●マスメディアによる報道はどうあるべきだと思いますか?
●個人による情報発信(事件現場からのリアルタイム配信、ブログによる事件の体験記・個人が知り得る情報の供給・事件への言及等々)はどうあるべきだと思いますか?
なお、「不謹慎」、「倫理的・道徳的」、「善悪」という言葉を利用する際はご自身の定義を明確にお願いします。
情報量の観点では、
コメントは述べても、まあ構いません.....
それが、既出の意見でなければ、です。
とはいえ(プロ/アマチュア問わず)ほとんどの人間の、ほとんどの意見は、情報量は小さいです。
どっかで同じことを言っている人がいるからです。
コメントを述べるなら、
どっかで同じ意見がある期待値ができるだけ低い コメントを述べるべきです.....
例えば、このいわしへのコメントも、全体的に情報量は小さいと思います。
(有力な)なてなユーザさんは、どちらかというとひねくれ者っぽく
ことさら、情報量が大きい意見を述べようとするので、
それは好ましいことです。
特に個人による情報発信を行う場合は、そのようにすべきだと思います。事件に個人的に(密接に)関与してない素人の感想や、評論など必要ないです。状況説明程度に抑えるべき。
テレビ局もスポンサーからお金をもらってる企業ですからね。トヨタ系というのは初耳でした。
犯人の勤め先がトヨタ系だというような事実はなかなか報道されないとか影で企業が手を回しているんだろうけどマスコミの偏向報道には注意が必要ですね。
正しい報道を伝えるのは必要だと思いますが、多くの局が延々と放送するのは、かえって悪影響があると思います。
興味を持っていたり、自分もやってみようと思っている人を刺激することになると思います。
ヤラセ事件では臭く感じるのは・・・
①逮捕後、パトカーで連行された犯人は終始、俯いたままですが
その録画を
班員の左側からブレもなく上から出なくうなだれてる班員の横顔の高さでカメラが回されてるようす・・
これって・・警察自身が録画した?ってこと??
②父親の謝罪会見をラジオを聴いてましたが・・
これほどの惨劇を起こした犯人の父親にしては
冷静で淡々として謝罪していること・・
母親の泣きくすれ方の不自然・・
かつて昭和40年代、50年代に頻発していた子供誘拐事件で
母親や家族の感想を述べてるとき、
どれほど、困憊してしまってるか痛感したものです・・
あまり、犯人以外には責任感が感じられません・・
③戦後アメリカ人がどうして銃を持たないと生活できないかというと、
実は、戦争に本当に勝った?戦争で得した、
満州、台湾、韓国政権に蝕まれていて、
ひそかに、現日本のように奇怪事件が続き
実際に事件が多かったからではないだろうか?
これからの日本も、満州系由来の移民が増え、
今回の秋葉の無差別殺人と同様、
あちこちで暗殺事件など起こってるのが実態ではないだろうか?
自警用に武器が必要となる時代に備え
日本征服?の為に
武器を持つことの制限をしようとしてるのではないだろうか?・・?
渡辺氏は今日、途上国の投機資本を受け入れるとのことですが・・
何だか、日本を食い物にさせてるのですよね・・
「国家の成り立ち」の話になると思うんですが、マスコミに言わせれば。
要するに、
国民主権だから選挙というものがある、そこで、選挙して主権者たる国民が、マネージャーに過ぎない(或いは国家のリーダー・・という表現も今となっては唇寒いが)国家の首長以下の現状について、何をどうやっているのか、知らなければ、国民は選挙が出来ない事になり、何をされてもわかんない~ってことになるよね、それが法律で保証された「国民の知る権利」だけど、その「国民の知る権利」を支えるのはジャーナリズム、つまりニュース番組っていう訳だから、ジャーナリズム自体が法律で保護されないといけない訳です。(こんなこといまさら言ってるようで裁判員制度が過剰になるとどうなるのか)。
膨大なトラフィックを抱える現代社会では、ジャーナリズムによる自由発言がなければ、いつ第二次世界大戦の全体主義になるか分からない、というのが憲法の発想で、それって結局OK発想です。
マスコミと言えば、法律の改正だけでもヤバイことがあればニュースにして、警報を全国に発送する訳。僕達は他のことをやっているので、骨抜き、潜んで根回ししていきなり立ち上げなどという動きには対応できない訳だよね、そこを代わりにマスコミがやっている、で、国民の知る権利が社会の中で下支えされるという訳。
なので、少々あじっているなどの批判が出たとしても、ジャーナリズムが無いよりはマシという訳ですね、おそらく業界認識としては。
例えば、国会からお金を貰って妻子を養っているNHKの経営者などは、はっきりジャーナリズムを放棄して、民主主義を否定しているとも取れる訳ですね(強調表現して理解しやすく言ってるだけなんですがw)
そういう構造を前提にして、議論される事も、または、もしやして、必要かもしれませんねーー
事件後になってこんなカキコが見つかった、みたいな報道をするけどさ、、、
マスゴミさんは、知ってたんじゃないの?
