昆虫のように固い殻があったら、ケガに強かっただろうし、魚のようにエラ呼吸ができたら、水に溺れなかったし、鳥のようにツバサがあったら、自力で大空を自由に飛べるし、アシカのようにハーレムを作れたら、たのしかったろう。自然は、なぜ進化の過程で、ヒトの(というより哺乳類の)身体機能から多くのもの削除したのですか?頭ばっかり大きくして。
1.それがたまたま生存に有利だったから
2.偶然です。
とかだと思います。
「分子進化の中立説」木村資生 紀伊国屋書店 ISBN4-314-00469-X
とか読んでみてください。
>昆虫のように固い殻
があると60kとかの体を支えるのに分厚い外骨格が必要になります。
つまり、外骨格を持った生物は巨大になれません。
>魚のようにエラ呼吸
水中は酸素が豊富でないので、脳を大きくて文化文明を作ると言うはむりかと
どのぐらいの大きさになるか分かりませんが
人間に必要な酸素を水中から取ろうとするとバカげた大きさのエラが必要になると思います。
>鳥のようにツバサ
飛翔に適応するとすると巨大な脳は無駄な器官と言う事になるので
さほど巨大にならないでしょう。
鳥は賢いと言っても人類とは違います。
飛翔型なら少なくとも文化文明を築くと言う事はないと思います。
(SFに出てくる鳥が祖先の宇宙人も多くは飛翔を捨ててるでしょう。
SFは何を書いても良いので飛べて知的と言うのも
例外的には出てきますけどね)
>アシカのようにハーレム
女性の感情は?(ニコ)
人類は、一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻、一夫一婦など多数の
婚姻携帯を持っています。(文化人類学と言うのを勉強してください)
道具を使うからです。
毛皮をなくした代わりに衣服を使います。暑いところでも寒いところでも暮らせます。
鋭い爪をなくした代わりに器用に動く手が使えます。鋭いナイフもバールのようなものも使えます。
乗り物を使うことによって宇宙にも深海にも行けます。
生物が進化によって環境に適応するには長い時間がかかります。人間は進化の変わりに道具を発達させることによってその期間を大幅に短縮してきました。
極端な話、人間は生物としての進化をやめてサイボーグとしての道を歩いていると言えるかもしれません。
一番簡単な考え方は身体機能を「削除」したのではなく「洗練」したんです。
・昆虫のような堅い殻
→強くなる一方、人間のスケールにすると重量が増しなおかつ動きに柔軟性が損なわれる。また、昆虫の外殻は骨の代わりをしているものでもあるので骨があるヒトには不要。
・エラ呼吸
→基本的に陸上で栄養を摂取できるので水中に長く潜る必要がない。また、短時間ならば肺呼吸でも潜ることが出来る。そして肺呼吸の方が表面積が多いので効率的。
・翼
→翼があって飛べるようにするのは良いがそのためには必然的に体重を軽くする必要がありそのために陸上で生活する上での様々な機能を制限しなければならない。
繰り返しになるがヒトは陸上の動物。
・ハーレム
人間でもハーレムを形成している国はあるし、楽しくてやっているわけではない。生きていく上で必要だからハーレムを形成しているだけ。よって現在、ハーレムを作る文化が無いと言うことはそれだけ子孫を残す能力が優れていると言うことを示している。
・頭が大きい
知力こそが生物におけるもっとも優れた能力だから。このおかげで空も飛べれば海も潜れるし宇宙だっていける。まぁ諸刃の剣という側面もあるけど。
以上全て根拠無し、思いつくままに書きました。
削除したのではないでしょう。いらなくなった、若しくは違う機能に変えたほうが生き残りやすかった。または、ご先祖様の持っていた機能なので、人の責任ではない。
回答楽しく拝見させて頂いております。
ところで、議論できるような知識がないので、質問しっぱなし、というか「レス」してないのですが、「レスなし」というのは失礼でしょうか?
個人的にはコメントがついたほうが嬉のですが、別に無理してつけるほど失礼なことではないと思います。
恐竜みたいな「始祖鳥」って大きくて重いイメージがあるんですが、軽いんですね。
始祖鳥も多分滑空型。まだ、体重を犠牲にしていない。
ランフォリンクスのような蝙蝠系は軽くないと。