忌憚なくご意見をお聞かせ下さい。
坂東氏が毎日新聞に寄せた寄稿文(9/22):
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060922k0000e040085000c.html
前回のいわし:
http://q.hatena.ne.jp/1156172644
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-k16-2.pdf
実験動物に対しても、「実験において苦痛を与えないこと」が重要視される時代です。子猫を処分するにしても、もう少しやり方を考えるべきでは?
板東氏は、自分が「神」にでもなった気なのでしょうか?
「猫を殺すやつを殺せ」みたいな小学生レベルの意見多すぎ。
さすがに犬でも騒がれるだろうが、ハムスターや亀、蛇だったら確実に騒がないだろうな。
ネットは猫好きが多いからね。
猫殺してる奴も猫非難してる奴も猫を擬人化してて気持ち悪い。
全員自分と他人が同じものの考え方してるって前提で喋るからますます気持ち悪い。
「猫がかわいそうじゃないなんてお前も猫殺しの一派だな」云々。
日経だったら昭和天皇メモの偽造の方がはるかに問題なのにな。
しかしなぜ毎日。あれか、毎日の記者がなんかやらかしてそっちに目がいかないようにしたのか?
他の生命に対する、身体感覚を伴う共感が全く欠如しているのが気になる。「自分を殺せる存在がいるとしたら?」という程度の事を考えられるイマジネーションがあれば動物殺しなどはできない筈。
議論自体が市民社会の退行現象かもしれません。
最終的な意見を日本経済新聞ではなく毎日新聞に寄稿した事ですね.読者も違うし...だんだん彼女も冷静さを失っていたのかなと思います.
「お前もすぐに成長して子供を産む様になる。そうなる前に」つって崖から落とされかねん。
もう、言えば言うほど泥沼。とにかくもう何も言わんで欲しい。黙ってさっさと捕まって欲しい。
こいつ、露出狂と同じで、最初は自分のアブノーマルさを人前にさらして興奮したかっただけでしょ。騒ぎがここまで大きくなり、警察まで巻き込む(つまり自分に害が及ぶ)事になるという、ちょっと考えれば分かる事も、全く想像できなかったからたからびっくりして必死で失笑ものの自己弁護してる。
病気やけがなんかの理由で子宮を摘出しなければならなかった女の人に対してすんごく失礼な事を言ってる。「(自分なら)自分の子供を殺される方が自分の子宮を取られるよりもよっぽどいい」という論理を子供をもたない奴が言ってんのが笑える。動物の避妊とナチスの所行を同列化するその神経も呆れる。「ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人」なんて見た事ない。つか、「正義」て、おいおい。タヒチ政府は誤解してないと思うし「言論弾圧」に至ってはもう、絶句。正気?
それから、この記者もどうかと思う。この女は単なるロッシーで「社会が抱える病理」みたいな立派な事は1ミクロンも言ってないんだから、間抜けな尻馬に乗らないで「常習的に愛玩動物の虐待をしていたホラー作家が逮捕された」程度で済ませて欲しかった。なにもわざわざ、ロッシーが喜ぶ様なこと、しなくてもいーのに。
#実は本件に関するニュース記事を書いているのですが
なぜ黙ってやらないのかと思うのです…
それをわざわざ世界に向けて公表するのは
ペットの避妊手術への抗議だった?