警察にだって通報が寄せられてなかったのかな?
担当者握りつぶしてない?
マスゴミに通報があったとしても、彼らは警察に通報するよりも
事件が起こるであろう現場に直行するのが使命だと言い張るんでしょうね。。
振り込め詐欺を追い込んで正義感ぶるのもそろそろ飽きてきました。
さぁ、次のネタはなんですか?仕込み中ですか?
あの人を弁護するつもりは全然ないけどさ、
「止めて欲しかった」
からこそ、あんなに具体的に書いてたんじゃないのか?
報道を通じて、さまざなな発信源であり情報源である。
どこまでが制限か決まりも無いのか?
情報は「質」かと。
裏の取れた真実や、一部しか知られていない希少だったものを公にすることが情報の価値でしょう。
裏付けのないデマや大本営発表状態の情報操作されたノイズが多すぎるので
「マスゴミ」を遮断した方が判断材料としてマシなケースが昨今多すぎます。
裏も取れずヤクザだとかフライング状態でも関わらず、広範囲に再三放送で伝え続けたり、
ゲーム脳呼ばわり等、ただの差別的観点からの中傷でしかないものは報道とは呼ばないと思います。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1136882.html
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1136694.html
ワーキングプア等の労働環境の根幹的問題から、スポンサーだのをかばう為、
意図的に意識をそらそうと情報操作。あまりに見苦しいです。
メディアはできるだけ多くの情報を提供すればいいことです。
また、背景にある問題や考察に関して、表面的な気がします。
それに、「早い者勝ち」のきらいがあって、誤った情報が先行させる問題が内在してます。
あくまで客観的な事実のみを報道し
周囲の社会良識ある感情的なコメントをできるだけ排除してほしいと思います。
犯行の模倣についての可能性よりも
この事件の根本に何があるのかを
ステレオタイプな分析を避けて
しっかり考えないといけないと思っています。
どこの局も犯人(容疑者)の過去の様子とかを同窓生や当時の先生に話をさせて、もう25歳にもなるのに親にインタビューに行ってみたり。
それをどの局も同じようにやっているのでそれぞれのメディアの存在意義が感じられません。
としか思えない。そして、それを楽しんでいる人も。
また、情報発信についても、事件→写メとつながってしまう現状。
道徳というか、思考の停止した状態だと思う。
アニメやインターネットの問題よりよっぽど深刻な問題ではないかと思う。
ほとんどの事件・事故ではマスコミの対応に嫌気を感じるのですが、、、今回ばかりは致し方ないかと。
白昼堂々で大量無差別殺人事件ですから。。。現場の混乱など大勢の人に影響があったことなので報道で広く周知することは今回は賛成です。
ワイドショーでよく見られるセンセーショナルを煽るような報道はやめるべきだ。そんなことをやっても被害者は救われないし、教訓を引き出すことも出来ない。
加害者がなぜ社会を憎むようになったのか、
どうして自暴自棄になったのか、
彼の暴発を防ぐ機会はなかったのか、
これから社会が学ばなきゃいけない教訓は何か(ダガーナイフを規制するというような表面的なものではなくて)
今回の事件には限りません 普遍的に重要なことです。
プロであっても、アマチュアであっても、
情報量を意識した情報発信です。
まだ、誰も述べていない、誰も触れていない情報を出すことです。
もちろん、すでにその情報は誰かが書いている可能性は常にあるのですが...
コメントや、意見、は間違いなく情報量は小さいです。
「事実」だけを述べるべきなのです。
この場合、その情報が真実である必要性はそれほど高くはありません。
もちろん、説得力の強化のために「証拠」が必要です。