って言うか、
母子殺害の裁判で、被告弁護団の死刑判決回避を目指した活動の是非が話題になっていますが、
私は以前から思うのですが、この種の犯罪の被告にとって死刑と生き残る事では、生き残る事の方が刑罰として重いと思うのですが、
みなさんはどう思われますか?
http://www.asamiryo.jp/ftk278.html
無期懲役と言っても、永遠に刑務所暮らしというわけではないそうです。
有期懲役よりも早く出所するという事態にもなる事があるそうです。
従って、死刑の方が重いです。
日本じゃ死ぬまで刑務所にいるわけではないし
出所してきた後だってそりゃ差別はされるだろうけど
楽しいことやうれしいことが全くないわけではありません。
他人のそういう権利を奪っておいて自分は更生したからそれを味わうなんて許されるべきではないと思います。
罪を償い続けるなんてよく言うけど人間なんて単純にできているから
ある時点では100%反省することはできるけど1分経てば他のことに切り替えることなんて簡単にできますからね。
裁判で自分がやっていないのならばそりゃ抗弁する権利はあると思うけど反省したから死刑は勘弁してくださいなんて言うこと自体がおかしな話だと思います。
そうですね。
私も、もし被害者として加害者が笑っている(例えどんな理由で笑っているにしても)のを見れば
なんともやりきれない憤りを感じると思います。
でも、
死んじゃったら終わりじゃないですか。
そんなに被害者の命って簡単なものだったのでしょうか。
と、いうのが私の疑問なのですが。
とらえどころがなかったこの疑問も
なんとなく、自分なりの輪郭が見えてきた様に思います。
回答をいただいたみなさん、どうも
ありがとうございました。
死刑だろうが終身刑だろうが。
遺族は何がしたかったのか被害者と一緒に喜び苦しみ生きたかったはず。
加害者が感情を持つ、すなわち生きている実感を感じると言うこと自体許せないとおもいますね。
ルールを守っている人が我慢してルールを破った人は好き勝手にするという矛盾を感じます。
何が言いたいのかよく分からなくなってしまったけど加害者は自分が生きて償うとか死んで償うとかそういった選択肢を持つこと自体が許せないですね。
人殺しというのはそういう罪だと思います。
最近、このような記事をみかけましたので、
びっくりした意味もこめて貼らせていただきます。
この記事の内容を全面的に信用するならば、
一番の記事の懲役20年は六年八ヶ月から仮釈放が
「理論上可能」ということも言えますね。
私自身、ずっと誤解しておりました。
話がすでに人殺しと死刑に移っておりますので、
はからずも話を戻すようなことをお許しください。