THEME:「あなたの好きな叔父さん、お祖母さん、従兄弟たち」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか? 愛するマチ、好きな風景、家族とのエピソード、イエでの思い出…。毎回のテーマに沿って、あなたのイエとマチのルポをご投稿下さいね!
次なる〈イエはてな〉ライブラリーの本の実現を目指して――豊かな暮らしをつくっていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
※モラルのない一行レス等コメントの内容によってはポイント送信を控えさせて頂く場合もございますのであらかじめ御了承下さい。
※コチラのテーマ詳細とルポ例をご覧になってご投稿下さいね!
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080620
プレゼントはコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071028#Repo2
※今回の「いわし」ご投稿は6月26日(木)正午で終了とさせて頂きます。
たかがざる蕎麦、されどざる蕎麦、といったところでしょうか(^^>
確かに子供の頃にあのざるに乗ったお蕎麦は、見ていて憧れますよね。大人にとってはそんなに値段の張る食べ物ではないものの、子供向けではないという感じで頼んでもらえなかった記憶があります。なんというか、通人・粋な人が食べるもの、というイメージですかね。
そんなざる蕎麦を子供にもご馳走してくれた伯父さんの息子さん(従兄弟にあたるのかな)、歳に関係なく平等に楽しみを分けてくれるというか、子供心をつかんでらっしゃったのかな。nanairokamenさんにとっていい思い出を今でも残してくれている、素敵な方ですね(^^)
そのビニール紐にどんな思いが込められているかは、想像の域を出ませんが、きっと大切に思う人への素敵な心遣いの表れなんだろうなと思いました。
おばあさんが亡くなった後にも、おばさんが続けられているとのこと。大切な人への心遣いが伝承されているのだなと、心温まる話だと感じました。
お日様を浴びながら働く農家の方でも、やはり高齢になっていかれると、病気の一つや二つ・・・出てきてしまうものかもしれません。病気になると心細くもなりますので、電話やお手紙などでもいいと思います。ちょくちょく連絡を取り合えたら、喜ばれるんじゃないかな(^^>
私の母方の祖母のイエが農家を営んでいて、うちにもお米を送ってくれたりします。いつもありがたいと思いながら、地元の産物をこちらからも送っています。ちょっと距離があり、なかなか気軽に会いに行けないのですが、長生きしてほしい・・・という思いは通ずるものがありますね。
大病をすると、人生や生き方について考える機会にもなりますが、asukabさんのおじちゃんの生き方からもまた学ばされることがあると感じました。
義足といえど生活で辛いコトも沢山のありだったと想像します。障害(あまり使いたくはない言葉ですが)を持つと、どうも独身生活を選びがちですが、よい人との出会いに恵まれ、心の安らげる日々を送られていらっしゃるようで、読んでいて嬉しい気持ちにもなりました。
私利私欲がなく、いつも相手を思いやり、暖かく話しかけてくれるおじちゃん老夫婦・・・なかなかそういう心境になるというのも難しいことだと思うのですが、私にとっても憧れの生き方の一つです。
そうそう、共通の話題があると、親族間の会話も弾みますよね。趣味が同じとなればその話題の楽しさもひとしおでしょうね(^^)
私は子供の頃は従弟妹との会話が多かったですが、大人になってからは叔父さん・叔母さんたちとの会話にも交われるようになりました。まだまだ半人前だけど、大人の会話をしていて楽しめた日は、凄くうれしい気分になりました。もちろん、若者の集い(?)従弟妹同士の深夜会議も、お正月などは楽しいひと時です。
叔母さん・叔父さんにあたる人でも、歳が近かったりすると、特に大人になってから話題も共通することが多くて楽しいですね。
逆に従兄弟なのにすごい歳の差があって、ず~っと伯父さん・伯母さんだと思っていた親族がいます・・・(^^;> 子供の頃は話す機会もないし話題も釣り合わない間柄だったけれど、大人になってみて大人の会話が楽しめるようになり、なんだか嬉しくもある今日この頃です。
イエはてなのいわしでは、よくおめでたいニュースが入ってくるので、ほのぼのと喜ばしい気分になります(^^>
dankichikさんのハトコ(またいとことも言うのかな)にあたるお子さんになるのかな。ちょくちょく遊びに行って、お互い楽しい時間を過ごせると良いですね♪
うちの母の一番下の弟(叔父さん)に子供ができたとき、私も同じように嬉しかったです。ちょっと笑えたのが、20歳以上年が離れた従姉弟になるっていう事です。
よくよく考えると、父方の親戚で伯父さん・伯母さんだと思っていた人が、カナリ年は離れているけど実は従兄妹にあたるんだよねって話になったのです。
そうすると・・・、この生まれたての従兄弟にも、将来「伯母さん」と間違われちゃうかも~なんて、親族間の話題になりました。
長生きしてくれることを、私からも祈っています。いや、表彰も嬉しいでしょうが、子供や孫たちの顔をいつまでも見守ってほしい・・・と私は思うから。
帰省するたびに「もうこれで会うのは最後かもしれない」とか
死ぬ死ぬと言ってかれこれ20年くらいになりますが、未だに元気です。
小説とかの設定で、笑いのシーンにこういう場面がありますが、実際におられるというのが、なんだかちょっと(不謹慎ですが)笑ってしまいました。
100歳どころか、120周年にあたる大還暦まで元気でいて欲しいな。
