは怪しいかと思います。
まず彼女の疑問を解きほぐしていってある程度根本的な原因(疑問)を見つけてから、上記の回答の内それにあった適切なものを答えてあげてやるのが適切ではないかと思います。
その上に自分の意見(自分は面白いからやってる)や普遍的な話(選択肢が広がるなど)をしてあげたほうがいいかなと思います。
最初の回答が的外れだとその時点で聞く気が薄れてその後良いこと言っても耳に入らないことって皆さんありませんか?
「論」を答えてはいけないと思います。彼女自身の疑問を解いてあげればいいと思います。(それが論であればもちろん論を答えれば良いですよね)
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URLはダミーです。
基本的に勉強をする意義として、
①自己実現のため
②社会で活躍するため
は同意見です。ただ、あとひとつ
③人間の本能(知的好奇心)
ということも忘れてはならないと思います。
6さんの回答と似たものになりますが、
「なぞなぞ(クイズ)は好き?」と問いかけて、
「なぞなぞと一緒だよ」とか
「これからたくさんなぞなぞを解いていく用意をしているんだよ」とか
が良いんじゃないでしょうか。
あと、強いて言えば、勉強を嫌がってる場合、誉めが少ないのかもしれないと思ったりしました。一緒に「できたできた」と喜んでやるだけで、屁理屈言わなくなるかもしれませんョ。
URLはダミーです。
「勉強できるということは、幸福なことなんだよ。」とか、「勉強したら、何にでもなることができるんだよ。」というのはどうでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/Asahiya/
やっぱり僕はダメだと思う。孤独日記ってタイトルに入れてあるとよそ様と勘違いして入ってくる人が多いので入れる。
ケースがいまいちよくわからないので、こうしたほうがいいんじゃないかなって回答をフローチャートで列挙します。(・が回答。ほかがケース)全部回答を読めなかったので、全て既出だったらポイントはけっこうです。
あと、とりあえず勉強はここでは座学ってことにします。
それと質問者の方は、聞いてきた子が勉強する方向に考えをむけさせたいんだって言う風に考えてるとします。
■勉強した方がいいと思ってるけど聞いてる場合
▲わたしは勉強をしたほうがいいと思うけど、わたしたちは何で勉強しなきゃいけないんだろう。という意図である場合。
・人も国も会社も部活でも賢い人は常に必要とされます。いなくなるとみんな困ります。だからわたしたちは勉強する必要があります。
▲わたしは勉強をしたほうがいいと思うけど、何でわたしは勉強をしなくちゃいけないんだろう。と言う意図である場合。
・人間したいようにするのが一番です。[本人の意思に任す]
■勉強しなくてもいいと思って聞いている場合。
▲わたしはしなくていいと思うのに、何でわたしたちは~
・さっきと一緒。
▲わたしはしなくていいと思うのに、何でしないといけないのか。
●素直に聞いてる場合
・勉強した方がおいしい目を見れる。(見識が広くなる、認識が深くなる等の意も踏まえて)[損得勘定]
△それでも、「そんなことよりいま遊びたい」とか言い出す子には。
・先生はあなたに勉強を教えることでお金をもらっています。教えないとご飯が食べられなくなります。お願いだから勉強してください。[人助けと思ってもらう]
●素直に聞いてない場合(試してきてる)
・(素直に聞いてるのを言ったうえで)賢い子はする必要ないけれど、本当に賢い子はこうしたことを聞かない(試したりしない)[封殺、プライドの刺激](このケースとかあんまり考えなくてもいいかも)
もうちょい補填すると。
本人が勉強するしないで変わるのは本人の人生だけなので、やるのもやらんもの自分の意志の問題です。だから別にやんなくてもいいんです。だからって、質問者さんの勉強させたいって意思を曲げるわけにもいかんので上手いことやらせる方向に向かうようにさせるのがいいですよね。先生と生徒って関係だと教えれることに限界があります。小学一年生があいてだと、勉強ができるといろいろ楽しい遊び(教育テレビでやってるみたいなの)ができるって実践するのが一番手っ取り早いと思います。ピタゴラスイッチとかNHK教育見せるのもいいかもしれないです。現実的な子もいるかもしれないですけど、そういう場合は現実的なことを素直に言ってあげるといいと思います。もうちょっと年がいった人間には認識がどうとか見識がどうとかいったり、わからないことがわかる快感を教えてあげるといいと思います。
自分が親の場合は何か知らんかの形で勉強が面白いって刷り込ませるのが一番いいと思います。
しなきゃいけないってことはないけど、すると楽しいことがあるってことですね。これは体感させるのが一番だと思います。
これはちょっと別のことになるんですが、手を抜いて誤魔化して学ぶ癖をつけさせないようにしてあげてくださいね。素直に学べないのは本当に苦労するんで。
眠い頭で書いてるんで支離滅裂な内容で読みづらくてごめんなさい。
http://d.hatena.ne.jp/chihatomo/
chihatomoの日記
↑何もありません(というかはてなの質問って何故URLが必須なのですか?)
受験の点数取りだけでは無い、自分から興味をもって行う勉強は楽しいものです。
ツマラナイと思いながら聞いていた授業などでも、生きるのに役に立ちます(特殊な職業に就かないと役に立たない授業もありますが……(苦笑))
例えば小学校の高学年くらいの理科で習う毛細管現象でも、ホースさえあればポンプ類無しで容器の水を抜いたり他の容器に移したりが出来ます(元の容器の底面がちょっと高めだと良い)
同じ毛細管現象で、水の入った容器の縁に布などを漬けて、反対側を容器の外に出しておけば時間はかかりますが容器から水が少しずつ抜けます。
私は学校は嫌いでしたが、勉強自体は好きでしたよ。理解できた瞬間や答えを導き出せた瞬間は楽しいものです(押しつけられてやっている勉強でなければ特に)
その子が親御さんその他からの押しつけでは無く(学校の宿題や復習も同じく)、勉強が楽しいから自分から学ぼうと思う機会への出会いを期待します。
ここへ質問をしたthreecloudjpさんが、そのきっかけになるかも知れませんね。
http://masabon.tea-nifty.com/barikata/2005/08/post_a008.html
バリカタBlog: 歴史に学ぶ
以前知り合いのお子さん(中学生)がお父さんに何故歴史を勉強するのと質問したので代わって答えた内容の応用です。
先生はもちろん、大抵の大人はあの時こうしておけば良かった。といった失敗をしています。
先生も今こうして君達に勉強を教えているけれど、もっと勉強していたら、もっと賢くなってもっと大きなお兄さん達に勉強を教えているかもしれない。
多分お父さんやお母さんも同じことを思っておられると思う。あの時もっと勉強しておけばってね。
先生やお父さんお母さんが君達に勉強しろと言うのは、君達に同じ失敗をさせたくないからだ。
先生もお父さんもお母さんも皆勉強が好きとだったと言うわけではない。嫌いな時があっただろう。でもあの時もっと勉強していればという気持ちの方が強いんだ。だから皆に勉強して欲しいんだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/index.html
MSN毎日インタラクティブ
URLはダミーです。
『どうして勉強しなければいけないのですか?』という問いからちょっとずれるかもしれませんが、自分の子供(8ヶ月)には『勉強って、だんだん楽しくなってくるんだよね~。』って言うつもりです。
私の場合、勉強って学校を卒業して社会人になってから本格的に始まった(そして始めた)という気がします。
仕事に関することですから興味もそそられますし、勉強の成果が目の前にある仕事に反映されるのは楽しいです。
それに対して、子供の頃の勉強って基礎的なもので、それは重要なんだけど、その成果を反映させる場って無いですよね?
目の前に目的がないから、興味の無い教科については勉強する気が起きなかった。
その結果、今は『この数式が直感的に理解できてれば、もっと面白いんだろうなぁ』と昔の無勉強さを呪っています。
だんだん面白くなってくること、基礎的なことがしっかりしていると面白さ倍増することを、自分の気持ちに乗せて話せたらなぁと思っています。
URLダミーです
昔に数学の先生に「将来において数学を学んだ意味はあるのか?」と聞いたことがあります。
その先生には「論理的な思考を身に着けるためだ」と言われました。
国語にしても語彙力が高まることによりあらゆる状況を言葉で表すことができるようになります。
結局のところ勉強というのは、色々な人と綿密なコミュニュケーションをするための下準備なのでしょう。
ということで「将来に色々な人と仲良くするためだよ」と言うのはどうでしょうか?
Hotwired Japan
↑ダミーです。
昔、母親に同じ質問をした時に、「それが自分で解るまでは勉強を続けなさい。」と言われたことがあります。
この言葉をうけた後で、どう行動するかでその子の性格がわかると思いますよ。
onatsu.com
<たくさんのすてきなお友達と出会えるために。>
ちなみに小学校の校長先生は「正しいものを正しいと感じ、美しいものを美しいと感じられる心を持てるように」と言っていました。
よく言われる「算数」は、前頭葉発達に欠かせません。お勉強しないと、知識がないと、感ずる心がないと、すてきなお友達の前を素通りしてしまいます。
さまざまな生き方や感じ方が解るようになることは、相手を理解できるようになること、それは社会の基本であり、ひいては社会を変革しうる力にもなると思います。
http://d.hatena.ne.jp/love-gi/
名も無き大学生の日記
URLはダミーです。
俺が働いている塾の上司からの受け売りです。
世界には勉強をしたくても出来ない国がある。そういう国は決まって一般市民が貧乏で今日の食事すらまともに食べていけないような人たちで溢れている。
先進国である日本やアメリカやヨーロッパの国々は教育が進んでいるからこそ、経済も発展しているし、毎日が平和に暮らしていけている。
それに比べ発展途上国では一部の軍人や地主ばかりがおいしい食事を食べ、綺麗な服を着ている。更には戦争だって起こっている。
いつ自分が死ぬかわからないような毎日を、勉強をしていない(出来ない)人たちは送っている。
だから勉強をしないことは戦争を生み出すことであり、出来るうちにたくさんの勉強をした方がいい。
すいません^^;
うまく書けないけどある程度は伝わってでしょうか?
戦争が起こっている国の前線の写真などを使って話してみるといいかもしれません。
阪神タイガース公式サイト
URLはダミーです。
一言で言えば、「たくさんのお面白いお友達を作るためです。」
これは、意外と私の実感です。勉強することによって、教養は広がり、その中で付き合いも広がります。一つは、そういう”場所(場面)”に行けるようになることがメリットです。たとえば大学。学歴社会、偏差値社会といえば、寂しいですが、実際、大学で出会った人は、それまでの人生にはいなかった面白い人達ばかりでした。良い本当の勉強ができました。さらにいえば、その広がりは、認知度の高い大学の方が大きくなります。もう一つは、やはり、人はその人の考えや発想に惹かれるものです。それは、その人の培ってきた教養ですから、勉強は重要です。同じ”場面”に行けたとしても、中身が無きゃダメということです。いま、つくづく、もっと教養を広げておけばと思っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/tomfeb1
Yahoo!ブログ - エラー
URLは私のブログです。回答は載っていません。
この質問に回答する為には、何故、その子が、そう思うのか、が分からないと、その子が納得のいく回答を出来ないからです。
まずは、「なんで、そう思ったの?」って、聴いてあげて下さい。その理由を考えさせて、上手く答えられるか、答えられないかによって、回答の内容が違ってきます。答えられたら、その答えに、応えてあげてください。答えられなかったら、「勉強しないと、自分の言いたい事を相手に伝えられないでしょう。だから、勉強するの。」って答えてあげてください。
検索デスク SearchDesk スタートページ
urlダミーです。
何故勉強をするのでしょうか。
それは、いろんな考えかたを 身につけたり、知るため です。
人はみんな、いろんな見方ができるようでいて、なかなかそうはいきません。
勉強をすると、物事を突き詰めて考えたり、スッキリとした理屈で考えることができるようになったり、
昔のひとや外国の人、できごとから、自分と違う考え方を知ることで、いろんなものの考え方ができるようになります。
違う考え方を知ると、自分もいろんな考え方が出来るようになります。
そうすると、困ったことが起きたときにどうしたらいいか、いろんな方法を考えることができます。
また、自分だけでないたくさんの考え方を知ると、相手の気持ちや立場を考えれるようになって、今よりも思いやりのある人になれるかもしれません。
なにより、自分とは違う考え方に気がつくと、ハッとして感動します。
子供の頃は、たくさん勉強することがあって、知らず知らずのうちに身に付けてしまって(それは羨ましいのだけども)今はあんまり感動はないかもしれない。やらなきゃいけない、という感じで、あまり面白くないかもしれない。
でも、カレーライスみたいな辛い食べ物の美味しさって、小さい頃は分からなくても、大きくなったら、わかるじゃない?大きくなったら、今よりもっと面白さが分かるよ。
でもカレーみたいに栄養たっぷりだから、小さい頃からでも、たくさん栄養とるようにして、たくさん勉強しなきゃ、ね。
人力検索はてな
URLはダミーです。
小学生の頭は知識や経験をたくさん記憶できるんだよ。
スポンジが水を吸収するように。
だから、いっぱい勉強していっぱい遊んでいろんなこと覚えようね。
ぐらいでいいんじゃないでしょうか?
将来のためとか言ってもきっとビジョンが出来てないから理解するのはむずかしいかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/Lucrezia/
Lucrezia Borgia の Room Cantarella
お初に御目文字いたします。Lucreziaと申しますわ。URLはダミーですのでお気になさらずに。
そうですわねぇ。あたくしでしたら、こんな風に答えてみるかしら?
「ここにお花の種があるの。でもこの種のままじゃ、きれいでもなんでもないわ。この種をきれいなお花に育てるためには、土に埋めて、たくさんのお水や肥料を差し上げて、育ててあげないといけないわ。
あなたも一緒よ。
あなたは、まだ種なの。しかも、あなたはたった一つの種しか埋まっていない花壇ではなくて、きっと、たくさんの種が埋まっている、とても素敵な花壇なの。
でも、そんな素敵な花壇でも、お水を差し上げなければ、お花は一輪だって咲きはしないわ?
植物にとってお水が必要なように、人間にとっては、遊びも、楽しいことも、悲しいことや辛いことも、そうしてお勉強も、あなたという花壇に差し上げるお水になるの。
あなたはどんな素敵なお花畑を作れるのかしら?」
勉強だけではないわ。人が育つためにさまざまに必要なこと。その中のひとつとしての「知」があるだけだ、ってことを一緒に教育差し上げてはいかがかしら?
一番簡単に答えるとしたら・・・
「勉強は、好きだからやるんだよ」
といえば良いと思います。
「私は勉強、好きじゃありません」
といわれたら、
「じぁあ好きになればいいんだよ」
といえば良いと思います。
URLはダミーです。
私自身「どうして勉強しなきゃいけないの?」って高校生まで考えていました。自発的に勉強しなくちゃと思ったのは、明確な将来の夢が出来た大学受験前。
もう必死で勉強しましたよ。
生徒さんは小学1年生とのことですので、「それは将来のため、夢のためだよ」的なことを言ってもピンとこないかも。。。
「○○ちゃんは大きくなるためにご飯を食べたり、丈夫になるために体育をしたりするでしょう?勉強は脳みその栄養と運動なんだよ!」なんてどうでしょう?
