>>コンピュータを使うすべての人々がプログラミングを学ぶべきだと思いますか?
→NO
危険な使い方をする人が増えると思うし、会社などで、勝手にプログラムを書き換えトラブルを作る人や、不正アクセスを助長しそうだから。
自動車を運転する人が、勝手に車を改造したり、整備したりしないようにすることで、世の中の安全を守る。というのと近い気がします。
愚民は無知であるべきという思想でしょうか
プログラミングを知らなくてもコンピューターの恩恵を受けられる人がたくさんいるのに、なぜみんながプログラミングを知る必要があるでしょうか?
プログラミングを知ることでその答えに近づけるのではないでしょうか
そう思います。どんな簡単な言語でもかまいません。ひとつでも勉強したほうが良いと思います。なぜなら、プログラムを勉強することによって、「こんなことができるのではないだろうか?」ということを提案できるようになるからです。
プログラマーはプログラムを書くことはできますが、使い勝手をよくしたり、必要な機能を自分で考えて書くのは難しいです。そこでいろんな人に意見を聞いて考えていくのですが・・・もしPCを使う人みんながプログラムを理解していれば、より具体的な提案や、プログラムを知らないユーザーが「こんなことはできないだろう」と思い込んで提案しないようなことも提案してもらえるようになるでしょう。すると今より使い勝手(特に初心者が使うのに)が格段に向上するのではないかな・・・・・と考えています。
ありがとうございます
学ぶべきだとは思いません。ただのアプリケーションユーザーなら、使うアプリケーションの操作方法をおぼえるだけで十分です。
もちろんただのアプリユーザーでも、使うアプリがマクロ言語などを装備していて、それを使いたいと思うなら、プログラミングの基礎を学ばないわけにはいかなくなります。
しかし、ほとんどのアプリはマクロ言語など一生触れなくても使えるように作られていますから、学ぶ気がなければマクロ言語など使わなければよいのです。
プログラミングは、基本をわかっていない人が無理にやろうとすると、無駄な時間を費やしたり、失敗して取り返しが付かなくなることが多々あります。コンピュータは各自の身の丈にあった使い方で活用していくべきです。
プログラミングを学ぶ事で身の丈を上げられるのではないでしょうか。
マクロは多くの問題を解決するのに必要だからこそ用意されている機能です。使う必要が無いから使わないのと、使わないと問題が解決できないのに使えないから使わないのとでは大きな違いです。
思いません
べき、が嫌いだから
そうですか。
~したほうがよい、ぐらいの表現であれば話は違ってきますでしょうか
全ての人が学ぶのが良いと思います。
プログラミングの大変さが分かってもらえるので良い事です。
ありがとうございます
思いません。
車ユーザーはその昔、整備の必要からその仕組みを学ぶ必要があったわけですが、現在のようにその仕組みが高度化してしまうと生半可な知識はかえって害にもなりかねません。現状では運転免許を取得できるだけのユーザー知識があれば十分でしょう。
コンピューターについても同様だと思います。家電化している現状ですから、ユーザーは使用する上での知識の習得に力を注ぎ、それ以上の部分は素直に専門家に任せるという姿勢であった方が良いのではないでしょうか?
