恐れがないと人間ダメになる
でも、プン殴りたいガキは、少なくとも札幌には街に溢れています。
結果、僕は家に引き籠もらざるを得ないんです。
本音では、街中プラプラしたいのにね。
家の近所より街中の方がオモロいことは、一般的には間違いない。
今日も、用事が終わったら(大体4時)まっすぐお帰り。
ま、結果論からは、帰ってきて大正解だったけど。
その通りだとおもいます。
しかる側にもそれ相応の覚悟というか、それだけのものを持ってしてその一つの手段が「叩く」という行為に現れるのは仕方ないことだと思います。
そう言う覚悟や思い入れなしに、自分の感情のはけ口として「叩く」からだめなのであり、
そう言う例があるからと言ってすべてを否定するのも良くないとおもいます。
子供の頃に親や先生に叩かれて、その真剣に怒るまなざしを見て、気付かされたこともありますからね。
ゴリラみたいな親の場合、加減しないで殴ると死ぬ
子供がいけない事をして、子供の将来のためを思って殴るなら良いだろ
だから、嗅覚に頼るのも限界あるのよ。
味覚もダメ、触覚もダメ(多分)
何故、子供をぷん殴ろうと思ったのですか?
Suck my dick !
意味があればかまわない
僕は思い付かんかったから、「ピンタ」という言葉を使ったが。
今の時代に、ぶん殴ることに意味を持たせられる人がいないからじゃないか?
殴るってことは、かなりのインパクトを与えるはずだから、そのときの雰囲気やその場でのやり取りを覚えておきやすいかと思う。
つまり、そのときに何を伝えたいかがしっかり大人もわかってないと意味がない。衝動的に殴っても、ただ体も心も痛いだけですし。
感情的になって殴るのもありだけど、そんときに雰囲気を出せるかがポイントだと思う。
ぇ? ただ殴りたいだけ? なら傷害やら虐待やらで(ry
一発軽く、平手でピンタ
それでわからんけりゃ、こぶしを見せて、
「こうされないとわからんかい!」と言って脅す。
ひっぱたかれたほうが痛いんだよな
要するに、説教というのは本来言葉で相手を論破するものなのだけど、言葉には限界があるから、壁にぶち当たったとき発狂して手が出るのです。
壁の一例①相手が自分の言ったことを理解してくれない
②以降は自分で考えてね。
殴っちゃだめですよね
貸した 頭=内閣総理大臣(国会議員じゃないとなれないはずですから)
ひっぱたくなら良いんじゃない
説教で殴るのは当てはまらないんじゃ
言葉で無理なら殴るってこれ恐ろしいことなんだよな
子供も真似すんだよな、同級生に同じようなことする
もちろん、たまにホームランもあるんだけど、王貞治タイプ。
だから、かじりついてみている必要はない。
やっぱ、♂にとっては♀は見た目が10割ですな。
でも僕チンは、0.1%の可能性に賭けますが。そういう意味では、ぎゃんぶら~(自己中心派)
まあ、何と言いますか、「人は殴られるとおとなしく言うことを聞く。」という前提があって、暴力が人心掌握術の一つとして一般的に認知(あるいは誤解)されている???ような気がしました。
恐い世の中だなあ。ぶるぶる。
自分は悪いことなんかしていないと思っていた、なのに殴られた。そうなった時のことを想像すれば、だいたいの答えは出ると思うんです。「しつけ目的」で叩く、という場合も、叩かれた方は、そうとしか受け止めないことが多いはずなんです。
特に満足に言葉が通じない幼児などは、叱られても、その理由が理解できないことが多いんですよね。ですから、「危ないと叱るより子の手を引こう」の交通標語と同じで、満足できない部分は、大人が根気よくサポートしてあげる必要があるんです。そして、その子の特性をうまく利用して、満足のいく結果に誘導していくことが大切です。
ちなみに、猫のしつけは、絶対に叩いたり叱ったりしてはいけないんですよ。猫の習性や個体の特性に合わせた誘導で、行動を習慣化させていくんです。
猫に対してさえそれが最も効果的なんですから、人間に対して叩く教育が効果的だとするならば、人間は猫以下の生物ということになりますね。
この問題は簡単に説明できる問題ではないですしね。
子供を指導するときは
まず信頼関係がないと叱る事は出来ません。
子供はこの次は上手くやろう。ごまかそうと思うだけです。
決して言葉の教育を忘れては行けません。