。。。子供だまし過ぎますかねえ?
URLはダミーです。
たとえば、こんな話はどうでしょう?
自分の好きな歌があるとします。
日本語の歌にしておきましょう。
(何でもいいんですが)
その歌の歌詞にわからない言葉が出てきました。
さあどうしましょう?
こういうときに調べるのです。
これが「勉強」です。
実際私もわからない言葉があって
辞書を引っ張り出して調べ、
わかった後は自信を持って歌ったという思い出があります。
まずは「疑問を持ったら調べる」
そして「知るという楽しみを感じる」
そのことから始めてみてはいかがでしょうか?
イジワルな質問ですね。
質問に答えを書いておいて、「それは間に合ってます」ですから。
もうお気づきだと思いますが、答えられている方々の意見は、これらに分別できますね。
私は3番目に一票!
よくみると1番目と2番目は同じで、方便のためということで、3番目は自己満足のため、という2種類になりますか。
理由をつけるならそのどちらかなんでしょうが、指摘されている方もいたとおり、
通常の発達段階では、小1に「説いて聞かせる」ことに無理があるでしょう。
まあ仮にその子が超天才でこれからアメリカに留学して小学校低学年のうちに大学入学資格を取れるような子だったら、
まだ大脳皮質のニューロンが未発達なので勉強することにより可塑性のシナプス結合を形成してカラム構造のニューロンネットワークを発達させて海馬での短期記憶を容易に長期記憶として保存することができるんだよ、
とやさしく説明してあげれば納得すると思いますが。
十何年かまえに基礎科学なんてなんの役にたつんだ、という議論が研究者の間であったことが思い出されます。
最初は基礎科学こそ応用の基礎だから、産業発展の根幹だ、とかやあやあ言っていたようですが、
最後には自分がやりたいからやるし、他にもやりたいやつもいるだろう、なんてことになったようです。
結局は自己満足ですね。
最高のブレーンと思われる大学教授どもがそんなんですから、答えとしての結論は出んでしょう。
しかし、質問者がいままで、そんな答えは間に合ってるって言っただろうコンチクショーとは言わずに丁寧にレスつけているところをみると、
わざとイジワルで質問したのではなく、
ズバリ実践例が聞きたいのだと見た。
素晴らしい実践例を紹介されているかたもおりましたが、
わたしは何年かまえに学童保育みたいなボランティアで小1の男の子を教えていた時、
その子はその頃はやっていたテレビのマンガ映画が好きだったようなので、
問題集を進めるごとに、その主人公のまねをして丸をつけながら、「やったあ、ゲットだぜえ!」といっしょに喜んでいたら、
勉強ぎらいのその子も楽しんでやっていたようです。
でももうそのマンガ映画は流行ってないか。しかも男の子向き。役に立たずにすみません。
おとなの会話でも8割は表情やイントネーションなどの言語外コミュニケーションによってコミュニケーションが成り立っている、というヨタ話があるように、
小1だったら特に、論理的な理由ではなくて、こういう共感的手法だと思うんだけどな。
しかしせっかくこの共感的手法でやっていると、ガキといっしょに遊んでるだけだ、
とか、おつむの程度がガキとおなじだから教えられないだろう、とか言うワカランチンの親がいますよね。
そういうのはインテリぶてってても結局は知ってるか知らないか程度の議論しかできないクダランやつらだ。
おとなしく机の前に座って勉強する習慣を身につけさせてくださいって、勉強嫌いにさせるだけだっつーのに。
学習塾のような営利事業だと、その点ムズカシイかな。
私が小学校のときは、幼稚園を中退したせいもあって、毎日まなぶことが目新しくて楽しかったけどな。
ガガーリンが「地球は青かった」とか言っちゃったせいなのか、学習指導要領も特に理科がてんこもりだったけど、別につめこみというより次々と知らないことが出てきて楽しかった。
中学・高校は受験対策で穴埋め問題みたいなのが多くて正直つまんなかった。
大学でパンキョーが終わった頃から、また小学校の頃のように楽しくなった。
まあ、その後落ちこぼれたけど。
http://www.1101.com/philosophy/index.html
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URLは、ほぼ日の『コンビニ哲学発売中。」ですが、現在休止中です。
こちらのサイトで、読者さんからの投稿に「学生時代の恩師の言葉」的な良い話があったのですが、読めないので思い出して書きます。
ある目的地に辿り着く為に、一本の道があるとします。
歩けるだけの幅の道、例えば30センチの幅の道でも、目的地までつながっていれば辿り着くことはできますよね。
でも歩きにくい。
綱渡りみたいな感じになっちゃいます。
実際には歩かない部分の幅があった方が、ずーっと歩きやすい。
つまり、目的に必要なものだけあればいいわけではない、必要じゃないと思われる部分も実は結構必要、という話なんです。
たとえば、プロ野球選手になるために野球だけをやる、というのは、この30センチの幅の道を歩くのと同じこと。
プロ野球選手になるのには無駄とも思われる、学校の勉強とか、友だちと遊ぶこととか、野球と全然関係ないことをすることで、30センチの道幅が1メートルにも10メートルにもなるんです。
勉強は、歩きたい道を歩きやすくするために幅を広げる為に必要なこと。
だから勉強は「しなきゃいけない」ではないけど「しておいた方がいい」というような話でした。
実際の話は、もっと分かりやすい話でした。
もっと勉強しとけば、もうちょっとうまく話せたかもしれませんね。
勉強をしなくちゃいけない理由ってちょっと難しいよね。もしかしてしなくてもいいのかな?
新聞とかも勉強のさせすぎはいけないって言ってるし。
じゃあ、総理大臣にお願いして、日本から勉強をなくす法律を作ってもらったらどうだろう?
もう、みんな塾にいかなくてもいいし、漢字も九九も覚えなくてもいい。テストも当然無くなる。
学校に入る試験もないし将来大人になって会社に入る試験もぜーんぶなくなる。
すっげー楽ちんだ。これが自由か。うーん、けっこういいかも。
テストがないから、みんなが自分の好きな会社に入ろうとするぞ。
なんと、君が入りたいと思ってた会社にも100万人の希望者が来た。
でも入りたい人が多すぎて入りきれない・・・。この会社には3人しか入れないのに
希望者は100万人いるんだって。どうしよう?どうやって3人決めよう?
じゃんけんにしようか?
でも君はこのお仕事をするのがずっと夢だったのに、じゃんけんで負けたぐらいで入れなくなったら
悔しくない?一生懸命やってきた人より偶然じゃんけんで勝った人のほうが得をするの?
かけっこにしようか?
でも男の子の方が走るの速いよね。女の子たちはみんな損じゃん。
お金をいっぱい払った順にしようか?
でもおうちがお金持ちかどうかなんて子供には関係ないのに。
お父さんがこの会社にいる人から入れるってことにしよう。
そんなのえこひいき。
じゃあ、最後の手段。戦争で勝った人にしよう。
・・・って、そんなのイヤでしょ?
ね。もし勉強がなくなっても、なにかしら順番をつける方法がないと結局みんなが困るんだ。
今は勉強の成績で順番をつけてる。だからみんな小さい頃から国語や算数の勉強をしてるんだ。
でもこれが「縄跳びのうまい順」になったら、みんなは競って縄跳び塾に行くよ。「変な顔順」になったら
みんなお医者さんに行って変な顔に手術してもらうだろう。「おならの臭い順」だったら君は1日3本ずつ
おかあさんと先生に叱られながらおイモを食べなくちゃいけなくなる。
世の中には生まれつき足が速い人もいるし、お金持ちの人もいるし、歩けない人や話せない人もいる。
変なルールだと損をする人がずっと増えてしまう。一番不公平にならないルールは何だろう?一生懸命
頑張った人がきちんを得をできるルールは何だろう?それとどうせやるんなら役に立つことって何だろう?
たぶんそれが今君がやってる勉強なんだと思うんだ。
本を読んで先生に教わって自分で頑張れば成績はどんどんあがっていく。何もしなければどんどん落ちていく。体が不自由でも日本のどこで生まれてもお金がなくても本人次第でなんとかなる可能性がある。小学校で覚えたことが50歳で役に立つこともある。
もちろん勉強で順番をつける方法も完璧ではない。それでも不公平は残る。でも一番不公平にならない方法って何?って言われたら、やっぱり僕は勉強だと思うんだ。
何かほかにいい方法があるのかな?
http://www.butukura.org/cowboy/
Cowboy's Room
ダミー
自分も子供の頃先生に質問した記憶があります。なんて返ってきたかは覚えておりません。
自分の考えですが、子供の頃はそんなに勉強しなくてもいいのではないでしょうか?
小学校の頃は自分でやりたいことだけ真剣にやればいいと思います。
好きな科目だけ好きなように勉強して嫌いな科目はせめて宿題だけはやるって感じで。
自分の場合は、宿題だけは絶対やるって感じでした。テストはずっと一日前のみ。
勉強よりも頭の体操的な問題を解くのが結構意味があると思います。子供の頃そういう本が大好きでそういったクイズの本を結構読みました。
その結果かなり思考能力がものすごく高まった気がするのですが・・・気のせいでしょうか。小学校の頃は普通程度の成績でしたが、正直後半伸びると思います。
大人になってからでも勉強はできます
脳って本当に衰えるんでしょうか?使わないからさびつくんじゃないですか。
自分から勉強したくなるような教育が最も理想だと思うのですが、詰め込みが多い感じがして残念です。
自分はもし子供が出来たら出来るだけ自由にさせたいと思います。でも宿題だけは絶対にやるようにしつけます。世の中にやらなきゃいけないことがあることと我慢を教えます。
でも、塾の講師がこんなこと言ったらダメだな・・・。
何になるかはわかんないけど。
成れるチャンスのあるモノは、
たくさんあった方がいいから。
選択肢が増えるってことかな。
大人になってからすごく感じました。
この質問の答えは人によって違うので、一概に言えないと思います。今あがってるだけでも楽しいから、生きる上で必要だから、親の期待、やりたいことがあるからと様々な答えがあります。すべて真実でしょうが自分に対しては正解だけど相手にとっては正解なのかはわからない。この類の質問は自分で答えを出さない限り納得できないのではと思います。
人によって違うことを理解させるために自分の考えと、その子と、他の人の考えは違うことと考え方の例をいう。そしてもう一度考えさせてしっくりくるものがあれば、それが今のその子の正解ですし、無ければ人によって違うから~などと言って保留にするのがいいのではないかと思います。
ただ人によって違う答えがない質問だということがわかっても、やる気が出るか微妙ですが。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=勉強とは&btnG=Google+検索&lr=:detail]
URLはダミーです。
コレ系の疑問は耳にすることが多かったので以前から考えていました。で、導きだした答えがコレ↓。
「そういう社会のシステムだから」
というのは勿論冗談です(とは言い切れませんが)。そもそも本来は勉強[しなければならない]なんて事はありませんよね。
でも実際はイヤイヤながらも勉強している子供がいるわけで、そういう子供に「そういう社会のシステムだから」てな話をしても微妙な顔をされて不信感を持たれるだけでしょう。
閑話休題
一言で表すと「今後の人生をより豊かに過ごす為」だと思います。(大事なのは将来だけでなく今も含まれている事)
学歴や就職、金銭、権力だけの話ではなく、精神的・感情的な意味も含めた「豊かさ」です。
子供などが相手の場合、理解を助ける為に例示する必要がでてくると思います。
そういった際は子供の好きなもの・興味のあるもの等を聴き、「ソレはコレコレこういったものだから、○○や□□を知ってると、分かっているとより楽しいよ。楽しいんじゃない?」みたいに上手く導いてあげると良いのではないでしょうか。
「何かと不利益を被らないため」といった面もありますが、夢がないですからね。
先に生まれたものとして、子供たちにその経験と知識を教え助ける良い手となって下さい。
人力検索はてな
私が高校生の時の数学の先生の言葉です。
ちょうど積分を勉強していて、こんなの将来ぜったいに使わない…という話になり、
「ここで積分の問題を一生懸命解こうして、頭を使うことが大事なんだ。
将来、何か難しい問題にぶつかった時に、ああでもない、こうでもない…と考えて、
解決の糸口を探していく力…そういう力を養う為に今、勉強しているんだ」と言われて、
16歳の私はとても素直に、そうだったのか~…と思ったものです。
1年生だと…どうなんでしょうね。四則演算や漢字など、「将来ぜったいに使う」知識ですもんね(笑)
でもこの子は「お買物する時に困るから」とか「漢字がわからないと面白い本が読めないよ?」みたいな
返事を望んでいるんじゃないんでしょうね。
私は1年生の段階で、どうして勉強するんだろう?って思ったことを褒めてあげたいです。
それが単に嫌がっていて出た台詞だとしても、「どうして?」って思うのは大事だと思います。
こうして真面目にその疑問に答えようとしてくれる大人が身近に居たことは、その子にとって幸運ですね。
それだけでも塾に行っている価値はあるのかも。
プロゴルファーの宮里藍ちゃんのお父さんが、学校の勉強だけはおろそかにするな…と言い聞かせて
藍ちゃんのことを育てたそうです。いろんなことを一生懸命考える力をつけることが、
今後生きていく上でとても大事だ…と教えられ、藍ちゃんがその話題の中で
「ゴルフをしている時、実際にクラブを振っているのはほんの数分で、残りの時間は『考えている時間』なんです」
と話されたのが印象的でした。
…なんていう話は参考になりますでしょうか?