プログラミングを学ぶ事で、ソフトウェアの概念を理解してこそ、安全に使う技術が身につくのではないでしょうか
そうは思いません。
自動車に例えると、運転手は自動車の運転方法を知ることと日常点検が出来る事は要求されても、自動車の作り方までは知らなくても良いのです。
プログラミングを知る事は、コンピュータの作り方を知る事ではなく、コンピュータの使い方を知る事だと思います。
既存の概念に例えるのは難しいと思いますが、あえて自動車に例えるのであれば、プログラミングは運転方法に該当するのではないでしょうか。
現実に照らして考えると,全員がすべきとは思わないけれど,したほうが良いと強く思う。なぜなら,コンピュータを使う目的の多くのが,物事の効率化であり,プログラミング的思考は,その効率化を大いに支援してくれるから。
手作業でコスト10かかっていた作業を,コスト9をかけてプログラムで行わせればコスト1浮く。それを10回行わせればコスト91浮く。日数に換算すれば91日。
コンピュータが苦手な人は,その言い訳をコンピュータは味気ないと言うことが多いが,プログラムの高度な知識を身に付ければつけるほど,人間ならではの思考時間や余暇の時間が増える。
つまり,プログラムを学び,必要なプログラムを作ったりすることで,プログラムを学んでいない人が残業に追われ,非人間的なルーチンワークをこなしている間に,高度な思考やアートとのふれあいや同僚や家族との対話に充てることができる。
さて,どちらが人間的だろうか。
コンピュータを使う以上は,プログラムの感覚が身についていると,明らかに作業が効率化できる。効率化を目指さないなら,そもそもコンピュータを使わないほうが良い。紙とペンだって,コンピュータにできないことがいろいろできる。そちらの達人を目指せばよい。
だけど,現実に照らすと,プログラムが本当に肌に合わない人もいるようだ。そういう人は莫大な時間をかけてプログラムを習得することは無駄かもしれない。ただし,そのトレードオフとして,プログラム知識のある人が素早い物事の処理を行う傍ら,非人間的なルーチンワークに甘んじることを受け入れなければならないかもしれない。
それは時間の使い方,給料の格差,いろいろな面において差が出てくる可能性はある。
また,プログラムの能力を身に付けることは,個人の能力を高めるだけでなく,会社の競争力,国の競争力を高め,最終的には自分を豊かにする。目前のちょっとした仕事でも,マクロなどのプログラムを組み,処理することがゆくゆくは人間らしい生活を送ることにつながると思う。
ありがとうございます
ありがとうございます
思いません。
コンピュータは道具だし、パワーポイントやワード、インターネット、メールをするだけでも十分便利な道具として、生活に役立てられると思います。
使っていて興味を持ち、プログラミングの勉強をするのが普通の流れとしてあるとは思いますが、一般の人には壁が高すぎると思います。
ありがとうございます
思います。コンピューターを使って10年になりますが、ソフトウェアの使い道を知っているだけなので、なにか問題があったとき、また修理・改善・調整などしたいとき、とても無力に感じます。『愚民は無知であるべきという思想』とありましたが、まさにその通りで、表の簡単な部分だけを触らせておいて、なにか「難しい」問題が生じたら直ちにお金を払って誰かを頼らなければならないというのが現状だと思います。パソコン初心者をつかまえて、最初からプログラムを学べというのには賛成しませんが、後々のコストを考えると学ぶべきものだと思います。
ありがとうございます
思う。
別に高度な言語を覚える必要はないと思います。
しかし、コンピュータを扱う上で、既存のアプリケーションやサービスだけでは限界があります。
たとえば、データ処理をする際、少量のデータならばエクセルで手作業で処理もできますが、定量的な作業や大量のデータを処理する場合は、マクロを使った方が
作業効率が上がります。 もっとデータが多ければ、アクセルを使ったり、データベースを導入してSQLを利用した方がもっと効率が上がるでしょう。
それと、プログラミングの基礎(特にアルゴリズム)を学習すれば、通常のアプリケーションでできる・できないの切り分けが簡単にわかってきます。
できない場合又は、一般のアプリケーションで処理しきれないと判断すれば、マクロなどを利用すればいいと思います。
ありがとうございます
他人がどうのこうの言う問題ではない。
コンピュータは利便性の追求だと私は思います。(少なくとも一般ユーザは)
よってやりたいことがアプリケーションの操作ですむならそれだけ学べばいいし
それだけでは満足できないのならプログラミングの学習を始めればよい。
今思いつきましたがプログラミングはプログラミング言語扱います。なのでまさに外国語なのではないでしょうか?
