【質問】
日本史上の「踏み絵」を踏んでしまったキリスト教徒は、神学では許されますか?
一般論として「物理的なモノを否定すれば、心は弱くなる」とは思いますが、
ガチガチの神学ではどのように考えるのかな? …と疑問がわいて質問しました。
申し訳ありませんが、以下のページは対象外とさせてください。
(パッと見たくさんあったのですが、強い感銘を受けなかったので。)
・遠藤周作の著作が、主要な情報源になっているもの。
・「踏み絵はただの図像(またはイコン)である。
わたしの宗派では、このようなものに聖性を認めない。」という構成のもの。
・印象批評…「わたしならこうする・こう思う」がメインのもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AD%A6
神学 - Wikipedia
残念ながら、決して答えることのできない質問です。これはまず「ガチガチの神学」という共通見解が存在しないことによります。神学そのものが一枚岩ではない以上、いくつもの流派があり、異なった意見が出てくるものと思われます。
福音書派や、エホバの証人、カソリック、プロテスタント等宗派によっても考えの差はあるでしょう。答えるとしては「神学によっては許すだろうし、許さない可能性もあるだろう」と言うくらいしかできないと思われます。神学の多様性を指摘することで「答えはない」と申し上げることならできますが・・・