1年生から塾に通って補完することに意味があるのか?…という話題が出ていましたので、
それについて一言だけ。
それがどういう塾か…にもよりますけれど、幼児~低学年の学習面に限って言えば、
家庭での会話がきちんと為されていれば、必要が無いのではないかとも思います。
ただ、お家の方に子供を見る余裕が無い、会話の量も足りない…ということになると、
塾の先生など教育の専門家のフォローがあった方が良く、それも早い段階で必要なのではないかと考えます。
逆に、過保護で「教え込みすぎ」の場合も、他人が介在するというのは良いことだと思います。
今は、子供だけでなく、保護者にも教育が必要な時代なのかもしれません。私見ですが。
URLはダミーです。
大人になって社会にでると、毎日が勉強なのだ。いましている勉強は、大人になってからの勉強の仕方を勉強しているのだ。
と、説いています^^;
Yahoo!コンピュータ
URLはダミーです。簡単な言葉で言えば、「勉強しないと単純馬鹿になってしまうから。単純な事しか出来ない大人になってしまうから。」です。子供の可能性を伸ばすために勉強をします。
勉強は頭の体操、やればやるほど難しい事にも挑戦出来る脳みそのなります。それから自信をつける効果もあると思います。
自信がつけば色々なことに挑戦する意欲も湧きます。そうすれば自分のやりたいことも見つかります。
勉強が苦手な子供は自信をなくして諦める心があると思います。勉強が出来ないことで子供なりにプライドが傷ついているのです。
ですから先生は勉強が出来ない事でむやみに叱ったりしないで、出来ない子ほど何かの形でほめる努力も必要と思います。コンプレックスは勉強の意欲を下げる原因です。
それから「単純馬鹿になる」とは書いたけれど、決して勉強できない子供に対して馬鹿にする心を持たないでください。むしろ尊敬するくらいの大きい心が必要と思います。
子供の心は敏感ですから。チョットしたことで悪くもなるし良くもなります。
「あなたの大好きな人を幸せにするために今は勉強しなさい。」というのもいいかもしれません。
Yahoo!������������
将来の目標が決まってない場合。
なりたい自分を探すために勉強するんです。
将来の目標が決まっている場合。
なりたい自分になるために勉強するんです。
ただ小学生くらいの勉強はどちらにしても共通なので勉強しないとだめなんですけどね。
人生一生勉強ですよ。
株式会社ソーテック ノートパソコン デスクトップPCの製品情報・通販サイト
勉強は、厳しい現実から逃げ出さない習慣をつける為の訓練。何か嫌な事があったら簡単に逃げ出してしまうような卑怯な大人にならない為に、勉強しましょう。
URLはダミー。
今後君が何か知りたいことが出てきたとする。知らないことを知るためにはどんなやり方があるか、それを勉強してるんだ。今なら僕(先生)に聞く、というのがひとつのやりかただね。ほかにもいろいろ方法があるよ。考えてごらん。
livedoor
URLはダミーです。
どうして勉強しているのか?をわかろうとするために勉強するんだよ。あなたも「どうして勉強しなきゃいけないの?」って聞くことがどれだけすごいことか考えてみて、まず世界中にたくさんある言葉の中の日本語を知っていて、その日本語の中で一つ一つの名前、感覚を表現できる。でも自分の思ったこと、考えたこと、感じたことを人に伝えることって難しいよね。だから、自分の中にある全部のことをまわりに教えることができるようになるために勉強してるんだよ。
ってな感じで...
URLはダミーです。
私の恩師にこのような回答をした数学の教師がりました。
「なぜ皆さんは勉強をしていますか?良い大学に入る為?大企業に入社する為?会社を起業するため?」殆どの生徒はこれらの回答例に当てはまる回答をしました。
そこで恩師曰く「これは私の個人的な回答ですが、人は人に騙されない様にしっかりと勉強しそれらを理論的に組み立て、騙されないように自らの考えを確信を持てる様になる為に勉強をするのだと思います。無人島なら体験し実習してゆけば済みますが、人と言うのは決して全員が善人でもなく、それこそ十人十色です。立場が変われば態度も変わります。だから正しいのか間違っているのか判断できる人間になる為に勉強は不可欠なのです。」というニュアンスでおっしゃっていました。(自分で装飾してます)
確かに人間は一人では生きていけませんし、周りに必ず人がいます。新聞の営業や宗教の勧誘、街での会話や選挙に参加。全ての小柄はどんな形にせよ自分で考えなければならないし、正しいのか間違っているのか判断しなければなりません。
従って、多くの人との関わりをもて、社会的地位の高い人の話を聴くことの出来る立場に己を置く事のできる学力も必要です。もちろん様々な人に自ら接する事や相手から接してくる事もあります。逆に無学の人はそうゆう機会も圧倒的も少なく、他人の意見も聞けない場合も多分にあると思われます。
だから勉学は必須なのだと大人になって痛感しています。
URLは、ご愛嬌(今どきの先生待望論)
答1「損をしないため。」
たとえば、道に光る石が転がっていて、それを「ただの光る石」だとしか判断できなければ損。「ダイヤモンド」だと判断できれば得
をする。
知っていることが多いほど、判断できる事柄が多くなり、結果的に得をします。ドラゴン桜の「だまされないため」に近い回答ですが。
URLは、アマゾンでの検索結果。
答2「先人の知恵を無駄にしないため。」
人間は、知識や知恵をコンピュータのように簡単にコピーできません。将来、科学が進んでできるかもしれませんが、現在のところ、人間は勉強を通して知識を伝えていきます。
○国語ー言葉の記号の種類、使い方
○算数ー計算のやり方、
○理科ー人間が発見した自然の法則
○社会ー人間社会のルールや規則
知識の中には、何百年もかかって回答が得られたものもある。それは、勉強をすれば一瞬で回答がえられるが、勉強しなければ、また
数百年かかって回答を探さなければならなくなる。
URLはダミーです。
答3「相手の話を理解するため。そして、相手に自分の意見を正しく伝えるため。」
多くの知識があれば、相手の話が理解できる。先の回答のように、該当の物理の法則を知っていれば、あの夫婦との会話の意味も内容も理解できる。別の例として、英語を勉強し、米国の歴史文化について知っていれば、米国人が話すことが理解できる。
一方、相手に自分の意見を正しく伝えるには、相手にあわせて、相手のもっている知識の範囲で話す必要がある。自分の知識が多ければ、相手のもっている知識を自分が知っている可能性が大きくなる。
URLはダミーです。
質問に質問で返す形になりますが、「あなたには何か特別な能力がありますか?例えば、ルックスがよいとか、野球が上手でプロを目指して日々練習しているなど」
と、なげかけてみると大抵の子どもは返答に窮すと思います。
そこで「お金がもらえるほどの特別な能力を持っていないならば、生きていくために勉強をしなければならない。」
ということを伝えてみてはどうでしょうか?
小学生には酷な言葉となるかもしれませんが、かつて高校生だった私には強い危機感と勉強の必要性を感じた言葉です。
http://www.google.co.jp/imghp?hl=ja&tab=wi:
Google イメージ検索
「生きるという事は学ぶという事だから」ですね。
どのような仕事についても「仕事の仕方を学び、効率よく仕事をする方法を学ぶ」必要があります。
遊びにしても「どうすれば楽しくなるかを考え、その方法を学び」ます。
生活でも「家事全般を学び」、「安い商品の買い方を学び」、「最近の情勢を学ぶ」わけです。
つまり普段から勉強して、論理的に考えたり覚えたりする力をつけておくと他の学びにも良い影響をあたえ、結果として人生全体に良い影響をあたえるから勉強をしたほうが得なわけです。
仮に勉強をして何も得るものがないのなら、勉強をする必要はないと思います。
森高千里さんの「勉強の歌」に
”しゃくだけど勉強には にんじんと同じくらい
栄養があるみたいよ 食べなきゃ”
という歌詞があります。
僕が以前同様の質問をした時に、友人がこの歌詞を教えてくれました。
僕はなんとなく「はは、なるほどねぇ」と納得しちゃいました。
学協会情報発信サービス トップページ
URLはダミー。
子供の頃たいてい持つ疑問だと思うし、うちの子にもきかれました。
で。
勉強をしないで大人になる人がたくさんいたらどうなるだろう?
これからきみはいろんな「権利」というものを持つようになる。日本に住んでいる人は18歳になったら結婚して子供をつくっていいし、自動車を運転できる。20歳になったら選挙権を使って政治に参加できる、25歳になったら国会議員にも立候補できる。
でも、それは権利を正しく使うための勉強はしましたという前提なんだ。それがほんとはばかな大人もいるから、困ったことが起こるんだよね。
いろんなことを知ってる正しい大人が多ければみんなが幸せになるし、これからの子供達も幸せになれる。けれど、バカな間違った考えの持ち主が多ければみんなが不幸になっちゃう。何も知らない子供のような大人は正義を守れないし、自分やみんなの幸せにするにはどうしたらいいかわからないんだ、さあどうしよう?
ウルトラマンもセーラームーンなんて、もし間違いばかりだったらどうなる?間違って地球を亡ぼしちゃうかもしれないものね。強くたって正義の味方にはなれないよ。だから大人になったら正しく物事を考えることって大切だよね。
でもね、友達のみんなが大人になっても、きみが永久に小学生のままでいるつもりなら、勉強しなくて大丈夫。でもそれじゃ、たぶん楽しいこともないと思うけどなあ‥。
うちの子にはだいたいこんなことを答えてました。
ちなみに人よりたくさん勉強する理由にはならないですが。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063289486/qid%3D112512...
Amazon.co.jp: ドラゴン桜 (3): 本: 三田 紀房
#a36の返事でドラゴン桜に言及してますね。 あれで言えば、「東京大学新聞」のエピソードが最も正解に近いと思います。
>「知るか」「知らないか」
>たったこれだけの違いで有利か不利かの差が出るんだ。
>今回はたまたま幸運にも知ることができた
>もしこのラッキーがなかったらその場合のこと考えてみろ。
>つまり・・・
>「知らない」ということは実に恐ろしいことなんだ。
まあ、言ってることは「勉強すると選択肢が広がる」と同じなんですが、「知らないと選択肢が閉じる」ことも併せて教えると効果的かなと思います。
「知っていればスグ簡単にできることでも、知らないと、何回もやり直したり、失敗してできなくなったり、無駄があったりして“困る”よね」、、という感じですか。 大抵どんな職業でもそういう例え話は作れると思うので、そういう説明でいいと思います。
Yahoo! JAPAN
「日本は自由な国だよ。でも、その自由を使うためには、勉強ができないとだめなんだよ。自由になるために勉強するんだよ」というのはいかがでしょう。URLはダミーです。
「自由」ですね。
ありがとうございます。
http://www.geocities.jp/konoha788/
このはつづり-詩の勉強始める人に-
urlダミーです。
よく大人は突然勉強したくなります。
仕事の必要もあれば、急に何かに興味を持ったり、その年齢はさまざまです。
その時に下地というか、基礎的なものが整ってないとスムーズに行かずに苦労します。
私は勉強ばかりして後悔してる方なので、手に職になるものと、倫理観、道徳だけでいいと思うのですが、
実はそれらを「考える力」なんかも義務教育で養われるようです。
あと、危機一髪の時、何が役立つかわからない。
ので、色々知ってる方がいいとか。
そうですね。本当に同感です。
これは私の質問文の2番目と3番目の考えに近いと思いますが、そのように説いて聞かせると説得力がありますね。
ありがとうございます。
http://www.sysynt.com/RI/Categor4/data/20050729_184618.htm
求人 学習 資格 マネー クレジットカード at sysynt.com
「勉強しなくちゃいけない」のかとか、すでに言葉の罠にはまっています。
勉め強いる必要はないのですけどね。
学び知ることによって、能力を高める必要があるだけです。学び知ることないままでいると、能力が低いと感じることになります。無知無能のままで耐える事を勉め強いられることがない様にするわけなんですけどね。
>無知無能のままで耐える事を勉め強いられることがない様にするわけなんですけどね。
なるほど…。
言われてみればそうですね。
しかし子供は
>学び知ることによって、能力を高める必要がある
のがなぜなのかわからないので、そこを噛み砕いて説明してあげたいのです。
http://kids.gakken.co.jp/kagaku/furoku/index.html
科学のふろくミュージアムへ
学研のかがくの付録!
小学生だった私は、学研のかがくの付録を説明書通り組み立てるだけの人生では不足で、かがくの付録のような物を自分で考えて作る人間になるために、勉強することが必要でした。
私と同じ性質の人でなくても、たとえば中田やイチローになりたいと思えば人生のどこかで外国語を勉強しなければならないことは明らかで、何年も海外で働いて未だに外国語ができないスポーツ選手などは私にとってはスマートさが感じられません。
もっと地味な未来でも、テレビドラマで出る刑事やサラリーマンでも試験があり、野球選手や上海雑伎でも厳しい修行があります。上海雑伎団だって外国公演で自由に外国語が話せた方がかっこいいに決まっています。そのようなかっこいいオトナのどの例を取っても、そのために小学校でやるべき事ははっきりしています。
このように「将来のためだ」などと抽象的な説明が無くても、漁師になるにはこの学問、レスラーになるにはこの語学、と、現実の楽しい目標を実現するために必要な勉強は、わりとはっきりと説明できる物だと思いますよ。途中で目標が変わっても、その途中までにやったことが人生の味付けとして役に立つんじゃない。
最後に、子供には受け入れにくいような理屈を言えば、誰が何の天才であるか、実際にそれを教育してみないと分からないですよね。その意味で、義務教育の間は、本人が興味がない勉強でも無理矢理やらせてみることが公共の利益に成るじゃないですか。誰でも10歳までに触れた物の中から天職を選ぶ物だと聞きました。小学校ではなんでもまんべんなくやってほしいです。でもこの話は、その勉強がつまんない本人の耳には入りませんね。
そうですね。
具体的な目標のため、とすると、とてもわかりやすいですね。
ありがとうございます。
義務教育の間は幅広く満遍なく、というのには私もまったく同感です。
http://www.alife.ne.jp/topics13/MGshow.cgi?action=open&dnum=...
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なんで?」「お父さんはな、中学の時、バスケをやっていたんだ。でも背が低かった。先生にどうしたらレギュラーになれるか訊いたら、頭を使えって言われた。それから一生懸命勉強することにしたんだ」
「なんで?」「面白いからだ。それにモテるしな」「うそ?」「子供のうちは運動神経がいいやつがモテるが、大きくなると頭のいいやつもモテるんだ」「まじ?」「うん、雑誌にそう書いてあった」
「なんで?」「教えない」
http://www.fujitanaruhito.com/education/1
なぜ勉強をするのか?を子供たちに教えてはいけない理由,恋愛,相談,相性,占い,性:藤田徳人.com
http://how-to.jp/why/decide.html
なぜ子供は「勉強する」と決断できないのか
子供自身が「勉強をする」と決断することが大切なのです。
http://www.din.or.jp/~honda/e-ikuji21.htm
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一番上のURLはいいですね。
すごく参考になりました。
なにも立派な高説をぶらなくても、こういう雰囲気での会話で話すことこそが一番伝わりやすいんじゃないかと思うのです。
他にも興味深いURLをたくさん挙げていただき、ありがとうございます。
人力検索はてな
私も家庭教師のバイトをしていた時、
似たような問いかけに出会いました。
私はその時、「面白いからだろ」と答えました。
「えー、面白くないよ」
「そうか? 知らないこと、新しいことを知っていくのは面白いだろ?」
「うーーーん」
「たとえばさ、お前、まんが好きか?」
「うん」
「まんがのどこが面白い?」
「次がどうなるかとわくわくする」
「それだよ、勉強の面白さも。ひとつのことが分かると、次が知りたくなる。
そうして、もっと知りたい、もっと知りたいと思っているうちに、
それが勉強になってくるわけだ」
「でも学校の勉強はつまんないよ」
「そりゃ勉強がつまらないんじゃなくて、
やらされてるからイヤになるんだろ。
自分の興味でやっていったら、あれは面白いもんだぞ」
「ふーーーん・・・・」
小学校2年生の男の子との会話でした。
その日は普段の勉強をほっぽり出して、
ちょうど秋の虫の鳴く季節でしたから、
子供の好きそうな昆虫の話を、絵を描きながら色々教えました。
虫はなぜ鳴くのか。音を出す目的は?