できなくても困らないけどできればコミュニケーションの幅が広がるもの。(それに対してアプリケーションの操作は方言に当たるのかな(日本語だから直感的に分かる))
方言なら通じなくても不便は感じても危険はないけど外国に行って勘違いで覚えている言葉があるとかなり危険がある。(「フリーズ」で打たれた話しなんかがそうか?)
そして外国に行くのなら自己責任がつきまとう。
日本で旅をするだけなら国家の恩恵を得られる。(その代わり束縛される)
例えに無理があるのを承知で述べてみます
プログラミング言語を外国語と例えるのであれば、コンピュータは外国人です。そして、アプリケーションは通訳の人とでも表せましょうか。
その外国人と付き合うのに、唯一のココミュニケーション手段(=プログラミング)を学ばずに、他人にまかせきり。
そういう状態が、プログラミングを学ばずにコンピュータを使うことと例えられるのでは無いでしょうか。
そして、日本に英語圏の人々が大量移入してきている状況であれば、皆が英語を学ぶべきだと言えるでしょう。
もちろん、プログラミング言語は自然言語では無いですし、コンピュータは人ではありませんが。
思いません。
私はずいぶん昔にかじっただけのど素人ですが、
もうできたプログラムを入力するだけでも動かないので
非常に苦労を感じたものでした。
言語の癖やOSの癖などを覚えるのも、
それでお金をもらうのでなく払う立場からは
絶対必要な苦労とはいえないと思います。
htmlや正規表現くらいなら、一回きちんと覚えたいとは
思うのですがそれもできません
(巷のコンピューター教室にこういう言葉があったら
2時間こっきりなら行こうかと思いますが、
そんな宣伝みたことない)。
プログラミング普及よりも、デジタルディバイドの解消の方が
先決だと思います。
優先度でいえば、そちらのほうが優先すべき事と思います。
ただ、コンピュータを使う上で、プログラミングの知識があるのとないのとでは、それもまた新たなディバイドなのだと思います。
表現として“べき”という点が気になりますね。
べきかと言われればべきではないとしか言えません。
だって、覚えなくても十分楽しめるんだから。
覚えた方がよいかと聞かれたら・・それでも
別に覚える必要はないと応えるでしょう。(笑)
でもね、私自身プログラミングを三度の飯よりも
好きだった頃がありまして、プログラミングの醍醐味は
一度味わってみてもよいんじゃないかなぁ・・とは思います。
あくまで個人的な意見ですけど。
ありがとうございます
プログラミング言語を外国語と例えるのであれば、コンピュータは外国人です。そして、アプリケーションは通訳の人とでも表せましょうか。
その外国人と付き合うのに、唯一のココミュニケーション手段(=プログラミング)を学ばずに、他人にまかせきり。
これが悪い事かどうかそれこそ本人が決めることだとおもいますよ。
通訳を通そうが自分で話そうが精度の差はあれやっていることは同じですからね。
私の例よりよっぽど正しいたとえだと思います。
私も「べき」じゃないけど「方が良い」です。そして半端にやるくらいならやる必要は無し。
やるんなら徹底的にやる必要がある。
それが、海外旅行であれば、必要はないでしょう。
しかし、大多数の人が毎日接するコンピュータにおいては、言葉が通じないままでいるよりは、皆で言葉を学ぶべきではないでしょうか。
そして今後は全員が毎日触る物になっていきます。
中途半端だろうとたとえ少しでもなるべく多く知っていたほうが良いのでは無いでしょうか。
思います
コーディングが出来る必要は無いと思いますが
基礎段階(情報工学1年生のコンピュータリテラシレベル)は知っていて欲しいと仕事をしていて思います
自動車を例に挙げてる方がいましたが車校でもエンジン点検場所等教えてもらってるはずです
そのレベル(安全に運転するための点検、不具合出たときの確認場所や応急処置など)に達しない人が運転する現状のほうが俺は怖い
ありがとうございます
思いません。
利用者にPGの知識が必要なら、銀行にお金を預けるのに銀行法などの金融関連法規の知識が必要、電車に乗るのに鉄道法の知識が必要ということになります。
SEやPGの役割、利用者(EU)それぞれに役割があって、それぞれに必要な知識は違います。EUとしてなら他の会社で利用しているシステムとの比較や、業務で使用している上での不具合や不便さを見抜く力が必要と考えます。
ここでPGというのは、プログラマー職の人のことを指しているのでしょうか?
