【形から心へ】は絶対十分条件ではないように思えます。
A)【形から心の弾圧】へいく可能性も考えに入れない怖さを感じるのですが、皆さんの経験でそのような実体験がありませんか?
B)又、昨今、政府やその支援者らが唱える【形から心へ】と、かつての日本文化の茶道や武士道のそれとはどうも実態が違うのでは、、と勘繰るのですが、、具体的にどこがどうなのか、自分で納得できません。
お教え頂ければ、スッと!するのですが。お願いいたします。。
昭和41年【平和は難しい】
人間は自分が安全なところで起こる戦争は興奮剤にして、皆がバイタリティをもって積極的に平和にむけ、行動しなければ、やっぱり、、戦争は起こる。
平和を謳ってる日本が当時はベトナム戦争してるアメリカに日本の政治家や評論家が止めに入ったニュースはなく、ジャーナリストが頑張ってるだけである。。(ロックフェラーグループは金融と情報通信を参加に収める)
ジャーナリズムの真意には体制への批判的立場で絶えずチェックする。。
ナチと日本の大戦参加とは、A)起因、B)必然性の由縁、C)諸大国の政治的戦略、、らの点で異なる視点があると、高校生時代、日本史で聞いたのを思い出します。。
ただ、、教科書ではGHQの視点での上記ABCだったのを思います。
A)日本は近代化に向かうものの、食料と石油の深刻な不足に直面し、それらを得る為に、当時世界中の豊かな地を植民地にしてる大英帝国をボスにし(日英同盟)、その敵対国ロシア(日露戦争)と戦い、英国はどうせ、未文明国小国小資源国でそこそこは闘っても、大国ロシアに反撃され、やがては疲弊するだろう、、とタカをくくっていたのが、連戦連勝。ⅠWWで戦勝国として、世界経済で“おのぼりさん”だった日本が戦勝国として隆々と国運栄える。八八艦隊計画を出来ると、日本海軍は英国海軍より強大になるので、英国は今度はアメリカと組んでワシントン軍縮会議で日本の主力艦を自国の6割りに押さえ込む。。
BC)英帝国から追放された日本は、一匹狼で自分で【大日本帝国】などと称し、あとは、食料、燃料を求めて植民地を造っていく。。。
一方、ヒットラーは食料・燃料の不足よりも、【ユダヤプロトコール】偽書であったとしても、その世界制覇を睨んだ、根底にある徹底した思考と陰謀、戦略計画書に戦いて、反ユダヤ主義のヒントを得たという。。
戦争の目的そのものが、撲滅ユダヤだった・・
この違いがあるのではないでしょうか?
冷戦時代の共産圏での教育、北朝鮮のマスコミ人・サッカーなど応援団の女性チーム、、らが今の政府が唱えてる教育指針の成れの果て??!
庶民文化・教養を高めた日本社会環境、、そしてそれをもたらした政治の成果を日本人自身が評価できず(鈴木孝夫著「ことばと文化」、江藤淳、司馬遼太郎、、)アメリカの価値感に迎合し、目先のグローバル化しか念頭になく、しかも猛進?特攻する?
A)
「放送」 米嗜好、なにが正しいのか?
一方方向に偏ったエコノミストとマスコミ
の思想・嗜好誘導
「教育」 ゆとり? 英語強化、一方国語力低下
とエリート化進行。 なんだか国民
不在の愛国論と、個を伸ばす教育
ではなく利己主義助長、愛国実は
国粋主義と勘ぐりたくなる
「企業」 グローバルスタンダードで企業の
財閥(コングロリット)化
利益優先で社会貢献はどこへ
心は金でかわれた
B)
己で考え、己で正しいと思う信念の基づき行動すれば
よいが、実際は、右えならえ的な傾向の日本では
「模範回答」以外はを認められない。
A)、B)共に今に始まった事ではないでしょう。
「長い者には巻かれろ。」的国民性が何をして来たかは歴史がよく物語ってるではありませんか。
戦前/戦中⇒天皇万歳、一億玉砕、アメリカなんてやっつけろ
戦後⇒一変して今までの事を否定、一部の軍部・政治家のみの暴走だと非難し、アメリカににじり寄り朝鮮戦争特需で経済大国へ・・・そして、(安保理無視の)イラク戦争擁護
(つまり、国民は被害者だと主張)
ちなみにドイツはナチズムを繰り返さない為にネオナチ・ナチス主義殲滅を図ってます。(時効無しで追い回されますので要注意)
(共犯であったと反省)
国民総動員で戦争を煽っていたのは同じなのにこの違いはなんなんでしょうかね?
A:マスメディアの印象操作
ネット情報と比較して「これ、マスコミおかしくないか?」と感じる機会が増えて、そういうときに怖さを覚える時があります。心の弾圧というより心の洗脳みたいなかんじで。
B:プロパガンダとの距離感
内面文化はどうしてもその時代の政治から影響を受けるものです。また、政治もその時代の内面文化から影響を受けざるを得ません。
「政治的に心に関与しない」というのもまた「政治的に心に関与しないという《政治》」を主張しているのですから、どのような政党であれ政治的主張が存在し、心に介入しているといえます。
だから、政党が主張する心への影響力――プロパガンダがどの程度な手法と距離感をもって行われるかで信頼性を測ります。
「心に介入はしません」というありえないことをいう政府よりは「心との適当な距離をとります」というスタンスの政府をまだ信用したいです。
とりあえず、政治と心の関係における制度性と(広義の)文化性を区別せずに考えてみました。