子どもは必ずしもいわゆる”イイコ”になるわけでもなく、連日のニュースで取り上げられるような
犯罪者になるかもしれない。育児費用もかかるし、時間も子どもに割かれる。
視点を変えれば、この世の中良いことだけでなく、嫌なこともたくさんある。
子どもが好きでも、本当に好きならそんな世の中に愛すべき子どもを産み出すこと自体
罪悪感が親として生まれないのか。
・・・決して子どもを産む人を批判しているわけではなく、どうして、そのようなリスク(?)
を背負ってでも欲しいと思うのかという強い意志を純粋に知りたいのです。
あ、人の揚げ足をとるような回答は入りませんので。。この質問へのクレームはコメント欄を開放していますのでそちらへどうぞ。
・経済的なメリットとして、長期的な投資にはなるんじゃないですか?
子が成人するまではお金がかかるとしても、その後はお金の稼ぎ手になってくれる。また、老後の世話を見てくれる。
またそこまで先を見なくても、マンネリの夫婦生活に花をそえてくれる存在になってくれることを期待することもできるでしょう。
・国家レベルで見ると、将来の生産者である若者が増えたほうがいいのは言うまでもありません。なので国としては当然国民が子どもを産みたくなるような働きかけをしますので、その影響も少なからずあるでしょう。
・人間という種の発展(生存)を考えれば、子孫を残したくなる本能的感情がインプットされていてしかるべきです。
子作りの行為自体が性的欲求を満たすようになっているのも納得できます。実際、性行為によるアクシデントで産まれる子どもも少なくありません。
・小さい子どもはかわいいので、ペットと同じくらいの気持ちでほしくなる人もいないとは言えません。
・自分の人生のやり直しがきかないので、かわりに子どもに自分の後悔を解消してほしい、という欲もあるのかもしれません。子どもに自分の夢を託す、ということですね。
少し悪い点に偏って見られているように思いますが、仮にリスクが高いのであるならば、同じリスクを持ちながら自分を産んで育ててくれた親への感謝の気持ちでしょうか。
結婚もそうでしたが、自分を好きになることで他人を好きになれた様に思います。
自分の「良いところ」を子供に託したいという思いもありますね。
ニュースでは、悪い事件がピックアップされますが、あなた自身の目が見てきた人たちは、圧倒的に良い人間の方が多いんではないでしょうか。
他人は、良いときは寄ってくるが、何か問題が起きると簡単に離れていってしまう。
でも、家族は良いときも悪いときもいつも一緒だ。決して見捨てはしない。真剣に心配し助け合う。
すべてをかけて親は子供を育てる。無償の愛だ。
将来面倒を見て貰うなって、これっぽちも思っていない。
子供を育てることの意味は、育てた人にしかわからないんです。
回答に対して、丁寧にコメントをつけて下さりありがとうございました。
本能的ではないものが全て理性的かというというと、決してそうではないでしょうし。
まあ、なんでも、いいですけれど。
言葉でどんな理由を表現したとしても、結局それが「ヒトとしての本能」ということになるのでは?
横から失礼します。
こんばんは。「本能」で納得する人もいていいと思います。
「本能」と「理性」と対比させていいのか分かりませんけれども、親になろうか葛藤が生じるのは、「本能」と「理性」あるいは「本能」と「現実」などの間に板挟みになっているからかもしれません。そのため、id:nukunukudougaさんはご自身が納得できるまで迷ったり悩んだりしていいと思います。お考えを「捨てる」必要はないのではないかなぁと思い、コメントさせていただきました。横からくちばしを入れて、すみません。
>ヒトとしての本能が欠落していると
>捉えることになってしまいませんか?
そうかもしれません。
欠落という言葉を使っているとまるで欠陥のように聞こえてしまいますが
本能から解き放たれた人たちという表現もできるかと思います。
本能より理性が優勢である人間ということです。
人間の意志というのも、本能的な要因と、理性的な要因との
総合的な結論として個人的には捉えておりますので
本能か意思かという疑問は沸いたことがありません。
どちらもというのが私の意見です。
上記を読んでて思ったことを。
理性も本能(感覚・感情・情念)も生まれ育った環境に依存すると思いま
す。単に本能と片付けるのは、男性側に都合の良い点から判断しているよ
うに聞こえます。
『産む決断』は『母体に危険がなく』『優れた子孫を残せる』と判断する
からこそ産むのでは?
逆に『産まない決断』をする人は『母体に危険があり』『劣った子孫を残
す』べきではないから、産みたくないのではないでしょうか?
そのあたりの決断には、理性と本能の区別はないように聞こえます。
『レイプ』されて宿った命には、『レイプ』をするような危害を与える『
劣った』子孫を残したくないと判断するから、産まない・中絶・間引きが
発生するのだと思います。
アフリカでレイプされて産む選択をした人のノンフィクションに載ってい
たのですが、『子供を人手と考える』『宗教的な理由(キリスト教?)』
で産む選択をしたように読み取れました。
キリスト教では中絶を禁止していたはずです。
戦国時代の日本でも仏教でこれと同じだったはずです。
中1の子の話はこれと似たような話に聞こえます。
アメリカでは地下鉄・タクシー待ちの妊婦に周りが手を差し伸べてくれま
す。社会保障制度が日本より劣っているにも関わらず、人口増の一因だと
思います。日本で人口減なのは、環境が妊婦に優しくなく、産み辛いから
では?
世間の目、二人の両親の期待、というのもあるかもしれませんね。
特に女性は、悲しいかな「子供を生んでこそ一人前」のような見方をされる場合も多いです。 当然、両親もそれを望んでいることが多い……となるとそのような状態から逃れたい、と思うこともあるでしょう。
また、自分たちが「家庭」という暖かい場所に身をおきたい……という欲求もあるでしょうね。
うちの母は両親を無くしてから特に「家庭を持つこと」に憧れていたそうで、安定した生活がしたい!という思いが強かったと言っていました。
予定日は10月1日頃です。
今、どんな気分?ときかれたら
出産への不安や将来の見通しへの恐怖よりも、まずはこの世に人の命を新に作り出せる悦びで一杯、それだけです。