プログラマーとしての知識まで必要と思いません。プログラマーに必要な知識の多くは、特定の仕様や規格に依存する物です。そういった物の大半は全員が知る必要は無いと思います。
プログラミングの知識はプログラマーだけの物ではありません。
NO
プログラミングを学ぶべきとは思いません。
基本的なコンピュータサイエンスを学ぶ必要はあると思います。
ハードウェアの仕組みやアルゴリズムの基礎を学んでいれば、コンピュータを使っていて問題が生じたときに、どこに問題解決を依頼すればよいか判断できるのではないでしょうか。
その道を仕事とする詳しい専門家が必ずいるわけですから、誰に問題解決を依頼すればよいか分かれば途方にくれることは少なくなります。
基本的なコンピュータサイエンスを学ぶ必要がるというのは、プログラミングを学ぶべきとほど同義ではないでしょうか
アルゴリズムの基礎を学ぶ事は、すなわち、プログラミングを学ぶ事という事ができると思ったのですが、違うのでしょうか
すべての方が、プログラミングを学ぶ必要はないと思います。
しかし、コンピューターを使うには、最低限ネチケット(インターネットのルールとマナーを学ぶ必要はあると思います。
ありがとうございます
プログラミングを仕事にする人は、当然プログラミングを覚える「べき」です。これは当然の事です。再度自動車の運転に例えますが、プログラミングは「自動車製造」に該当するという考えです。
一般のPCユーザーは、様々なアプリケーションを使用して、自分の必要とする業務にコンピューターを活用するだけですから、プログラミングの知識を要求される場面がありません。その知識が要求される人は、「前述のプログラミングを仕事にする人」です。
作る人が作り、使う者は対価を払って使用する。社会的分業の基本です。
ただし、ある程度の知識を持っていたほうが、より有効にPCを使える事も事実ですが、プログラミングを仕事にしていない以上は必然ではないと考えます。
プログラミングは自動車製造ではなく、自動車の運転にすぎないのではないでしょうか。
運転を仕事としない人でも、車を買ったのであれば、運転できたほうがいいのではないでしょうか。
覚えたい人はやってみる。
やってみて適正があればとことんやってみる。
覚えたくない人はまったくやらないでいい。
と思います。
知っているからこそ見えること。極めつくして初めて見えること。
知らないからこそ気づくこと、いろいろだと思います。
十人十色。いろんな経験、視点を言葉を通じて共有し合えるのが人間の強みだと思うので、みんな一緒くたに「こうだ!」と決めてしまうのは面白くないです。
僕は義務教育で国語算数と同様にプログラミングを教えるべきだと思っています。
プログラミングを学ぶべきだと思います。
画面に文字や数値やコマンドを入力するだけのATMや自販機というものは、お客がコンピュータを使っているのではなく、むしろコンピュータがお客を管理しているのです。
積極的に「コンピュータを使う」という視点で見るなら各種アプリケーションを組み合わせて、(必要ならバッチファイルやマクロ等を使って)目的の達成を試みるという行為が必要だと思います。
ありがとうございます
思いません。
プログラミングは、その道のエキスパートがするべき仕事であり、一般の人は、その人たちが作ったものを利用すればよいと思います。
難しいところは、ブラック・ボックスとして使っていくのが、これからの一般人の関わり方ではないかと考えます。