顔は外人さんのようでショートポープを吸い、正月は和服でお年玉。いやぁ、想像すると確かに洒落た御仁のイメージです(^^)何より正月にちゃんと和装姿で、子供たちを待ちに待ったかのように迎えてくれる姿が素敵ですね。う~ん、そんな風に歳をとってみたいなぁ(あ、私女だった!でも、ダンディーなおじさんにもなってみたいなぁ・・・空想・・・)
大叔父さんということは、to-chingさんの祖父母の弟さんにあたる方ですかね。続柄の名称も色々ありますから、よく聞く単語を使っていても、あれ?誰の兄弟?なんて話題も広がったりしますね。
肉親というのは、強い絆がどこかにあるものだと信じています。最近は肉親同士での事件も報道され、そんな話を聞くと、心のどこかしらで家族・肉親という関係の希薄さも感じる気分にすらなることがあります。
寡黙な人。世間ではあまり良いイメージではありませんね。でもCatnipさんのおじいさんのように、言葉にせずとも心の中では強い情を持ってらっしゃる人もいらっしゃるのですよね。悪いことは起きない方がいいものですが、事故がきっかけでおじいさんの熱き思いが垣間見れたのは、本当に良かった事だと感じました。
momokuri3の伯父さんの生き方を読み、改めて自分のこれからを考える機会になりました。地元(地域・地方)のため、苦労している人のため、多くの事に貢献したいという信念があって努力して登っていった政治の世界。でも政治の世界には今も昔も柵の多い世界だと思います・・・。
ちょっと例え話としてはズレるかもしれませんが、経済の動き(電子商取引)として、BtoBからBtoCへスライドしていますよね。私はCtoC、つまり個人と個人の取引、というか”個人と個人での繋がり”に拡大派生していく時代がすぐ来るんじゃないかと考えています。
力のある政治家の存在も必要かもしれません。でもこれからは、人頼みだけでなく自分たち個人でも何かしらの形で発信していく・・・そういう時代に向かっていると思っています。
地方の個人が声を上げることで、全国の大勢の個人に地元を知ってもらう機会を増やしていく。地元人同士や遠方の人とのネットワーク・絆を深めていくことで、より地方活性化の道幅も拡大すると思うのです。
このイエはてなに集う全国・国外の人々のネットワーク・絆が、良い例「お手本」だと感じています。そして今の私にとっての趣味・ライフワークに、地元散策があり、まずは自分の住んでいる地域とはどんな所なのか、どんな未来が開けるのか・・・日々考える今日この頃です。
話しが随分とズレ込んでしまったので、ここまでで切り上げますが、信念を持って生きる素晴らしさを、改めて学ばせてもらいました。ありがとうございます。
そんなダンディーなおじさんになりたい・・・と思わされる素敵なおじさんですね。小さい女の子をエスコートだなんて、なんて気遣いの行き届いた人なんでしょう!
歳を重ねるにつれて、その品格が失われずますますダンディーになっていくとは、見習いたいお姿です(女性版の素敵な歳の取り方・・・心がけようと思いました)。
Kumappusさんの伯父さん、妹たちを肩でグルグルして遊んでくれるという素敵な伯父さんだったのですね。戦争で亡くなられたというのは、親族の方にとって辛い思い出でもあると思います。
先日が「沖縄慰霊の日」とは気付きませんでした。Kumappusさんの文章から、伯父さんへの思いが伝わってくるようで、読んでいてちょっと涙が出てきました。
他にも終戦記念日や原爆記念日など戦争に関わる日がありますね。私個人の感覚ですが、原爆に対して「記念日」という語呂はどうなのか・・・と疑問に思う時があります。「終戦の日」とか「原爆忌/平和記念日/原爆死没者慰霊」といった言葉で浸透して欲しいと個人的に思っています。
私の亡き祖父も、Kumappusさんの伯父さんのように南洋海上で船ごと沈められたと聞きました。ただ運良く祖父は生きのび、終戦後は農業を営んでいました。武勇伝も話してくれましたが、やはり亡くなった仲間の話の時の表情は、言葉では表せないような姿でした。
キックボクシングにキセルで煙草をスパスパ。とても気の若い元気なおばあちゃんだったのですね(^^)
亡くなられたとは寂しい気持ちもしますが、こうやって思いだし、また元気で粋なおばあちゃん話を語り継ぐことで、天国のおばあちゃんもキセルでスパスパしながら楽しまれているかもしれませんよ(^0^y─━ =3
同じ名前・・面白いですね。私にはくにおおじさんとくにこおばさんがいます。あだな呼びで「たいたいのおっちゃん」って呼んでたおじさんがいます。でも今由来がはっきりわからないんですよね。たいたいはお魚のことなんですが。釣りが上手だっかのかなあ?本人兄弟みんな若死にしちゃったからわからない。
かっちょいいおじさんですね。でも、奥さん亡くなった悲しみは持ち続けてるんだろうなあ・・。なんか天国の奥さんに向けても頑張ってる気がしました。
キックボクシングにタバコ・・。かっこいいおばあちゃんですね。なんか昔のおばあちゃんって結構タバコすってる人多かったような気がします。今より。
私は、野球大好きで男に生まれてたら絶対野球部に入りたかったんですが、家族や親戚に野球な人は一人もいなくて、何で~って思います。こんなにメジャーなスポーツなのに・・。でも、ソフト部だったとき父がときどき相手してくれましたかね。それは嬉しかったです。
母方は、女兄弟がたくさんいてみんなが集まると超にぎやかとゆうかかしましいです・・・。まあ、仲がよくて楽しいですけどね。母は長女だけど、天然なんでいじられまくっています。
私の叔父にも話し上手はいますね。
その叔父は元営業マンという事もあって、初対面の人でも
すごく自然に話をしてますね。
やはりこういう人が一人でもいると色んな場で和む物です。