音に反応するということは耳があるの?
虫の耳ってどこ?
けっこう瞳キラキラで、引き込まれてくれました。
な。こういうことも学校で学んでいくんだぜ。
やらされてつまらないと思ったら、
どんどん先取りして自分で勉強していったらいい。
そしたらこんな面白いものはめったにないって分かるよ。
面白いからやるんだよ。それが勉強ってヤツなんだ。
子供の個性によって説明の仕方は違ってくるかとは思います。
でも、勉強に関しては、必要性を説くよりも、
その興味深さに目を向けていってあげることが大切だし、
そしてそれが、学ぶということの本質に
近い答えになるのではないかと思います。
ありがとうございます。
興味関心に基づく自発的な学習の楽しさ…。
これを伝えることができたらほんとに最高ですね。
「やらされてる」感があると、面白いことでもめんどくさくなってしまうのは大人も子供も一緒だもんな。
悲しい現実ではありますが、「不利益を被らないため」さらには「殺されないため」というのは理由の1つにはあると思います。途上国の出来事も、全く別世界のこととも思えませんし。
もちろん、義務教育以外の「勉強をしない自由」も認められています。ただ、そういう日本の事情は、世界的には恵まれているとも言えるわけで。
「ほら、勉強しないとこんな酷いことになっちゃうんだよ!」というよりは、「自分の知らない世界のことについて知ることができる機会を得られる」には、勉強しておいた方が有利だとは言えると思います。
「不利益をこうむらないため」ということばは、説得力があり、かつ真実ですね。
ありがとうございます。
「知る力、考える力、実行する力」をつけるためだと思います。例えば、あなたは小学一年生の子から質問され、その答えを探すためには何をすればよいかを考えたはずです。その手段の一つとしてこのサイトを使っているのでしょう。ここであなたが、このサイトで質問できたのはこのサイトの存在、パソコンの操作方法、を知っていたからです。知らなければここで得られる情報はもちろんゼロです。また、得た情報をどう使うかはあなた次第、つまりあなたが考えた結果になります。それを女の子にどう伝えるかはあなたの実行する力です。これらを何に使うかは人それぞれですが、物事を行うには必ず情報、手段、実行が必要です。それらの中で最適なものを知る、選ぶ、実行するためには「知る力、考える力、実行する力」が必要不可欠です。
これを何に例えて小学一年生の子に伝えるかはおまかせします。
具体的で噛み砕いた回答をありがとうございます。
とても参考になりました。
いろんなサイトに勉強の意味がありますが、このサイトが何か説得力があるような・・・。
人間として生きていくために、勉強はひとつの本能ではないでしょうか。知りたいという欲求、それが勉強につながっていきます。人間が人間として豊かにいきていくために、ほかの動物にはない本能だと思います。
少し考えただけでも日常生活のなかで教育の恩恵をモロに授かっている場面ってたくさんあるんですね。
すごく恵まれていることだと思うのに、それを当たり前に感じてしまっていて、そんな基本的なことも忘れていました…。
ありがとうございます。
http://www.hatena.ne.jp/1124539258#
人力検索はてな - 【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられ..
URLはダミーです。
女の子「どうして勉強しなきゃいけないの?」
あなた「それはね、私にもまだ分らないの。だから勉強してその答えを見つけようとしているんだよ。一緒に勉強しようね。」
こんなんじゃ間に合ってますか?
いえいえ、間に合ってなかったです。
ありがとうございます。
最後の「一緒に勉強しようね。」の一言が大切ですね。
私も、子供の頃同じような疑問を持ちながら小学生活を送ってきました。
担任の先生に尋ねても
よくいわれる
「大人になって社会で働くときに困らないため」
というような、漠然とした回答をもらった記憶があります。
子供ですから、将来のことなどイメージできないわけで、
「ま、読み書き困らないように漢字くらいは覚えておくか」ということで、個人的に自分を納得させた記憶があります。
ですから、漢字以外はあまり力を入れていなかったので、代数とか歴史とかほとんど勉強しなかったのです。
いま、大人になって思うに小学生の時に勉強しとけばよかったなぁ~なんて後悔はまったくありません。
むしろ、大人になってから「必要な時に必要な勉強をして事足りている」、というのが嘘偽りのない感想です。
あの当時、僕は理科が好きだったので好奇心から自発的に勉強しましたので、ガキにしては相当な物知りでした。
では現在、その当時勉強した理科が仕事に役立っているかといえばさにあらず。
商談相手とのばかっぱなしの薀蓄には多少なりとも効果の程はありますが、実務的なことにはほとんど無意味なわけです。
そんなことより、金利の計算がキチッとできたり、XPが固まったときの対処法をしっておったほうがよっぽどいいってもんです。
したがって、自分の経験則からすると、好きでない勉強は無理してすることはないと考えます。
小学六年生くらいだったら理論的に説明すれば納得するでしょうけれど、小学一年生に関しては理論的説明はむずかしいと思います。
したがって、
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
とたずねられたら、方便を使うしかないのではないでしょうか。
最低、読み書きそろばん(計算)くらいは身に付けないと実生活では不便を感じるのはあたりまえですから、四則演算、常用漢字をしっかり身に付けるまでは、
「勉強いっぱいするとお姫さまになれる」とか「ドラえもんみたいになんでもできるようになるとか」そんな軽い回答でよいのではないでしょうか。
自分が小学一年生の時のことを思い起こすとき、「どうして勉強しなきゃいけないの?」なんて、まったく思いもしませんでした。
鼻をたらしている級友でさえそんなことを思う奴はだれもいなかった。
それは小学生としての日課だから分かろうがわかるまいが、まあ先生の話をきいてノートをとって休み時間にプロレスごっこをして一日が過ぎていった記憶しかないのです。
つまり学校が楽しかったのです。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」といわれるくらい、その子たちは学校や学習塾が楽しくないということを、まず理解してあげられたらよいと思います。
いくら理論的にスキのない回答をしたからとて、子供たちは納得しないと思います。
原因は根本的なところにあると思います。
>「どうして勉強しなきゃいけないの?」といわれるくらい、その子たちは学校や学習塾が楽しくないということを、まず理解してあげられたらよいと思います。
ほんとにそうですね…。耳が痛いです。
小学一年なら、理詰めでなく感覚的にすっと伝わることばで話すほうがいいと私も感じています。
読み書き計算ぐらいはできておかないと困る、というのはたぶんわかってると思うのですが、そのへん+何か夢のあることを伝えてみようかなぁ。
ありがとうございます。
そうですね。
現在彼女の夢はお嫁さんなのですが、いいお嫁さんになるにも勉強は必要だし、気が変わるかもしれないし。
そういうことを話すのもいいかも、って思いました。
先日、島田紳助さんが“松紳”という番組で同じような話をされていたんですが、紳助さんは子供の頃は勉強嫌いで、ずっと何の為に勉強するのかと日々思っていたらしいのですが、その後ある人に「子供の頃から勉強しておけば、将来の選択肢が広がる」と言われ、目からウロコが落ちたと話されていました。
そうなんですね。
そういえば松紳最近見てない…ってそれはいいとして、確かにこれは好奇心旺盛なこどもに対しては説得力のあることばだなぁ、と改めて感じました。
ありがとうございます。
http://www2.ocn.ne.jp/~countabl/ti/knowledge.html
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小学生になら「おもしろいから」と答えます
知らなかったことを知ったり
やってみたことが自分でできたりすることって単純にうれしくて面白いとおもいます
学歴とか仕事とかは別物です
その人が大人になるころ世の中が
変わっているかも知れませんよ
保護者に怒られるかも知れませんが
勉強しなくちゃいけないことはないと思います 子供にとって勉強は楽しいと思うのです
今の世の中でも小学校低学年くらいまでは
ありがとうございます。
できなかったことができるようになる面白さを、もっと前面に出して伝えていけたらいいなぁと思います。
http://www.hatena.ne.jp/1124539258
人力検索はてな - 【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられ..
↑ダミーです。
若い時に限らず、脳を鍛えておかないと、
年齢的ピークを過ぎると衰えていきます。
特に脳の発育活発なときに勉学に励まないと、
難しい事を言われたらわからない、
頭で考えるのは苦手、
他人の考えている事を想像するのは苦手、
というように他人とのコミュニケーション
や物事の処理が
うまく出来なくなったりするのではないでしょうか?
世の中に出て一番必要のなさそうな数学でも、
修練する事によって数学的論理や物の考え方などが身に付き、
アイデンティティ形成に大変重要であると思います。
何だかうまく説明できなくてすみません。
その女の子が納得してくれたら嬉しく思います。
まったく同感です。
まだやわらかいうちにたくさん脳みそを使っておくことの大切さ、数学的ロジックが実はとても使えるものだということ、そんなことをやさしく伝えられたらいいなぁとほんとに思います。
これはわたしではなくまた別のこどもの反論なのですが
「ぼく別に頭よくならんでもいいもん」
これに詰まってしまうわけですが、他人とのコミュニケーション能力にもかかわってくるという視点は当たり前のようでいて新鮮でした。
ありがとうございます。
人生10中8~9は自分の思い通りには行かないものです。自分の思い通りに行かないことに直面したときに、問題解決をする手法を考える基礎知識を身につけるために、勉強をするのです。この世の事象は大半が相手を説得する必要があるものです。相手が納得しないため、自分の思い通りに行かないことが起こると言うことが大半でしょう。相手を説得するには、相手を説得する為の言葉を身につけ、話の根拠を立証するための科学的・数学的な根拠を立証する必要があるわけです。また、物事の歴史的背景その他も含め、全ての学科の勉強が必要なわけです。
ありがとうございます。
>物事の歴史的背景その他も含め、全ての学科の勉強が必要なわけです。
ここにはなるほどと思いました。
Yahoo!
URLはダミーです。
まず、勉強という言葉を定義しなくてはいけません。
質問者さんはどのように定義されるか分かりませんが、私は勉強とは、知識を身に付ける事とします。
そこで、小学1年生からの質問とのことですが、小学1年生の知識で社会に出て、社会の一員として生活していく事は到底無理かと思います。従いまして、様々な知識を身に付けなくてはいけません。
そこで、国は国民全てに最低限の知識を与えるために小学校・中学校を用意し、勉強する機会を与えてくれるのです。
端的にまとめますと、
「生きていくため」と言えます。
ありがとうございます。
せっかくなのにすみませんが、よろしければ、もう少し具体的な平易な話を引き合いに出していただけるとうれしかったです。
大人になったら何になりたい?
と、聞いてみると、ケーキ屋さんとか保母さんスチュワーデス(キャビンアテンダント)とか答えると思います。
保母さんやスチュワーデスになるには大学に行かなければなりません。大学には決められた人数しか入ることが出ないため、
ほかの人より勉強して入学試験に合格しなければなりません。
また、自分でケーキ屋をやっていたとします。とっても忙しいので手伝ってもらえる人を募集したところ、値段をよく間違える人と、
計算を全然間違わない人が来ました。あなたならどっちの人と一緒に仕事がしたいですか?