マイクロソフトやグーグルのプログラマー達は、スキルもずば抜けて高く、また夢にまでプログラム・ソースが出てくるような人達であり、心の底から、プログラミングが好きなのです。プログラミングは、そのような人たちにまかせてよいと思います。
特定の仕様や規格に依存する部分は、それに対する膨大で詳細な知識を必要とするので、ブラックボックスでかまわないと思います。
プログラミングの本質自体はエキスパートでなくても、小学生でも十分に理解できると思っています。
コンピュータは一部の専門家のモのではありません。入力データを選ぶだけという利用方法に甘んじている状態は、コンピュータを既存のただのシンプルな道具と同等に扱っているようなもので、賢いとは思えません。
万人の手にわたるようになったからには、万人がその正しい使い方であるプログラミングを学ぶべきだと僕は思います。
学ぶべきだと思います。
ただ、コンピューターに関して学ぶべきものは「プログラミング」だけではないと思いますし、
学ぶ範囲は時代と個人のスキルとその状況に沿った任意であるべきだと思います。
実際現在義務教育には情報教育が盛り込まれていますし、
その中にプログラムやアルゴリズムに関する項目も挙げられています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/08/06082512/001/003.htm
ただしこの導入は平成に入ってからですから、
まだ義務教育で学んだ人の割合はそんなに多くないのが現状です。
なので、義務教育でプログラムに関する知識を学ぶのが、
九九や四則計算を学ぶのと同じくらい常識的に感じるようになるのにはもう少し時間がかかると思います。
といってでは義務教育で学んでいない人はもう学ぶ必要がないかというと、
そんなことはないと思います。
学んだ方がよりよいと想像することはできます。
ですが、問題はプログラム以前の基礎知識から始める必要があるのがほとんどで、
また強制的に学ばせる機関もなく、
実際の使用に大きな支障がなければ、対価や時間を用いて学ぶ気持ちになりにくいのも事実だと思います。
こうした現状でプログラミングだけを例にとって「学ぶべき」と言いきることは、
私は現実的でないと考えます。
また、こうした状況を助長してきたのは、むしろプログラマ側ではないかと、
あえて指摘しておきます。
本当にコンピュータを使用する人全てにアルゴリズムやプログラム内容も理解して欲しいと考えているならば、
オブジェクト指向でない方がいいのではないでしょうか。
正直DOSコマンドで動かしていた時は嫌でもコマンドを覚えていきましたが、
OSやアプリケーションが進化するにつれ、その内部のプログラムは理解できなくなっていきました。
ユーザー側からすれば、プログラムは隠されている上に、
「知らなくても動きます」として提示されているわけですから、
あえてその内部を学ぶ必然を感じなくなるのは仕方ないように思います。
そうした点から考えると、現在使用している人に関しては、
基本的な情報処理の知識を得た上で、使用しているOS、アプリケーションの基礎的な考え方や、MSofficeがメインならVBA、ネットがメインならhtmlやCSS、Perlといったように、
自分に必要なプログラムの知識を学ぶことが有用だと思います。
ありがとうございます
コメントに返事を書こうと思ったのですが、できなかたので再回答します。
>僕は義務教育で国語算数と同様にプログラミングを教えるべきだと思っています。
なるほど。そういう考えだったのですね。
もうプログラミングというものは、もう十分に一般化されていて、義務教育で教える範囲に入っていてもよいのではないか?というお考えでしょうか?
