憶測も含めて書きますんで、意向に沿わないようでしたらポイントはゼロで結構です。
スーパーカーは「HIVISION」に至るまでに、「スリーアウトチェンジ」「Jump Up」「OOYeah!!」「OOKeah!!」「Futurama」と、5枚のアルバムを出してますが、デビュー前にかなりの曲のストックを持っていたため、「OOYeah!!」「OOKeah!!」までの4枚は曲のストックを小出しにしながら制作していた、という風に記憶してます。そのため、「OOYeah!!」「OOKeah!!」までと、「Futurama」では、その楽曲を作った時期にだいぶ差があります。
その(「HIVISION」の前作に当たる)「Futurama」ですが、ちょうどバンド・サウンドとエレクトロ・サウンドを融合させた実験作のようなアルバムで、この頃の(たしかロッキンオン・ジャパンの)インタビューでスーパーカーのボーカル/ソングライター・中村弘二がこのアルバムのリードシングル「FAIRWAY」について「ロックバンドが四つ打ちで曲作ってもいいよね」って語っていました。要はこの頃すでにエレクトロ・サウンドへの興味がかなりあったという事だと思います。
そして「HIVISION」、「ANSWER」とエレクトロ・サウンドのアルバムが続いていってスーパーカーは解散してしまうのですが、当時の中村弘二のスーパーカー時代のソロ名義「NYANTORA」や、スーパーカー解散後の現在の名義「iLL」では完全にエレクトロ・サウンドが前面に出ているため、結局はスーパーカーの全作曲を手がけていた彼がこのようなサウンドに興味があったために、バンド全体が「Futurama」の頃からこのような方向にシフトしていったんだと思います。
余談になりますが、ちょうどこの頃のロックシーンってまだUKリヴァイバルなんかも始まる前で、スーパーカーのような「UKロックもUSオルタナティヴもひっくるめたシーン」はRADIOHEADが牽引してた頃だと思うんですよね。そのRADIOHEADの2000年作「KID A」がエレクトロサウンドを全面に出したサウンドだったので、世界のいろんなバンドがこのような方向にシフトしていき、エレクトロ・サウンドを融合させたロックというものが受け入れやすい風潮だったというのも要因のひとつではないでしょうか。よくスーパーカーと同じジャンルにカテゴライズされるくるりのエレクトロ・ポップの代表曲「ワールズエンド・スーパーノヴァ」なんかもこの頃だったように思います。