という質問をすればおのずと答えが出ると思いますが。 いかがでしょうか。
わかりやすいです。ありがとうございます。
学習塾のスタッフと生徒、という関係ならば、そういう話で一応は一件落着というところでしょうか…。
asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト
URLはダミーです。
今回のように、子どもから様々な疑問を投げかけられたときに、大人として適切な答えを出せるように準備しておくためだと思います。知の伝承です。
大人になったときに、子どもたちに正しい知識を伝える事が出来るようにするため。知識を引き継ぐのです。
ありがとうございます。
上にも少し似た回答がありましたが、確かにそうですね。
これをうまく説明できればいいのですが…。
http://www.fujitanaruhito.com/education/
恋愛,相談,相性,占い,性:藤田徳人.com
この藤田徳人氏のHPが興味深いです。
なぜ勉強しなければいけないか。それは、はっきり言ってしまうと特権階級になるため。
とあります。
読んでみると、自分が今まで当たり前だと思っていたことばかりが「特権」と記されているのが面白かったです。
ありがとうございます。
単に知識を身に付けるだけが勉強じゃないです。
もちろん基礎的な知識も義務教育で学びますが、もっと大事な事があると思ってます。
実は人間は勉強することで頭を使う訓練をしてるんだと大人になって思いました。
こうして文章にして何か自分の考えを表現するのも訓練しないと上手くできません。
効率のいい勉強の仕方も色々工夫して考えてましたので、効率よく何かをする方法もその中で学びました。
腰を落ち着けて何かをじっくり考えること。
努力すれば結果がでるのだということ。
数学を学ぶことで数学的な考え方や弁証法も身に着けました。これが結構自分の場合は役に立ってます。
学生時代真剣に勉強に取り組んだことで、その知識よりも取り組んだ時のノウハウや、こういう時にはこう考えればいいんだというシナプスが脳内に構成されているような気がします。
大人になって調べ物をしたい時にも何をどうやって調べればいいのか学生時代の知識と経験から引っ張ってくることが多いです。
小学生には説明しづらいかもしれませんが「頭の訓練をするためだよ」と説明すればいいかもしれません。「運動しないと体の筋肉が成長しないように、脳みそも使わないと成長しないから、勉強することで脳みそを成長させてるんだよ」と。
最後のたとえ、すごくわかりやすそうですね。試してみます。
ありがとうございます。
私の個人的な意見として述べさせていただきます。
子供に大事なのは勉強することより、
学校に行って集団生活になれることだと思います。
それをさせるために学校に行かせてるわけで、
勉強はそのついでのようなもの。
それなのにいつの間にか「勉強が第一」という考えに移行され、
現代の塾や予備校ができているんだと思います。
そういう世の中が変わらない限り、
勉強を強要されることに疑問を感じる児童は増えるでしょうね。
ですから私はその子にこういってあげたい。
「勉強しなきゃいけないことはないんだよ。
むしろ学習して学ぶことより、体験して学ぶことの方が大切なんだよ
だから、勉強より友達との時間を大切にしようね」と。
※学習して=数学や理科を学ぶ。
※体験して=日常生活で人と接するなど。
今の世の中がそういうふうになってしまったことに、
私は凄く残念です。
ありがとうございます。
「どうして学校に行かなきゃいけないの?」
という問いに対してはまさにそれが答えだと思います。
それが
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
という問いとしばしば同じ意味で扱われているというのも、考えてみるとなんだかもったいない感じがしますね。
http://www.fukui-c.ed.jp/~fec/sodan/faq/chu/04c3b1.html
勉強の意味や進路について悩む
僕は、勉強しなければいけない理由は、「楽しくなりたいから」ではないかと思います。
知らなかったことを知るのは、楽しいことだと思うのです。そして、生きていくからには楽しく生きなければならないとも思います。
テレビゲームをするためにだって、操作方法などを「勉強」しなければなりません。
ちょっと、ピンぼけな回答になってしまいましたが。
いえいえ、ありがとうございます。
楽しく勉強させるというのもなかなか難易度の高い作業だと感じる今日この頃…
私もずっと疑問に思っていました。先生にその質問をしても納得のいく答えは全く出ませんでした。しかし、ある時学年主任の先生がスパっと言ってくれました。
勉強をしなくてはならないのではありません。学校は仲間と過ごすためにあるものなのです。仲間と学ぶから意味があるんです。一人で家で勉強するなら全く意味は無いんです。そしてよい人間関係をきずいていくのです。そう言われました。
ありがとうございます。
しかし、これも
「どうして学校に行かなきゃいけないの?」
という問いに対する答えですね。
そのとき先生がおっしゃったことが言葉のあやであることはわかっているのですが、私は家でひとりで勉強することにも大きな意味があると考えています。
これまで他の方が答えてくださっているように、知識の蓄積および論理的思考力の鍛錬、精神的な忍耐力・持続力の強化や客観的視点の発達などにもある程度は役立つと思います。
そのへんを噛み砕いて幼いこどもにわかるように話して聞かせることができればなぁ、と感じています。
「どうして勉強しなければいけないのですか?」と聞くって事は、今の自分の頭で一生懸命考えてみても、自分なりの答えに辿りつけていないから聞くわけで。
どうして勉強しなければいけないのか?についての自分なりの答えを見つけるために勉強する必要があるって考えれば、いいのではないでしょうか。
僕はそうやって考えています。
ありがとうございます。
そうですよね。私も個人的にはそんな感じで考えてるんですが、まだ思春期にも入ってないこどもにはちと説得力に欠けるかなぁと思ったりも…。
http://www.venus.dti.ne.jp/~bouzu893/iitai/it21_40/iitai39.html
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参考URLは、そもそも「なぜ勉強をしなければならないか?」という問いは答えを求める問いではなく、単にしたくないことを表明しているだけであるという論です。
僕には子供はいませんが、将来そう問われたらこの戦略で行くと思います。
あぁ。ほんとにそうだと思います。
自分を振り返ってみてもそうだったしなぁ。
>子供に、「なぜ、勉強しなければならないのか」と問われても、理由を語る必要などないのである。逆に、こう問えばいい。
「それは、本当に答えが知りたくて問うているのか。それとも、勉強したくないと言いたいのか」と。
> もし、子供が勉強したくないと答えれば、しめたものである。人生には、嫌でもやらねばならぬ事があるということを、語ればいいのである。惰性に流されて生きている自分を反省しながら、子供と励まし合いながら、生きていこうとすればいいのである。それが、大人の知恵というものである。
なるほどですね。やっぱりこんなふうに、こどもと同じラインに立とうとする姿勢を見せることが一番いいような気がしてます。
URL面白いですね。
最後の「平和的・ゲリラ的・戦闘的」にはちょっと笑いました。
ゲリラ的やってみたい…
【tenki.jp】日本最大級の天気・気象情報サイト
脳みそも肉体と同じで鍛え続けないとダメになります。最も一般的かつ効率的な脳みその鍛え方が勉強です。勉強がいやなら、他の鍛え方もありますが、すべて自分で工夫せねばならないため相当な予備知識の蓄積が必要でそのためにも、言い換えるなら勉強したい事を探す為現在の勉強が必要です。
ありがとうございます。
「勉強したいことを探すため勉強する」っていうのは、「生きる」に置き換えてもそうだなぁと思います。
ちょっと今になって質問文の書き方に改善の余地を見出したんですが、私は
「どうして勉強しなければいけないのですか?」
と問いたいのではなく
「年端も行かない幼いこどもに『どうして勉強しなきゃいけないの?』と問われたら、どう答えたら納得してくれますか?」
と質問したくて書き込みました。
たくさん回答が集まっているようなので、ちょっと変わった感じの回答をさせていただきます。
人生は「幸福」と「不幸」が交互にある。たくさん幸せなことがあれば、それと同じだけたくさん不幸なことがある。だから何もしないである日すごく大きな「幸福」を手に入れたとしたら、それはすごく怖いこと。
「努力」というのは自ら背負う「不幸」のこと。努力するのはすごく苦しい。でもその苦しさこそが「不幸」として蓄積されて、いずれそれと同じだけの「幸福」がある。自分でやりたことがあって、そのための努力の方法を知っているのであれば、それを今すぐやって、勉強なんかしなくてもいいと思う。でもそれを見つけるのってすごく難しいこと。だからみんな勉強する。苦しくて泣きたくなっても最後までやり抜いて大人になっていく。みんな必ずその「不幸」に見合うだけの「幸福」をいつか手にいれる。勉強が苦しいのは当たり前。勉強したくないんでしょ? でも、その苦しさこそに意味がある。幸せのための努力。学校の勉強なんて受験にしか役に立たないよ。苦しさが「幸せ」のために役にたつの。
ありがとうございます。
努力とは自ら背負う不幸、というのは確かに面白い考え方ですね。
なんか質問と少しズレちゃいますが、「努力」が「苦行」にしか感じられないのは私だけじゃないんだと知ってちょっとホッとしました。
私の努力嫌いの怠け好きには少しばかり並外れたものがありまして、それでこどもに努力の意味を説いて聞かせるというのもどうなんだという思いがあったのですが…いっそそんな私だからこそ使える論かも。
http://www.benesse.co.jp/s/qanswer/other/002.shtml
家庭教育『?』解決-進研ゼミ小学講座
小学校低学年のころ、みんな思っている疑問のひとつだと思います。今いっぱい時間があって勉強できるときにしておかないと、大きくなった時、知らないことが多すぎると、困るのはあなただから、時間がある今、勉強しておかないと駄目なのよと息子に言ったことがあります。自分の夢を実現させるために勉強は必要。では駄目でしょうか。
具体的な夢を抱いているこどもにはとても入り込みやすい論だと思います。
ありがとうございます。
おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゃん達が子供達のために一生懸命残してくれた知恵だからね。僕達が一生懸命勉強して今度は自分の子供が生まれたときに教えてあげれるように勉強しないといけないんだよ。みたいな感じでいいます。
ありがとうございます。
これは家庭環境に恵まれた子に特に有効かもしれない。メモメモΦ(._ .)
勉強したくなったら、すればいいんだよ。これが正解です。勉強は学校でするもの、これも誤りです。
その昔、学校でなれけば、勉強する教材も、方法も入手できませんでした。そんな暇があったら、親の仕事を手伝え、と云うのが常識でした。
現在は勉強のための教材も、学ぶ手段も、社会に無数に溢れています。
勉強とは、基本的には一人りでする孤独な作業です。
集団で学ぶのは、その昔の教育制度の遺物として、現在に引き継がれているに過ぎません。
人は学びたいと云う強い情熱から、発明発見に至ることもあれば、人生の意味を見出すこともあるでしょう。
集団(学校)で学べることは、遊びとか、スポーツとか、人間関係とかでしょう。
知的勉学とは、孤独な作業であることを認識させることが大切です。
ありがとうございます。
確かにそれがあるべき姿ではあるのですが、こどもにそんなことを言っていたら当分の間は勉強に取り組んでくれません。
>知的勉学とは、孤独な作業であることを認識させることが大切です。
というのには同感です。
The Teru's Club / 宮本輝公式サイト
まずは、あなたがどう考えているのかきちんと整理することが大事ではないでしょうか。それこそ千の議論があると思いますが、私の考えは、どのみち将来は子供達も自立して自分でご飯食べていかなきゃならない、文字や計算がわからなければ生活すら困るということを、ちゃんと理解させる必要があると思います。生活に困ったことがない今の子供達に、そもそも将来の仕事もイメージできない今の子供達に、付け焼刃で動機付けするのは容易ではないと思います。学習塾でそこまで必要かといえば必要ないでしょうが、根本的な質問に回答するにはそれなりに教える側に求められているものがあると思います。
宮本輝が「朝の歓び」という小説の中で、登校拒否になった高校生の息子をぶん殴って、「高校生のお前には自分で人生を選択する権利はない。高校辞めたければ、家をでて自分で稼げ」と父が言うシーンがありますが、同感です。
稼ぐには最低限の能力が必要で、それは基礎能力が高ければ高いほど柔軟性があり、それを身をもって教えるには、教える側も相当考えて、準備が必要だと思います。
http://www.manabinoba.com/index.cfm/4,2137,32,html?year=2002
公立を変えなければ、日本の教育は変わらない!/藤原和博さん - 学びの場.com
そういうことを考え実践している人のWEBをみたり、本を読むのも参考になると思います。ただ、学習塾の勉強ではそれは限界があると思いますが。
有名大学に入れば就職にこまらない時代は10年前に終わってますし、子供もいろいろなところで受験の効用について、大きな疑問を感じていると思います。
ともかくも私は留学後、日本の教育の中身には未だ疑問だらけで、すくなくても日本の英語教育がもっとましなら入社してこんなに苦労しなかったと思うし、日本の雇用もビジネスももう少し広がりがあったと思います。
しかし英語の有用性を説いて、動機付けを完璧にしてから教育というのは社会経験のない子供に対してむずかしく、子供もすぐに役に立たないことを悟ると思います。根本からそこを何とかするのが、教育なのではないでしょうか。
このWEBの藤原さんのように、教える側の力量が問われている時代と思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344004299/250-7415945-...
Amazon.co.jp: 13歳のハローワーク: 本: 村上 龍
村上龍氏がこの本を書いたのも、そういう教育に関する憂えからきているようです。
受験にうまくいった勉強が出来る子に、ニートは多いようですよ。
内容紹介
人生は一度しかない。好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?
「いい学校を出ていい会社に入れば安心」という時代は終わりました。13歳から大人まで、自分の本当に好きなことをもう一度よく考えて仕事を選ぼう!
2004年に『13歳のハローワーク』を発表。大人の入口であり自由と可能性を持つ「13歳」に向け、現実世界への入口となる「仕事・職業」に好奇心を持ち探求に向かうことを意図。折しも「ニート」なる新しい労働経済学的な社会問題が指摘されていた。
ありがとうございます。
>私の考えは、どのみち将来は子供達も自立して自分でご飯食べていかなきゃならない、文字や計算がわからなければ生活すら困るということを、ちゃんと理解させる必要があると思います。生活に困ったことがない今の子供達に、そもそも将来の仕事もイメージできない今の子供達に、付け焼刃で動機付けするのは容易ではないと思います。
そうですね。自分自身を思い起こしてみてもそうだったなぁと思います。
勉強→食っていくため、という感覚が、社会にでるまでいまひとつピンとこなかったのですね。
おっしゃる通り私自身の考えがまだ発展途上ですので、それを練り上げたくて質問したというのもあります。
13歳のハローワークは持っていますが、仕事=食い扶持、生き残っていくための武器、という点を冒頭できちんと説いているところに大いに共感しました。13歳という年齢も、こういうことを考えさせるのにちょうどしっくりくる年齢なのではないかと感じます。
http://d.hatena.ne.jp/nuke/20050810
nuke - attack with nuclear weapons - - なぜ勉強しなければいけないのか
最近、そんな事を書きました。
「いい高校、いい大学、いい会社に入って、いいお嫁さんをもらって幸せに暮らすため」で育っちゃったからな~。これはダメですね。
「生きていくためには、お金をかせがないといけない。」でいいのでは。
そうですね。
シンプルかつ王道…。真実ですし。
ごちゃごちゃ考えないで、今はこれでいいのかも…。
urlはダミーです。
年取ってから勉強すると、小学生の時に勉強しようとする時間のの倍以上かかる。脳みそが衰えるから。その為、勉強を先延ばしにすると、結局自分の自由な時間が減るから。
ありがとうございます。
しかし、これは「『こどものうちに』勉強しておかなければいけない理由」としては適切ですが、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いからは若干ずれている気がします。
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
私は基本的に嫌いなことはちょっとはやってもあまりやらなくていいと考えています。ありきたりですが、勉強だけではないし・・・。あえてゆうならば、「幸せになるため」です。
そうですね。
読み書き計算ができれば、あとはまぁやらんならやらんでもまぁ何とかなるものなのかもしれませんが、立場上そうも言えないのがつらいところです…
Excite
1. 回答者:shushi (21) 2005/08/20 21:04:57 とちかいですが。。。
上記3つだと普遍的すぎて。
大人になって悪い人に騙されないように
皆、勉強するんだよ。
と言うのは
いかがでしょう?
自由というのは怖いもので
頭のヨイ人が自由を利用して
やりたい放題なのが今の日本。
だから、勉強ができて頭が
ヨイとやりたい放題しなくても
少なくとも悪い人にだまされることは
ない。
そんな風に小1の子に言っても伝わらない
だろうから
たとえとして
買い物に出かけて
おつりが必要な買い物の時に
引き算/たし算ができないと
困るかもよと。。。
100円もっていて
30円のお菓子を買ったら
70円かえってくるはずなのに
まちがって50円しかかえってこなかっても
文句がいえないでしょう?と。。。
大人はヨイ人ばっかじゃないから
うっかり間違う場合でなく
わざと間違う人もいるわけだ。
といえば、ちょっと説得力ないすかね?
いえ、そうですね。その通りだと思います。
ドラゴン桜なんか読ませてあげたいものですが小学一年生の女の子にすすめるのもアレなので、そんな感じで説明してみたらいいかも。
ありがとうございます。
Vivísimo // Search Done Right // Enterprise Search, Federated Search, Clustering
URLはダミー
勉強をする理由は自分ではこの2つだと思っています
・人格を豊かにするため
・選択肢を増やすため
知識をつけることによって自分では気づかないうちに選択肢が増えているものだと思います。
自分で考えることを学び、問題に直面したときにそれを切り開く能力を身につけるためだと思います。
高校や大学に受かるためだけの受験用の勉強、詰め込むだけの勉強など意味の無いもので、自分で考えて答えを導いた、納得したということが大切なことだと思います。
自分で考えずに答えだけを詰め込んできた人たちとは話をしていても面白くなかったり、苛立ちを覚えるときすらあります
ありがとうございます。
>高校や大学に受かるためだけの受験用の勉強、詰め込むだけの勉強など意味の無いもので、自分で考えて答えを導いた、納得したということが大切なことだと思います。
>自分で考えずに答えだけを詰め込んできた人たちとは話をしていても面白くなかったり、苛立ちを覚えるときすらあります。
そうですね。
勉強に限らず、自分の頭、自分のことばで考えて答えを出すことのできる人には魅力的な人が多いと思います。
とは言ってもまず自分がそういう人間でないと、この論は使っちゃいかんですね。精進せねば。
URLはただの辞書結果です。 でも、侮れないかも....