そういう考えであれば、選択科目として検討しても良いと思います。
例えば、「物理」、「科学」、「プログラミング」が選択できるとか。
もしくは、「社会」「理科」「プログラミング」でしょうか。
しかし、国語や数学と同等に必須になることはないと思います。
例えば、国語。最低限の読み書きを知らなければ書類も書けませんし、文字も読めません。なので仕事すらまともにもらえないでしょう(探せばあるのでしょうが、かなり選択肢が狭まりますね。)
でも、コンピューターについてまったく無知でもそこまでの支障はないですよね。
たしかに、プログラミングやコンピューターは「知らないよりは知っている方が、いい事がある」と思います。でも、そういった「知らないより知ってた方が良い」ものなんて世の中に山のようにありませんか?その中の一端に過ぎないと私は思いますよ。
現時点においては、まだまだ一般にまで浸透しておらず、いますぐ義務教育にというのは無理があると思ってはいますが、できるだけ早くそうなればいいと思っています。
貧困などから一切ITに触れられない人と走でない人の差もさることながら、プログラミングへの理解のあるひとと、そうでない人の差も広がる一方だと思います。
急速に日常に広まるなかで、世の中に山のようにある知らなくてもよい事とは違うと思うわけです。
学ぶべき必要はないと思います。
義務教育などでプログラミングというと、「LEGOマインドストーム」あたりが小学生に教育している
実例になると思います。
けれど、プログラミングを理解しても、マインドストーム程度のレベル(奥は深いけれど..)と
実社会の企業等の情報システムのプログラムには格差があって、マインドストームの習得で
プログラミングを理解したとはいえないのではないかと思います。
基礎となるものとして、言語としての理解力・読解力と、アルゴリズム・フロー図を思い浮かべ
られる論理的な考え方と、集中力ではないかと思います。
また、授業の進め方も難しいでしょう。
同じ結果を得るのに、プログラムは10人いれば10種類できます。
括弧の位置や、ピリオドの位置(COBOL)でロジックが変わりますが、そのデバッグを短時間で大人数相手に教師ができるのか?
現実的なところでは、エクセルの関数の組合せや、アクセスのクエリー(SQL)で、
プログラミングの雰囲気を感じるぐらいではないでしょうか?
社内で講習していても、エクセルのIF関数になると1分でできる人もいれば、10分たっても
できない人に別れますので、その差をなくしたいとの気持ちはわかりますが..
現実にはこのあたりの基本的なスキルからではないでしょうか?
一行目は「学ぶ必要はない」「学ぶべきではない」のどちらでしょうか。
現状では体系的な学習方法が確立されていないのはその通りだと思います。
プログラミングの学習方法のいっそうの改善も進めるべきだと思います。
思います。
日本のIT技術の水準を、より引き上げる為に、今後特に必要なことだと思います。
特に義務教育中において、今よりも一歩踏み込んだプログラミングの学習が必要なのではないでしょうか。
プログラムの言語は常に変化しますが、プログラミングという分野の門戸が子供達に大きく開かれることと思います。
その先は、個人の範疇で興味をさらに延ばせば良いと思います。
特に学習内容としては、米国アプリ限定の使用方法ではなく、HTMLなどでいいかとも思います。
ありがとうございます
マルの中にどを入れる素人ですが、少しはやってみるべきだと思います。
プラモデルを作るのは楽しい作業だと思う人が多いと思いますが、出来合いのキットで作るとそこそこのものができます。でも、その前にモデリング作業をする人がいるわけで、その過程がプログラミングなのかなと想像しています。
プログラミングができれば、想像性が広がるし、ある特定のプログラムを作った人の苦労がわかります。
テレビの受像機を作れなくても番組を作れなくても、楽しめはしますが、棚からぼた餅ほどのありがたみも感じないっていうのは寂しいです。
受身の生き方じゃつまんないでしょうと思うわけですが、他にでっかい仕事をしていてそんな暇はないという方たちには関係ない話です。
ありがとうございます
「べき」論でイエスかノーか、でいうと
「ノー」です。
プログラミングの端っこの端っこくらいは齧ったことがある程度の私です。
イエスかノーか、ということでなければ
「プログラミングの端っこの端っこくらいは、知ってたほうが面白い」と思います。
プログラミングの基礎というのは、理数系とか文系とか関係なく知っているとすごくありがたい知識だと思います。
if文って実生活に役立ちますよね。
子供って短絡的に「もし○○だったら、Aになる」というところまではわかっていても「でも○○じゃなかったら」を考えないんですね、だから同じこと間違えたりするように思います。
NHKの子供番組に「ピタゴラスイッチ」ってありますけど、あれは立体化したプログラムのような気がします。
LEGOマインドストームにも通じますよね。
料理の作り方もプログラミングに通じますし…こういう概念を子供のうちに教えることってとても大事だと思います。
ありがとうございます
私は皆が学ぶ必要はないと思っています。
(他の方がおっしゃっているような、ちょっとした便利テクを学ぶレベルは除きます)
一番大きな理由としては、プログラマーに限らず、技術職は知れば知るほど現実的な選択を選びやすい思考に陥りやすいように思うからです。
物によるとは思いますが、例えば商品を評価するとき、プログラマーしか見つけれないような不具合もあるんでしょうけど、全く知らない人が思いもしない使い方して見つかる不具合も多分ありますよね?
