こんな人たちは伝説になりやすいですね。
同じような例をあげれば、
①756年に殺された楊貴妃が日本に渡り、その墓が山口県にあるという話もある。
②織田信長を本能寺で殺した明智光秀が天海僧正となって、1643年まで生き延びたという説すらある。
これらは伝説で根拠もはっきりしたわけではなく、後の世の人が作った話ではないかという見解が強い。
義経記によれば、妻子を殺し弁慶や他の家来たちも討ち死にしているとある。もし同一人物ならば、自分だけ1243年まで生き延びたことになる。
情に厚いとされる義経ならありえないだろう。
後から作られたうそか、死なずに東北に逃げたというのではないのでしょうか。
義経が来たという伝説は同説明しますか?
全部そうであってほしいという民衆の願望なのでしょうか
奥州藤原氏の元で裏切りとされたので義経は死んでいます。頼朝が殺したのでそれをうらんで元寇の時に頼朝が作った鎌倉幕府を倒すために生まれ変わったとゆうところでしょう。
1189年までは日本にいたのですから・・・
大きな根拠のひとつだけにね。
また、当時のモンゴルは血縁と階級がうるさい社会だったから、外国人が指導者になるのはむりがある。
義経が元の軍を率いるにあたって、まず間違いなく「言葉の壁」というものが立ちはだかるでしょう。
そこから、チンギス=ハンとしての活躍をしたとは思えません。
http://mltr.e-city.tv/faq11c.html#01782
の考察が纏まっていると思います。
つまり馬の利用法だけ見ても、かなり異なることから、別人であろう。
義経が死んでないという俗説は他にもさまざまなバリエーションがあり、義経=ジンギスカン説は、数多くある伝説の中の一つに過ぎない。
よって別人であろうと。
義経が悲劇のヒーローだったため、なんとかもう一花咲かさせて
やりたいという気持ちがこんな説になったのでしょう。
参考までに。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334738613
歴史には一つくらいファンタスティックがあってほしいものです。
とりあえず私は「源義経はチンギス=ハン」であるに一票。
ロマンがあってそうゆう話は個人的には大好きですが
一般的な認識では信憑性無いと言われていますね。
元はといえば末松謙澄が唱えた説らしく一時かなり
ブームになったらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E8%AC%99%E6%...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%...
http://www.2ones.com/bidders+/index.php?tag=%E5%85%A8%E3%81%...
時間的に無理でしょう。全く環境的にも無理があります。
江戸時代から明治にかけて歌舞伎等で庶民になじみの深かった源義経への「もし生きていれば」という思いから生まれた伝説だという説が一般ではないでしょうか?
大陸を征服したチンギスハーンの活躍した年代が義経没後に重なること、後年、フビライが日本(鎌倉幕府)に攻め込んでくることなどが、伝説を信じたくなってしまう人々の心と一致したのかもしれません。
義経の肖像画とチンギスカーンの肖像を見比べても、似ていないと自分は思います。
小柄で中性的な義経。
少年時代から兄弟にも冷酷だったチンギスハーン。
詳しくは知りませんが、私も同じように考えています。