質問の回答は、自分の体験から話してみますね。
小学校1年生の時には、既に私は妹が3人居ました。
でお姉ちゃんとしてはいい所を見せなきゃいけないので、
頑張って勉強している姿をすぐ下の妹に見せていました。
いいとか悪いとかじゃなく、それが格好いいと当時は思って
いたんだと今は思います、たぶん。
そして小学校高学年になった時に「何で勉強をしなきゃ
いけないの?」と言う、子供ならば誰でも一度は疑問に
思う事を私も思いました。 そして父親に聞きました。
「それは大人になってから分かり感じる事だよ。 でも
気がついた時には手遅れになるから、今のうちからその
つもりで勉強をしておく事だね」と分かる様な分からない
様な事を言われた記憶があります。
その時はその意味を理解できなかったのですが、その後
中高生となり少しは物事が分かる様になった頃にもう1度
聞いてみました。 その時に「大人になったらいろいろ自分で
判断をしなければいけない。 学校の勉強は実際の社会では
そのまま使えないけれども、勉強をする事に依って頭を使う事
になる。 それが大事なんだよ。 普段から頭を使っていれば
自分で考える力がつく筈。 学校での勉強は、頭を使う訓練
の場なんだよ」と言われました。
これは結構(自分にとっては)説得力がありましたね。
「そうか、その物が社会で役立つ訳ではないけれども、
生きていく上で必要な判断をする為には意味がある訓練
なんだな」と思って随分すっきりしましたね。
小学一年生に説明するには少し無理がある(早過ぎる)
内容かもしれませんが、こんな感じの話は如何でしょうか?
では
やはり「頭の訓練」ですね。
私もこれがわかってきたのは受験勉強を経験してからですね…。
「小さな子の前でいいとこ見せなきゃ」ってのも、相手によっては有効だなと思いました。
ありがとうございます。
http://www.ebookoff.co.jp/main
【イーブックオフ】日本最大級のオンライン中古書店
URLはダミーです。
何で勉強しなければならないのか? と言われれば「それはこれからの日本を作っていくだろう君たち子供が、勉強もせずに皆がそろってお馬鹿ちゃんだったら、やっぱり馬鹿には政治も経済もわからないから自分達の国が壊れてしまい、今みたいな、他の国と比べたら暮らしやすい、豊かな生活が送れなくなってしまうからだよ」と言ってやります。
何だか、お国のために! みたいな回答になっちゃってますけど(笑)、的は射ていると思います。いかがでしょうか。
いえいえ、そうですよね。今の政治や経済の閉塞したムードはこどもにも伝わっているのではないかと思いますし、モチベーションをあげるのにはいいかも、って思いました。
自分も子供のころにそういうことを言われたのを思い出したのですが、大人から、ひとりの仲間として対等に扱ってもらってる感じがしてなんとなく誇らしい気分になった覚えがあります。
Yahoo! BB - 入会案内
ダミーです。「生き抜くため」と言いたいところですが
小学1年生ですから、「ママを喜ばすため」
はどうでしょうか?正直子供に、現実を
教えるには、まだ幼すぎると思いますし、
小1から塾に行かせるのは、親が子供
の将来を深く考慮した末だと思いますから、
その親御さんの、気持ちを娘さんにも
伝えてあげてはいかがでしょうか?
あぁ…。せっかくご回答いただいたのにすみませんが、これは正直言いたくないことばです。
「親の期待」というものは、むしろもっと成長してものごとを客観的に判別できるようになってから目を向けるべきことのように私は考えています。
小さいうちにこれを努力の動機として伝えるのは、ちょっと気が重いです。
大人になるための訓練です。
大人は仕事を楽しんでいますか?
してる人もいれば、していない人もいます。
みんなは勉強を楽しんでいますか?
してる人もいれば、していない人もいます。
大人は仕事をせずに生活できますか?
仕事で収入を得る人が殆どなので、
仕事せずに生活するのは難しい。
みんなは勉強をせずに生活できますか?
生活できます。
つまり、大人になるとイヤだけどがんばる必要があります。(イヤな仕事をしないと生活できない)
だから、子供のときは勉強(=イヤなものの象徴)をすることにより、将来(=例えイヤな仕事でもがんばる)のことを考えて、
イヤなことに耐える訓練をしているのです。
仕事と勉強の違いは、勉強はやらなくても困らない(気がするだけ)という点です。
仕事はやらないと生活できないので、やらなきゃ困るというのは分かり易いと思います。
もちろん、イヤな仕事に就かずに好きな仕事につくためにも小さいころから見聞を広げることが大事です。
その手段の1つとして、勉強がありますので、悲観的にならずに勉強にとりくんでみてください。
やれば意外と楽しくなることもあります。
でも結局は、やる/やらないは自分の判断になります。
ありがとうございます。
イヤなことに耐える訓練ですね。
やはり「仕事」を引き合いに出すとわかりやすくなりますよね。
勉強というから、おかしくなるのです。
スイミングの好きな子が、プール教室に行くのだってその種目を勉強しているので、
「だから将来の自分がやりたいものの豆知識を沢山:身に付けるために、熟に言っているんだよ」と言ってしまえば良いのでは、だから勉強しているのではありませんと、付け足しておいてね!
「勉強」と言う言葉をつかわないことです。
小学生は、まして低学年は、本当に親と一体です。そう聞くということは、親も小さい頃勉強苦手だったんじゃない?親はそんな厳しい感じで学問に子供を取り組ませないことです。
ほんと遊び感覚で小学生はやった方が良いよ!!。。。。忍耐強く。。親と教師がね!
遊び感覚でいいですかね?
遊び感覚でスイスイやらせてるときは自分も正直かなり楽しいので、こんなに楽しくっていいんだろうか、とわけのわからん制限を自分にかけてしまいそうになるのですが…
まぁ、いやがる子にはそれでもいいのかもしれないですね。
まず、教育の大切さを教えるべきだと思います。教育が受けられないと、あの発展途上国のような子どもも仕事をしなければならない世の中になります。「教育」を受けて、勉強をするから正しいことがわかり、奴隷にならなくても済むのです。つまり、自分たちが平和な社会で、ダメなことはダメと言えるのは、「学問」のおかげということです。じっさいに何が得か損かではなく、もし勉強をしなかったらどんなことが起きるかを教えてはどうでしょうか。
>じっさいに何が得か損かではなく、もし勉強をしなかったらどんなことが起きるかを教えてはどうでしょうか。
そうですね。損得の基準もさることながら、まずはまぎれもない事実を伝えることが大人の第一の役割のような気がします。
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学ぶことは生き残るための手段の1つです。付け加えるなら、幸せになるための手段でもあります。
しかし恵まれた環境で育った先進国の子供がこれを理解するのはまず無理ですし、
楽しいと感じた事以外はやりたがらないものです。
なので「将来○○の職業につくためには○○が必要」「○○を楽しく学ぶためには○○すればいい」
という方向に持って行くのがよさそうですね。
学校のカリキュラムというのは、読み書き計算以外はっきり言ってほとんど役に立ちません。
現代社会を生きるのに必要な事がぽっかりと抜け落ちていますから。そして子供はそれに感づくものです。
古文や歴史の瑣末を教える前に、化学式の丸暗記や作り話(小説)の読解をさせる前に、
自分の健康を維持するための知識と手段、
社会人として知っておくべき法と手続き、
PCもそうですが、身近な製品の仕組み、
そして金融と会計の基礎知識と商売の段取り、
これらをしっかりと身に着ける事が何より重要ですね。
こういうケースでは抽象的な回答を親の側がしがちだと思いますが、
それは避けて極力具体的な例を持ち出すほうがいいですね。
「歌手になるにはどうすればいいの?」
「歌の練習はもちろん、音楽理論や楽器のたしなみ、さらには契約の概念や会計も知っておきたいね」
「なんで歌手になるのにそれが必要なの?」
「それはね、、、」
という感じです。
もちろん、回答する側に社会的経験が不足していてはどうしようもないですが。
(あまり言いたくは無いですが専業主婦の方などはこのパターンが多いです
「とにかく学校の勉強さえやればいいのよ!」 みたいな)
>古文や歴史の瑣末を教える前に、化学式の丸暗記や作り話(小説)の読解をさせる前に、
自分の健康を維持するための知識と手段、
社会人として知っておくべき法と手続き、
PCもそうですが、身近な製品の仕組み、
そして金融と会計の基礎知識と商売の段取り、
これらをしっかりと身に着ける事が何より重要ですね。
ああもう、ほんとにそうですよ。こういうことを義務教育でぜひとも教えてほしかったです…。
個人的な希望としては、あとは化学と物理と数学を基本以外は少々削って調理と英会語をもっとみっちり…(聞いてない)
>「とにかく学校の勉強さえやればいいのよ!」 みたいな
これはイヤですね。
まず素直に受け取ってもらえません。
でもお母さんって、忙しいときにはこういう言い方しちゃうんだよね。よくないとわかっていても。
未経験ですが、子育てとは一種の修行なのではないかと思います。
http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/trans/hs-j.html
What You'll Wish You'd Known
上記URLの話を知ったとき、こういう考えって素敵だな、と思いました。
風上に立つというのは、既にでている選択肢を増やすと同義なのかな、とは思いますけど。
ありがとうございます。
ほんとだ。ステキですね。
こんなことを淡々と、しかし力強く話して聞かせられる大人が身近にいたとしたら、その子の将来はなんだか、何とかなりそうな気がしてきます。
後でじっくり読ませていただきたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896914740/qid=11245917...
Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために: 本: 小浜 逸郎
この女の子の「どうして勉強しなきゃいけないの?」と言う問いと
あなたの「どうして勉強しなければいけないのですか?」と言う問いは基本的に異なります。
こうした問いに真剣に悩むときは誰にでも訪れますが、結局のところ、「何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論」
なんてものは存在せず、一人一人が努力と運によって選ばされた答えらしきものをつかんで生きて往く・・・のが人生だと思います。
・・・が、今回の場合、単に塾に行きたくなくてゴネてるだけです(断言)。真剣に悩んでいないのに、難解な言葉で心動かすことは出来ません。
小1を学習塾に通わせること自体感心しないのですが、とりあえず「○○ちゃんはおおきくなったらなにになりたい?勉強しないとなれないよ」とか何とか適当なこと言っておいて、勉強が楽しくなるようにカラフルな教材使ったり、ゲーム形式を取り入れたり、そういった実践を考えたほうが近道です。
もし、あなた自身がこの問いを真剣に考えたくなったのであれば、小浜逸郎さんの著作をお勧めします。
「なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために」新書y
「人はなぜ働かなくてはならないのか―新しい生の哲学のために」新書y
この問いが載っているのは2冊目の「なぜ働かなくては・・・」のほうなのですが、1冊目から読むことをお勧めします。1冊目の冒頭に、こうしたちょっと返答に詰まる質問への答え方というか、どうして詰まるのか?といったことが説明されているからです。2冊目は1冊目を読んでからのほうがすっきり頭に入ると思います。URLは1冊目のほうのアマゾンのページです。
あぁ、確かにそうかもしれないですね…。>ゴネてるだけ
小1を学習塾に通わせること自体感心しないのですが、とりあえず「○○ちゃんはおおきくなったらなにになりたい?勉強しないとなれないよ」とか何とか適当なこと言っておいて、勉強が楽しくなるようにカラフルな教材使ったり、ゲーム形式を取り入れたり、そういった実践を考えたほうが近道です。
私も正直、小学一年生から通わせるのはいかがなものかと思います。
大声を出してゴネたり泣き出したりする子がときどきいるんですね。見てると心が痛みます(というか自分自身、小学一年生のころから塾に通わされていたんですが、とにかくイヤでイヤでしょっちゅう泣いていました)。小学までは、人並みにできればそれでいいと個人的には思うんですが…。
しかし、親御さんにもできるだけのことをさせたいという痛切な気持ちがあるんだろうと思います。
自分自身の持っている考えとしてはやはり「何らかのアドバンテージを得るため」ですね。単に知識や偏差値、得られる肩書きの話ではなく、その過程で養われた思考力や忍耐力も含めての話ですが。
割合有名な本ですよね。ぜひ読んでみたいと思います。ありがとうございます。
小学一年生は本当に勉強しないといけないのですか。そもそも小学一年生の勉強ってなんですか。
私が小学生のときは、友達と遊ぶことが勉強だったような気がします。昔の話なんで今とは違うのかもしれませんが・・・
女の子が質問する気持ちがわかります。詰め込み式の学習なんかに興味を持つ方がおかしいんですよ。端末や計算機じゃないんですからね。
個人的には一問一答の勉強なんか何の役にも立たないと思っています。さらに小学校の学習指導要領がおかしいと思っています。
そもそも、今女の子が何に興味を持っているのでしょうか。今興味を持っていることから、徐々に「知ること」の楽しさを教えるべきでは・・・
小学生一年生に「説いて聞かせることが可能な論」なんかないと思います。これから色々知っていって理解ができるようになるのに、段階を飛ばして説いて聞かせることなんか不可能だと思います。
私が、同じような質問をされたら、かならず女の子に「何で勉強すると思う??」と聞くと思います。女の子に考えさせます。考えることを癖にさせます。そして女の子と色々話しながら「世の中のいろんなことを知るためだよ」「興味のあること知るためだよ」と言うと思います。「知る」ってのが私のキーワードです。
私は、大学生時代に塾で、小学生高学年、中学生、高校生、大学院時代には、大学生相手に勉強を教えました。そのときは色々考えました。一応中学校と高校の理科と数学の普通教員免許と専修免許を持っていますが、「教育とは」っていう自問に答えがでなかったので、どうせたいした教員にはなれないだろう~と教師になることをやめました。今はサラリーマンしてます。
ありがとうございます。
確かに小学一年生から塾に通って学校での内容を補完する必要があるのか、その時期はもっと他にやることがあるんじゃないのか、と私も思っています。
>私が、同じような質問をされたら、かならず女の子に「何で勉強すると思う??」と聞くと思います。女の子に考えさせます。考えることを癖にさせます。
とても参考になりました。
こうやって対話する姿勢を見せないとまず話を聞く気にならないのは大人も子供も関係ないだろうと思いますし…。
大学生相手に勉強を教えるというのはかなりハードな感じがします。すごいですね…。
↑URLはダミーです。
『自分の興味・趣味嗜好を存分に追求できるように』系かもしれませんが、平易に説明という意味で。
実際に子どもには難しいけど面白いもの(たとえば本)を例として見せて、
「大人になったとき、みんなが大笑いして読むこの本を、君だけ面白く感じられなかったらどうだろう?」と、問いかけてみてはいかがでしょうか?