普通に考えればそうではないです…
もしそうであれば最初から
ペットの避妊手術反対を前面に押し出せばいい
むしろあの最初のエッセイは
自分は拠所なく子猫を殺しているがこう自分に納得させている
(つまり他の人がペットの避妊手術をするしないは関知せず
本当に自分で納得しているなら勝手に堂々とすればいいかと
自分でも納得しきれていないので
誰も聞いてもいないのに告白してしまう
言論の弾圧だということも仰っておられますが
このねじれがどうも文学者らしくない…
作品の中でそうしたことを書けば弾圧も何もない
もし行為が法に触れると解釈されるのであれば
これこれこういういきさつで行いました
などと言っても無駄でしょう…
言い分を見る限りでは、どうもスカッとしません。基本的には、病的な行為にしか思えないのですが、仮に彼女が殺す行為を食べることに変えることができるのなら、哲学的にある程度は理解もできるのですが、彼女を作家としてではなく、ただの人として見れば、惑わされることなく真実が見えてくると思います。
目の前で猫殺されて、トラウマになるわ。
ナチスドイツやハンセン病患者に対して行った避妊手術を持ち出して
避妊手術には、高等な生物が、
下等な生物の性を管理するという考え方がある。
だの
ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、
晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
なんて言っている
確かにペットに飼主の勝手で避妊手術をすることが
いい事かどうか私にはわかりませんが
避妊手術を施すのは忍びなくて出来ないのに
生まれた猫を空き地に放り投げて殺すのは忍びないけど出来るという
後者を選ぶ、この感覚が理解できません
奇麗事で生きてないと言いたいみたいなのですが
(避妊手術は)~私にはできない。陰のうと子宮は、
新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、
その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。
もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。
経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。
それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
新たな命を生み出す「陰のう」と「子宮」は傷つけたくないけど
「陰のう」と「子宮」を含めた子猫の〝体ごと〟は
空き地に放り投げ命を絶つ事が出来るのです
これって、奇麗事が嫌いな人の奇麗事じゃないですか?
私は奇麗事は言いたくありませんの理論で
結局、奇麗事を言っているように聞こえます
エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。
ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、
虐待にあたるか精査してほしい。
事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
誤解も何も、言論弾圧もなにも…
本人が書いたエッセーそのまま読めば明らかで
子猫を殺した本人なりの理由(理屈?屁理屈?)があるにせよ
自分で「猫を殺しています」と言っていてその行動が真実なら
それで告発されようが、捕まろうが、
言論弾圧とは意味が違うんじゃないの?
このエッセーは火に油を注ぐようなものだったのではないでしょうか
それにしても、以前のエッセーにしろチェックの時点で
よく書き直しが要求されなかったものだと思います
(要求されたけどOKだったのかな?)
それこそ言論弾圧?
自分の飼っている猫はかわいいけど、子猫を一緒に飼うのは精神的に苦痛であるし、子猫を好きになるか分からない。 だったら殺しちゃえって事でしょう。 理由は後付けじゃないの?
なぜ中絶は合法なのに乳児を殺したら犯罪なのか。
そのあたりに線引きがあるのではないでしょうか。
やはり、現に生を受けた個体を殺すのはいかがなものかと思います。
自らの感情にほだされて、それを肯定するために理屈なり倫理なり法律なりで飾り立てるのに終始する。
だったらいっそのこと、もっとストレートに感情をぶつけ合えばいいんじゃないかと思う。
最も心ふるわせた人が正しいってことでいい、と思う今日この頃なのだ。
仔猫の命以外は。
この作家の本を読む事は今までもなかったし、これからもないだろう。(ジャンル的にも興味がないし)
ケモノに人間の価値観を押し付けているエゴイズムだという事実には結局目を背けているので、避妊のエゴも仔猫殺しのエゴも私からすれば同じエゴ。
ならば、殺す数は少ない方がいいし、他者や親ネコを困らせたり悲しませない方がいい。文学的にどうこうというレベルじゃない拙さを感じました。
ケモノに、知的レベル云々とかじゃなくて、避妊されたら不幸だ、性交を楽しみたい、妊娠したいという願望があるのか、それが元々なくて生まれて育ったら不幸なのか(ex.Aセクは不幸なのか?)そこまで考えてないんじゃないのかなー。一方的な性=生の価値観の押し付けかなあと思ったよ。
今回の寄稿に対しての毎日新聞記事の中にある一文、
『動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか』
最初の告白の時から表に出すことに関与した人達は自分たちだけが辿り着いたことだと傲慢な思い上がりをしていると思える。
この程度の考えは誰だって抱く。
坂東眞砂子、他関係者、理解できないと言うよりも哀れとしか言えない。
死んでいるのは「私」ではなく「子猫」なので、疑似体験しているように言われても・・・・
・猫を飼っている
・避妊手術はしない
・生まれた子猫は殺している
というだけのことですよね
そこに苦渋の選択だか、私も一緒に死んでいるだかいうのはどうも理解できません
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