また、専門的な事は分からないので「こんなことできれば便利じゃない?!」って技術職からすれば無理難題言ったりするかもしれませんが、そこにはビジネスチャンスともなりえる大きなヒントが隠されている事もありはしないでしょうか?
少し例えは違いますが、以前あるTVでこんな実験を見たことがあります。
それはドアノブがついたドアが実は引き戸で、それを何分で開けることができるか?というものでした。
子供の場合、しばらくするとドアが引き戸である事に気づき部屋の中に入れるんですが、ほとんどの大人はドアノブを回してあけるものだと思い、部屋に入るために時間がかかったり、中には鍵が閉まっていると思って諦めていくのです。
つまり、人は経験していく事で深く考えれる事もできますが、このように発想が狭くなりやすい側面も持ちあわせているので、仮に皆が同じような高度なスキルや知識を学んでいけば、より便利な世の中になるかと言えばそうはならないだろうと私は思います。
またそうした気づきが得られるためにも、特に小学生のうちから画一的にプログラムを教しえる(学ぶ)必要性はなく、選択肢の一つとしてあればいいと思うのですがいかがでしょうか?
ご参考になれば幸いです。
PS:裏を返せば、皆が現実的思考しかしなくなれば日夜バグ対応で苦しむプログラマーが少しは減るのかもしれませんが:-)
まったく同意いたしかねます。
ドアの件ですが、長い経験から可能性が低いと判断して思考の優先度を下げる行為は、そのように極まれな状況においては、解にたどり着くまでの時間を長くすることもありましょうが、多くの場合はより早く問題を解決するのに役立ちます。
子供は学んで大人になるべきです。
yesです。
ただし、質問者の意図とはちがい「コンピュータを使うすべての人々はもちろん、使わない人もプログラミングを学ぶべき」だと思います (今の日本では間接的なものを含めれば、ほぼ全員がコンピュータを使っているといえますが)。
「ちゃんとした記述によって複雑な仕事が単純な仕事に分割され誰にでもできるようになる」という方法論はコンピュータにかかわらず有効です。自分のやっている仕事がなんであるかを自覚し、他人に伝えることなどもできるようになるでしょう。
ちょっと趣旨は違いますが、佐藤雅彦の「アルゴリズム行進」なども、単純な動作の繰り返しが全体としては非常に面白い行進になる、ということを子供たちに伝えるためにつくったと聞きます。
また、アラン・ケイなどが Smalltalkを開発し、そして OLPCなどの開発に関わっているのも、そういう意図があると思います (彼はプログラミング以上に大きな目標があるのでしょうが)。
ありがとうございます
回答があやふやだったようですみません、質問の回答としては「No=べきではない」です。
回答にも書きましたが趣旨としては、国語や算数の教育をしっかりやることで、プログラミングの教育までしなくても、その基礎は育つと思っています。
近年インドがソフトウェアの開発拠点として脚光を浴びているのも、もともと数学に長けた民族性との分析もあります。
そのような考え方、発想ができる人材の素材を義務教育では育てるべきと思います、その手法がプログラミングとは思いません。
クラブなど課外活動や総合学習の一つとしてなら、あっても良いとは思いますが..
東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070316_rotei/index.html
「プログラミングコンテストで勝てない日本」の記事と考察が出ています。