説明する、というよりも小学一年生なりの答えを自身で見つけ出させ、納得してもらうのが最善かと思います。
ありがとうございます。
>説明する、というよりも小学一年生なりの答えを自身で見つけ出させ、納得してもらうのが最善かと思います。
そうですね。最終的には本人が見つけるしかないですもんね。
それを促すことまでしかできないのかも。
http://www.geocities.com/Colosseum/Park/2940/
Dutch Soccer News
URLはダミーです。
参考にならないと思いますが・・
私は「細胞をしなせないために」、と先生に答えられた記憶があります
ステキです。どきどきします。
なんていい先生なんでしょう。(短絡的)
ありがとうございます。
Yahoo! JAPAN
urlダミーです。
「将来何になりたい?」と聞いて、そのためには、「~~だとか知らないと困るよね?」「これを理解するためには、勉強しないとね。」と諭します。
ありがとうございます。
読み書き計算は知っておかないと困るよね、などですね。
平易でわかりやすいといえばやはりこういうことですよね。
私が結婚した時に、実母から言われました。
「これからの世の中、女も経済力を持たないと駄目だよ。専業主婦では男に馬鹿にされて終わりだよ!」
私には、とある資格がありましたのでそれを生かして嫁ぎ先の家で、某教室を開き、稼ぎました。
夫の稼ぎほどはありませんが、家計に口出し出来るくらいはあります。
うちに小2と0歳児の娘がいます。
小2の娘は、疲れて学校から帰ってきて宿題をしんどそうにしていると、
「今勉強しておかないと、食べていけないよ。
楽な仕事をしようと思ったら、資格がないとできない。でも、難易度の高い資格をとるにはそうとう勉強しないといけないよ。さ~がんばれ!!」
と、スパルタをかけます。
私の娘が、「どうして勉強しないといけないか?」
と聞いてきたら
「将来結婚するにしてもしないにしても、堂々と胸を張って世の中を生きるには、資格を取ってそれを生かした仕事に就くことだよ。それには勉強しないと、資格は取れないよね。
さ~頑張ろう!!」と言い聞かせますが。
あぁ、心なしかうちの母に近いです。ありがとうございます。
しかし母の場合、私が結婚しないで仕事仕事ばっかり言ってるのを最近は懸念しているようで、どこからかよくお見合いの話を持ってきてくれます。花嫁修業のためにすぐに料理教室に通いなさいとも。ちょっと待って、そんなに焦らないでママン…
仕事と家庭を両立されているuniko3さんのような方の姿は私のひとつの理想です。
親は背中で語るもの…
勉強はしなくてもいい。勉強が嫌いな人は、我慢して勉強する必要はない。勉強したい人だけ勉強すればいい。ただ、勉強するとどんな楽しいことがあるのかだけは、知っておくべきだし、教えておくべきだ。
あと、勉強ができる人には、我慢して勉強したから勉強ができるのではなく、単に勉強自体が楽しいから勉強しているだけの人も多いので、べつにエライとかじゃないし、尊敬されるようなことじゃない。テレビゲームが好きでテレビゲームをやってるのとたいして変わらんのじゃないかと思う。
で、ぼくが日々実感している、「勉強することによる具体的で直接的で切実なメリット」は次の4つ。
(1)もっと楽しく遊べる
(2)もっと楽しく仕事ができる
(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる
(4)騙されてひどい目に合いにくくなる
まず、(1)の遊び。基礎的な筋力や体力があると、幅広いスポーツをがんがん楽しめるように、基礎的な学力があると、さまざまな知的な遊びにがんがん挑戦できる。たとえば、英語ができれば、無菌パックされた加工食品みたいなパック旅行なんかじゃなく、リュックサック一つで世界中の安宿を、現地の人々に混じって放浪する、とれたて生野菜丸かじりのような旅行が楽しめる。現地人の生活空間に入り込めるから、まったくの異空間、異質な空気、別世界に入り込んじゃうかんじで、濃密な異文化リアリティが、ちょー面白いぜェ。語学力が十分にあれば、人生論や価値観みたいな、自分の生き方を考え直しちゃうような深ーーーい話題にまでももってけたりするし。ときには、価値観の違いをリアルに感じすぎて、それがその場所のキッチンの匂いや現地人の体臭とミックスされて、目眩が起きそうになるほどだ。歴史や古典に強ければ、京都・奈良の旅は何十倍も楽しめる。現在のその苔むした古寺に行き着くまでの人間の喜怒哀楽と思惑のドラマが走馬灯のようによぎって、古刹の前で涙が出てくるね。科学に強ければ、読める小説の種類だって、ぜんぜん違ってくるし、感動して泣ける映画の数ずっと多くなるし、というか、同じマンガでもアニメでも映画でも、ずううううと多角的な角度から、ずっっっっと深く深く深く味わえる。コンタクトのジョディーフォスターのセリフも、宇宙の生成から消滅までの壮大なイメージがあると、いっそう心に染みるぜー。株式投資にしたって、数字に強ければ、財務諸表をがんがん分析し、企業戦略と世の中の動向、そして自分の生活感覚をミックスさせてリアルに楽しめる血湧き肉躍る最高のゲームになる。
それから、(2)の仕事については、会社でもNPOでも、クリエイティブで面白いわくわくする仕事というのは、たいてい「能力」の高い人間に独占されているのが現実。「能力」のない人間は、たいてい下っぱで、ものごとが決まったあとに、決められたとおりに命令される側で、単調でつまらなくてシンドイ仕事が多く、どうでもいい人間だと思われ、ぞんざいに扱われる。乙一の言葉を借りるなら、「なんというか、エラくないのだ。」
そして、その「能力」とやらは、英語を使いこなしていること、数字に強いこと、法律に強いこと、社会のしくみをよく分かっていることなどの基礎的な力が前提となってる。プロジェクトの収支シートを見ながら次にどのような企画展開にするかの議論とか、すごいスピードで暗算で試算できないと、ぜんぜん議論についていけない。アイデアを出すどころじゃない。単純な足し算、引き算、掛け算のスピードは、子供のうちに徹底的に高速化しておくに限る。逆に、それが高速でできれば、稲妻と嵐の中を縦横無尽に疾走するような最高の高揚感が味わえる。
科学や歴史が必要かどうかは分野による。必要でない仕事も多い。ただ、できないとそれらが必要な仕事からは締め出される。古典や歴史の知識も、お客さんに教養人が多いとかの場合は必要だけど、それ以外はいらない。なぜか日本にはあまり教養人はいないので、教養はたいした問題にはならない。ただ、ビジネスなどで西欧人エリートとのつきあいがあると、教養の重要度は跳ね上がる。なぜだかは知らない。単に経験的にそう。
そして(3)の友達。能力があれば、友達が困っているとき助けてあげられる。能力がないと、かわいそうだと思いながら、見捨てるしかない。というか、自分の分ですら、夜遅くまでやっても終わらずヘロヘロになってるから、友達を助けるどころか、自分が助けて欲しいぐらいだ。たくさんの友達に切実に必要とされ、尊敬され、心から感謝されるというのは、気分がいいし、生きている実感がわくし、からだのなかから力がみなぎってくる。逆に、友達から必要とされず、軽視され、単なる遊び相手だと思われ、口先だけの感謝の言葉しかもらえないというのは、なんていうか気持ちがやせ細る。生きている実感がわかなくなってくる。生きる喜びが薄くなる。人間は、群れで生きる動物だから、その本能を満たしてやることは、動物本能として必要なんだろう。
それと、英語さえできれば世界中のいろんな人と友達になれると言うのは、幻想だ。基本的な教養がないとすごく友達の範囲も会話の範囲も限定されちゃう。旅行先で出会う欧米の人間は、基本的な教養が「共通言語」になっちゃってることがよくあるんだよね。平安時代の貴族のモテアイテムが中国の古典だったのに似てるかな?
先日も、オイラの彼女と二人でとある発展途上国をバックパッキングしてたんだけど、そのとき山奥で夕食のテーブルを共にしたアメリカ人の中年夫婦と楽しく盛り上がった。会話の中で、「それってダークマターみたいだね」とか「でもさー、歴史は権力者の都合のように書かれてるだけだから(フーコーだっけ?)」とか、奥さんに文句を言われて「いや、熱力学の第二法則に従ってるだけだし」とか言い訳したり(部屋を散らかす人なんでしょうね)、「じゃあ、日本でも神の殺害は起こったというの?(ニーチェ、もののけ姫のエボシなんかもそれだろな)」とか、「どこで食べるかは決まってるけど何を食べるかは決まってない(量子力学の不確定性原理のパロディー)」とか、輪廻転生とカーストの話とか、とある大手企業の粉飾決算の手口を笑い飛ばしたりとか、「あの政治家、(フロイトの)肛門期的性格だよなー」とか「うへ、それじゃビッグブラザーじゃん(オーウェルの1984)」とか、「熱帯雨林ではバクテリアの代謝が活発だから二酸化炭素を吸収するというのは辻褄が合わねえべ。」とか「これはデブのジーンズ(genes)を持った人用のジーンズ(ズボン)なんだ」とかいうジョークやネタが、先方からポンポンでてきた。
最後に、(4)の騙されないため。徒然草じゃないけど、「多くはみな虚言なり」というのは、いまも昔も変わらないんだ。そして、ホンモノの教養があると虚言に惑わされなくなる。たとえば、世の中に出回っているサプリメントのうち、9割か、もっと多くは、合法的な詐欺なんだけど、どれがインチキで、どれがホンモノか、どうやって確かめる? その道の権威は、研究費を企業にもらってるから、企業のスポークスマンだし。で、自分で調べていけば分かるけど、たとえばαリポ酸がほんとに効きそうなのかどうか自分で判断するためには、かなりの基礎学力が必要だぜ。ミトコンドリアの中の分子化学的プロセスの話とか出てくるし。クエン酸回路や電子伝達系しくみのどこでどう働くのかとか、その証拠はどのように確認されてるのかとか、ミトコンドリアで発生した活性酸素がほんとに核膜の中まで届くのかとか、活性酸素にもいろんな種類のものがあるけどそのうちのどれにどう働くのかとか。あるあるを見て理解したような気になることはできても、あるあるの言っていることのどの部分がどこまで本当かを「確かめる」ことはできない。いい情報も多いけど、インチキ情報も多いんだよ、テレビは。ダイエット食品や若返りと称した合法的詐欺も繁盛してるよな。ダイエット産業は「リピーター」によって成り立っているという構造があるんだよ。金融商品なんて、もう、合法的詐欺のオンパレードだ。それらインチキ商品をかき分けて、ほんとうにオイシイ金融商品どうやって購入するのか? 日本語の情報源だけだと、ぜんぜんだめで、やはり相当な英語力が必要だ。ためしに、日本語と英語で同じ情報をGoogleしてみればもう、歴然よ。そして英語力だけじゃなく、多くの金融概念が必要で、それらのいくつかは数字や数学っぽい考え方にアレルギーがあると、きちんとは理解できない。つまり、教養がなくても、情報はたくさん得られるけど、どの情報が虚言でどの情報がホンモノなのかを、「確かめる」ことができない。
以上が勉強することのメリットだけど、勉強すべきかどうか、なにをどのくらい勉強すべきかは、もちろん人によって異なる。ちょー美人で、ちょー大金持ちで、誰にでも好かれるキャラの女の子なら、普通の人ほど勉強しなくてもよいかもね。ただ、そうであっても、勉強したほうが、もっと楽しく遊べるし、もっとすばらしい友達がたくさんできるし、もっといい経験をもっとたくさんすることができるかもしらんぜ。。。とオイラは思うけど?
。。。とは言ったものの、これらは全部屁理屈で、現実には、先生の魅力次第なのよ。教える先生が、勉強のホントウの面白さがよく分かっている、人間的にもめっちゃ魅力ある子供以上に子供っぽい先生なら、その魅力は、いくらでも子供たちに伝えることができる。問題は、そういう勉強の楽しさが全身からあふれてくるような、勉強の面白さを子供たちに伝えるために労をいとまない先生が、めっっっっっっっっっったにいないということだね。だから、ここで書いたことは、みんな机上の空論で、そういう先生自体が、直接子供に語りかけないかぎり、その女の子の納得のいく答えにはならないと思う。というか、もっと深刻な問題は、そういう勉強のおもしろさに対する感受性のない子供、生まれつき菅原道真に忘れられちゃってるような子供がいて、そういう子は、たぶん、別の人生を目指すべきで、無理に勉強すると、かえって不幸になるから、そういう子にまで「勉強しなければならない」とかいうのは、ほとんど犯罪的だと思う。勉強なんてできなくったって、すばらしい人生を送る方法はいくらでもあるんだから。勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない。
ありがとうございます。とても読み応えがありました。
こんな回答をいただけるのがはてなの醍醐味だと思います。
アメリカ人の中年夫婦との会話の中で出てきたジョークやネタ、読んでるだけで楽しい雰囲気が伝わってきます。(そしてやっぱり理系のネタにはとことん弱い私…わ、わからん…)こういうのをポンポン発して笑いに持っていくには互いにある程度の水準に達していないとダメなわけで、まぁ知らなくても生きていくことはできるんだけど、知ってればこういう楽しい経験もできるということがよくわかりました。
勉強に対する感受性のない子供、かどうかというのを見極めるのも大切なことですね。
http://www.hatena.ne.jp/1124539258?A2
人力検索はてな - 【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられ..
*URLダミーです。
勉強はより深く勉強するために必要なのであって、それ以上でもそれ以下でもないです。
世の中にある学問の多くは、金儲けや立身出世に直接役立つものはとても少なくて、むしろ役立たないものがとても多いです。言ってみれば、歴史と伝統のあるヲタク&マニア向けジャンルばかりで、「何かに役に立つ」という説明は結果としてウソになることが多いです。
勉強の結果得られたことが役に立つとすれば、それは、関係ないものを結びつけて考えられるような柔軟な思考を「役立てる人」が持っているからこそ可能になることです。
残念なことに、そのような思考の柔軟性は、何かを学ぶ過程で結果として獲得される技能であって、それ自体を直接学ぶことができません。
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前置きが長くなりましたが、わたしの回答はこうです。
もしあなたが誠実な教師でありたいなら、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という疑問に直接回答してはいけないと思います。
どうしても答えなければならないのなら、「そんな必要はない」と答えるべきだと思います。
(「何かに役に立つから」という回答は、ある種の欺瞞を伴っているので勧めません。)
この質問に直接答えるのは、あくまでも「逃げ」であって本来はこんな疑問を抱かせた時点で教育者としての技量不足を露呈したのであって、「教師の負け」です。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いには、生徒が自然に学ぶことの楽しさに魅了されるような指導を提供することによって回答となすべきです。
>「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いには、生徒が自然に学ぶことの楽しさに魅了されるような指導を提供することによって回答となすべきです。
なるほど。確かにそうです。
ありがとうございます。
「教える」ということの奥の深さを垣間見た思いがします。
http://www.ad-c.or.jp/index.html
AC公共広告機構
(urlはダミーです)
塾講師4年目です。
小学生・中学受験生・中学生を中心に教えています。
「どうして勉強しなきゃいけないのー」
の答えは、その子の年齢やその疑問が生まれた原因によって答えがちがってくるような気がします。
パターン1
勉強がイヤで、勉強することそのものに苦痛を感じるタイプ。
一部の中学受験生、マセた小学生、中学生の思春期・中3に多い。
パターン2
単純に疑問を感じたタイプ。「お空はどおして青いの」系。
パターン3
とりあえず塾講師を困らせて、授業を進めないようにさせようとしてるタイプ。塾に慣れてくる・塾講師をなめるとこうなる子がいる。
件の子は、年齢的にパターン2ではないでしょうか。
空が青いのは説明できますが、「どうして勉強しなきゃいけないか」は人によって目的が違うから一般的に説明できないですよね。想像するに、このタイプの子が知りたいのは「勉強をするとどうなるのか」のほうだと思います。
小1くらいで勉強嫌いな子ってあんまりいないんじゃないでしょうか。むしろなぜ回りや世間に「勉強嫌い」な人がいるのかとか、そういった風潮が流れているのだろう、どうしてみんな「勉強しなさい」というのだろう、という疑問であると思います。
「先生はね~、今○○の勉強をしてるんだけどすっごく面白いんだよ。でも、それを勉強するのには数の足し算とか引き算が分かってないとできなかったんだよ。だから、先生は勉強しててよかったと思うよ」
とかなんとか、個人的な体験を教えてあげると、その子にとって「勉強は何か?」ということは分からなくても「勉強するといいことがわかるかもしれない」というイメージがわくと思います。件の子にはこれが答えになるのではないでしょうか。
勉強を続けていく上で、「この先にはきっといいことがある!」というイメージは大切だと思います。大人が勉強をするときって、大体目的・目標・動機がしっかりしてるから楽しいですよね。
でも、小中高校生くらいで、まだ目標があって勉強するという年頃でないなら、勉強する意味が分からなくなってしまう時がきっとあると思います。そのときに「きっといいことがあるだろう」というイメージが描ける子は頑張って勉強できるし、ほかのシーンでもいいイメージを描いて頑張れる素敵な人生を歩んでくれるんじゃないでしょうか。
塾の先生は、そりゃもちろん生徒に勉強させるのが仕事ですから「勉強しなさい」っていうんですけど、その裏には生徒の将来を思う深ーーい愛があるんですよね~(笑)
>「先生はね〜、今○○の勉強をしてるんだけどすっごく面白いんだよ。でも、それを勉強するのには数の足し算とか引き算が分かってないとできなかったんだよ。だから、先生は勉強しててよかったと思うよ」
>とかなんとか、個人的な体験を教えてあげると、その子にとって「勉強は何か?」ということは分からなくても「勉強するといいことがわかるかもしれない」というイメージがわくと思います。件の子にはこれが答えになるのではないでしょうか。
>勉強を続けていく上で、「この先にはきっといいことがある!」というイメージは大切だと思います。大人が勉強をするときって、大体目的・目標・動機がしっかりしてるから楽しいですよね。
でも、小中高校生くらいで、まだ目標があって勉強するという年頃でないなら、勉強する意味が分からなくなってしまう時がきっとあると思います。そのときに「きっといいことがあるだろう」というイメージが描ける子は頑張って勉強できるし、ほかのシーンでもいいイメージを描いて頑張れる素敵な人生を歩んでくれるんじゃないでしょうか。
なるほど。そうですね。ありがとうございます。
確かにこの子は少なくともパターン3ではないとは思います。1と2の複合かと。
>塾の先生は、そりゃもちろん生徒に勉強させるのが仕事ですから「勉強しなさい」っていうんですけど、その裏には生徒の将来を思う深ーーい愛があるんですよね〜(笑)
うんうん。同感…
私は、勉強は「しなきゃいけない」ものではないと思っていますが、
その上で、なぜ勉強するかといわれれば、楽しく生きるためだと考えています。
漢字を知らないと面白い本も読めない。
計算が出来ないと損をすることもある。
理科を勉強すれば、空が青い理由も夕方に赤くなる理由もわかる。
新しく何かを知ることで、次への興味も広がる。
もちろん、いい大学に入ること、いい会社に入ること、
金持ちになることも楽しく生きることの一つです。
勉強とは、そういうものだと思います。
あと、ちょっと本題とはずれますが、
子供がそういう質問を投げかけてくると言うことは、
勉強することの面白さや魅力を、周りの大人が伝えていない
(または、伝えきれていない)のではないでしょうか。
一番いいのは子供がこんなことを考えもしない環境だと思います。
そんな学習環境を作ってあげてください。
>あと、ちょっと本題とはずれますが、
子供がそういう質問を投げかけてくると言うことは、
勉強することの面白さや魅力を、周りの大人が伝えていない
(または、伝えきれていない)のではないでしょうか。
いえいえ、その通りだと思いますし、むしろそれが核心とも思えてきました。
なんていうか、あれですね。
「楽しさ」を伝えられないのはやっぱり教える側の技量不足だと思います。
条件的には違うのですが、良いことを書いているので。
私も小~高校の間同じ疑問を抱えていました。
また、現在もそうなのですが、「勉強」という言葉自体あまり好きではありません。強いられるという状態にいれば、多少なりとも勉強に疑問を持ってくるのは当然だと思います。
感覚的な話なのですが、じぶんは「勉強」にあまりポジティブさが感じられないので、基本的には出来るだけ「学習」を使うようにしています。
一般に、勉強をせずに生活を送ることは非常に難しい上に、不自由なことです。
学び考えていくことによって、その不自由さが少しずつ解消され、自分の中の可能性が大きくなっていくのではないでしょうか?
そのための土台となっていくものの多くを担うのが、いわゆる学校の勉強なのです。
しかし、私の場合、多くの先生は教科書の内容を喋っている程度にしか感じられなかったため、学校の勉強が嫌になり、意味が判らなくなるという悪循環に陥ってしまいました。
結局は面白いと思えるかどうかだと思います。百聞は一見に如かずで、どんなに口で説明するより、切り口を上手く開くことが出来たら、「どうして勉強しなければいけないのですか?」 などという不満は言わなくなってくれるのではないかと思います。
稚拙な文章ですみません。
もう少しきちんと伝えられれば良いのですが、参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
やはり「面白さ」というご回答ですね。
>しかし、私の場合、多くの先生は教科書の内容を喋っている程度にしか感じられなかったため、学校の勉強が嫌になり、意味が判らなくなるという悪循環に陥ってしまいました。
これは確かに多くのこどもが感じるところかと思います。私もそう思っていました。
教育指導要領という名のマニュアルから少しでも外れた内容をやろうとすると、先生もいろいろ大変なんだろうなぁ、とかいろいろ想像しながら聞いてましたが…。
URLはダミーです。
小1の女の子に言う事ではないと思いますが。
その子は学習塾に通っているということは、両親がその塾にお金を払っているということですよね。
両親が働いてお金を出して自分を塾に入れてくれているのだから、そんな両親のためにも勉強してあげなさい。っていうのはどうでしょうか。
じゃあ塾なんて通わない!なんて思われたら困りますが、その時は、ご両親があなたのためを想ってやってくれていることなんだから、という感じでどうでしょうか。
勉強は楽しい、勉強していてよかった、勉強したい、と思う時がその子にもそのうちくるんでしょうが、
今伝えられることは、やっておいて損じゃ無い事だから、馬鹿にされたり馬鹿なのは困るから、ちょっと楽しいことだから、と、上に挙げた両親のため、と言うところですかね。
色々書きましたが、「勉強は面白いから」と言って、そうだよな、と納得してくれるのが一番嬉しいですね。
そうですね…。
上にも書いたように「親の気持ちを考えて」というのは、小学一年生の子には酷な気がするのであまり言いたくありません。自分から通わせてほしいと頼んだわけでもなかろうし…。
やっぱり楽しさ、面白さを伝えられることが大切かと思います。
ところで素朴な疑問なのですが、皆さん、小学校低学年ぐらいのころ「勉強って楽しいな、面白いな」と思った経験って結構あるものなんでしょうか。
私は正直言って、そういう記憶はほとんど残ってないのですが…。初めて「楽しい」と感じられるようになったのは高校後半から大学生にかけてでした。
Yahoo! UK & Ireland
人生の選択肢を広げるため
しっかり学び、基礎学力が高い人物には様々な選択肢があります。世界のどこでも、医師にも弁護士にも中小企業経営者にもNGOスタッフにも、科学者にも、職人にも、フリーターにもなれます。途中で進みたい方向を変えることもできます(友人の中には、経済や文学、建築方面からロースクールに進んだ者もいます。また先輩の中には、法学部を卒業した後、医師になり、弁護士に転向した方もいるそうです。)
しかし、あまり学ばず、基礎学力が低ければ、人生の選択肢は大きく狭まってしまいます。
それは一生に一度しかない人生において、非常に不幸なことでしょう。
ありがとうございます。
(↑ダミーです)
キミが大人になって、小学1年生の女の子から、今と同じ質問を受けたとき、キミの言葉と考えで、彼女が納得する回答が、答えられるように・・・だよ。です。
ありがとうございます。
知識欲の旺盛なこどもならこのような回答で満足してくれるかもしれませんが、彼女の場合はどうなんだろう…。でも言ってみる価値はありそうです。
リンク先のページは確かに質問の内容とは異なりますが、ためになりますね。
カニのお世話は大変じゃないですか?という質問が、あぁ、なんかいいなぁ。
http://www.hatena.ne.jp/list?op=1&st=p&c=#
人力検索はてな - 質問一覧
そうですよね。子どものとき思いました。私は教育哲学や幼児教育の研究をしているのですが、もっと子どもの身になって答えたいと思います。
まず「じゃぁ、勉強しなくてよかったらなにするの?」って聞いてみてください。
「遊ぶ」と言ったら、「そうか、でも勉強も遊びもどちらもできるでしょ。もし勉強しなかったら遊ぶだけしかできなくなっちゃうよ。大人になって働くこともできないよ。」と言ってあげてください。
「勉強できることは幸せなんだよ」ということも言うといいと思います。発展途上国の人たちは勉強できないからああやって働いてるんだということも、少し知らせてあげてはどうでしょうか。
そうですね。勉強できることは幸せなことだと大人になった今つくづく思います。
なのですが、小さいころ、発展途上国の貧しさを引き合いに出されたときのことをよく思い出してみたところ、自分は納得できませんでした。人々の生活が必ずしも不幸には見えなかったのですね。「食べ物がない」というところにはさすがにそれはまずいなと思いましたが。それにしたって、日本で余っている食べ物を毎日空輸して差し入れすればとりあえず今日飢えている人は何とかなるだろうに…と違和感を覚えたこどもは決して私だけではないはずです。うーん。
がんばれ北野高校定時制
『しなくてもいいけど、後で知りたいことがあったとき、下手をすると勉強する学校にさえ行けないかもしれないから』
はいかがでしょうか。
ある一定の学歴だの知識だのがないと、学校に入ることもそれを理解することも勉強するためのお金も稼げないわけですが、平たく言うと、『知る権利』すら手に入らなくなるからなのです。
というあたりをつついてみました。
ありがとうございます。
そうですね、知る権利…。
こどもはえてして「そんなものいらない」と反論してくるわけですね。大人になると、それがいかに得がたい貴重なものであるかよくわかるわけですが…。
しかし自分自身の中で、ともすればこれをおざなりにしがちなことにも気づくことができたのはこの質問の中で大きな収穫だったと思います。
http://www.perikansha.co.jp/html/0763-6.html
ぺりかん社----なるにはBOOKS-----
一度答えたので、別にポイントは必要としてません。
「なんで?」ときかれたら、
「なにになりたい?」ときいてみて、
「じゃぁ、どうやったらなれるか調べてみて」
と、きいてみましょう。
それなりに勉強が必要になることがわかるはずです。
最後に、
「調べるのが大変だったかどうか」
を聞いてみてください。
もし、「楽しかった」と答えたら、
「それが本当の勉強なんだよ」と、言ってみてはいかがでしょうか。
これは動機づけに効果がありそうです。
ポイントは二回分遅らせていただきたいと思います。ありがとうございます。
それとお礼が遅くなってしまいましたが、satosuさん、ステキなのっかりありがとうございます。
かなり助かりました…。こんなにたくさんのご回答をいただけるとは思ってなかったので…
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4426805015/qid=1124701...
Amazon.co.jp: どこどこ?セブン: 本
URLはだみーです。というかお勧め本かな?
世の中にはしらないことがいっぱいあるはずですよね。大人になったとしても。
そういう「知る」という行為が楽しいということをまずは認識させてあげてから、「知る」と「勉強する」は行為としてとても近いことだよということを教えてあげてはいかがでしょうか?
子供のとき勉強が好きといったらすごく不思議な顔をよくされました。
でも本当に数式がとけたり、昔あった歴史の物語を読んで同じ時代に何があったのかって年表を自分で作って想像したり、そういう楽しさが勉強していけば次々とでてくるよと思うんですよね。
大人になるときにすごくいい将来を選択肢に入れるために必要というのもありますけど、「知る」という行為が素朴に楽しい、新しいことっていうほうがモチベーションが上がるように思います
そうですね。
知らないことを知ることは大抵はおもしろいはずですから、そこから話ができればいいなぁと思います。
勉強が好きなお子さんだったんですね。確かに稀有な存在です…。
予想を大きく上回る量のご回答をいただけてよかったです。
今まで自分がした中で一番充実した内容の遣り取りだったと思います。
たくさんののっかりポイントで助けてくださったsatosuさん、kmyken1さん、匿名さん達、本当にありがとうございました。ちょっと体調を崩してしまってしばらくネットができなかったのですが、その間に質問が締め切られていました…。せめて全件オープンというかたちで活用させていただいてよろしいでしょうか。本当にごめんなさい…。
ポイント配分の基準ですが、基本を10ポイントとし、私が思いつかなかった視点からのご回答で、かつ実際にこどもと話すときに使えると判断したものに+10ポイントの20ポイント配分させていただきました。
こどもと話すとき、というより自分自身のためになったと感じたご回答には+5ポイントの15ポイントです。
また、質問から少しずれているな、というご回答には−2ポイントの8ポイントをつけさせていただきました。ごめんなさい。(しかし後で気づいたのですが、回答オープンで無条件に10ポイント送信することを考えたら最低10ポイントは差し上げるべきだったのかも…)
たくさんののっかりをいただいたことを考えてのポイント配分を心がけました。主観に偏っているところも多々あるかと思いますが…。
今夜は遅いので、明日以降にでも、質問のまとめや感想などをここで書いていきたいと思います。
もしご関心のある方は引き続きお話しませんか?
ふと思ったのですが、子供相手に「使える」「論」という私のこれまでの思考がまず安直過ぎるというか、対話する姿勢じゃないなぁと。
ここに気づくことができたのが第一の収穫だったと思います。
そろそろ寝よう…。続きは明日オープンいたします。
>ふと思ったのですが、子供相手に「使える」「論」という私のこれまでの思考がまず安直過ぎるというか、対話する姿勢じゃないなぁと。
子供に「君は何も知らない」ってことを理解させないとね。ちょっと知った位では意味がないってことを判らせてあげないといけない。無理矢理詰め込んで、つまり勉めさせ強いることで、多少知ったところで意味はないってことなんだな。求めたら与えられる...特に知識や動作の習熟(運動)については...というのが、子供の頃の特権。大人になると、求めるにしても対価(時間やお金や思想の変更)が必要になるってことね。
どんなに具体的であったとしても、あまりにも自分の経験・知識とかけ離れた話では想像することも出来ませんからね。
ありがちな話ですが、相手の目線に合わせて話すということが大事なのではないでしょうか。
分かっていても客観的になるというのは難しいものですが。